山を好きになった理由は自分でも定かでありません。

小学校の頃から森林公園の中を通学していて、兎やリスとの出会いも多く、秋には下校時にキノコを採ったりしていた根っからの野生児でした。
それに両親に山菜採りやキノコ狩りによく連れていってもらったのも山が好きになった原点かもしれません。




一番最初に登った山

記憶が曖昧なのですが、小学校6年の夏、学校の幹部訓練と称する一泊の合宿で、その翌日に泉ヶ岳を登ったのが最初だと思います。
水神コースを往復したのですが、とても暑い日で、水は小さな水筒一つしかなく、下山時には喉がカラカラになってしまいました。
でも賽の河原から眺めた蔵王や船形連峰の大きな景色は今でも忘れぬ事ができない思い出です。

中学校に入ってから七ツ森の笹倉山に家族で登りました。
当時は亀の子岩の上は美しい雑木林が山頂までつながっていて、カタクリの花が足の踏み場もないほど咲き誇っていました。
そこに群れ飛ぶヒメギフチョウの数は凄かったです。
山頂の南西側は伐採されていて、泉ヶ岳の山容がとても大きく見えました。




 

 日本百名山を読む
                                        
読書が好きだったので、校内の図書室の本をよく借りていました。  
そこで目に留まったのが深田久弥著『日本百名山』です。
おそらく初版だと思いますが、箱に入ったとても立派な本でした。
槍ヶ岳の写真が箱の表紙に印刷されていました

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この頃は地図を眺めるのが大好きで、暇さえあれば地図を広げて見ていました。
行った事のない街や風景を地図を見て想像するのが楽しかったです。
そんな中で読んだ日本百名山は、ただ文章を読むだけじゃなく、中に添付してある地図と、日本地図を交互に見比べながら、山の位置関係を把握していました。




しかし文章では見たことない高山の風景や山容を想像するには限界があります。
そこでお小遣いを出して買ってきた本が山渓カラーガイド『日本の山』でした。
昭和47年当時の価格で580円ですから、かなり高い本だったと思います。

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有名な写真家による迫力ある写真と、著名な山岳関係者が文章を書いていて、手垢がつくほど何度も熟読してしまいました。

写真は朝日連峰と飯豊連峰です。(益子栄一さん撮影)

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カラーガイドと称している本ですが、書かれている内容は山の持つイメージを膨らませるもので、決してガイド本にはなっていません。
一番印象的な『農鳥岳』の山本朋三郎さんが書いた文章を紹介します。

日本第二の高峰北岳。そして厖大な山容の間ノ岳。岩間に、静かに咲く高山植物を眺めながら、喰った飯盒の飯はうまかった。
ギラギラ輝く太陽の下、荒川三山の向こうに遥か遠く、大小無間山の鋸上の姿が陽炎てたっけ。そのまた無効に幾重もの山波は霞んで、空に溶け込んだ辺りが俺の故郷。
山行きのたびに、白髪のめっきりふえたおふくろが、口癖で「山もよいが、お前。充分気をつけておくれよ。独りじゃ危ないだろうからねえ」とよく言った。
独り寝の農鳥小屋の備付日誌の前頁に。その年、南アで行方不明になった見知らぬ女性の手記が、ローソクの火にゆらぐ。

   沢田真佐子 単独
1953.7.13 赤薙より入山。岩小屋にオカン。7.14 広河原小屋泊り。イワナ釣り見物。7.15 草辷りでアゴを出汁、北岳小屋泊り。
7.16 風強く雨雲たれ込め天候悪化の兆。小屋に着く前雨混りの強風。小屋に駆け込む。
7.17 荒氏は一向に弱まらず明日を期待寝る。7.18 雨は幾分小止み。昨日に増しての強風。順調なら今日は帰京なにに一寸心細い。
7.19 夜半風雨激し。雨もりでシラフ水浸し。ラジオ新聞も無く天候の見通しつかず。
7.20 雨。 山には自分独りきり。7.21 雨。食糧乏しくなったので雨だが西山に向う。雨で四日の停滞とは運がない。然し、思い出深い、農鳥小屋よ。有難う。

この本にはこんな印象的な記述が多く、多感な中学生時代の私にとって山とは実に奥の深い世界と思わせるものがありました。



山好きを決定的にした本が新田次郎著『孤高の人』でした。

言わずと知れた孤高の単独行者:加藤文太郎の生涯を綴った小説です。
新田次郎の山に対する造詣の深さと、気象学に精通した点を集大成した作品で、私の山に対する憧れを決定的にしました。

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加藤文太郎は地元の六甲山を駆け巡ることから自身の登山技術と体力を養ってきましたが、それに感化されて5万分の一の地形図を片手に、仙台市近郊の蕃山に独りで登りに行きました。
中学生なので行きはバスを利用し、帰りは落合駅まで歩いて仙山線に乗って市内まで帰ってきました。

その後は奥新川駅から駒新道の一部を経由して、八森駅まで一日歩き通したこともあります。
友人を連れていきましたが、友人の家族は酷く心配していたそうです。

今になって思えば、こういった山に関する書籍を通じて、山に登るノウハウを学んでいったのかもしれません。