私が登山人生には二つの山があります。
その第一期は高校から大学。そして社会人になり結婚するまでの期間です。
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高校山岳部時代
高校山岳部時代
高校に入学してすぐに山岳部に入りました。
しかしこの部が最悪で、最初の山行で二日酔いになるほど安い酒を飲まされ、おまけに煙草まで吸わされる始末。
初めての山なのに、キスリングに20kg以上の荷を背負わされ、ばてて倒れている新人を登山靴で蹴り上げるリンチに近いしごきを目撃しました。
二年生以上の先輩は、水とシュラフ程度しか背負わずに涼しい顔をしています。
こりゃ酷い部に入ってしまったと後悔しました。
それにもめげずに毎週山に行きました。
二口山塊や蔵王連峰、船形連峰が主な活動の場でしたが、公共交通機関を利用しやすい二口山塊の大東岳に一番登りました。
この山岳部は普通の山岳部とは異なり、岩登りや沢登り、そして冬山まで行っていました。
今考えると恐ろしげな装備で登っていて、岩や沢ではハーネスを使っていないで、腰にザイルを巻いて登っていましたよ。
この頃はお小遣いは一切もらえず、すべてアルバイトで稼いだお金で山の装備を買い、山行の旅費を捻出していました。
そんな訳で夏場の飯豊や朝日への遠征にはお金が足りずにほとんど参加できなかったです。
二年生にはサブリーダーになりましたが、しごき体質の改善を目指して、上級生も同様の荷物を背負い。酒と煙草は強要しないように変革しました。
しかしそれが先輩やOBのひんしゅくを買い、結局3年生になる前に山岳部を首になりました。
でも卒業以来、私以外に同級生や後輩で登山を続ける人がいませんでした。
山を嫌いにさせる山岳部でしたね
刈田峠付近から前山を見る
山を嫌いにさせる山岳部でしたね
刈田峠付近から前山を見る

山のスキルを磨いた大学時代
大学時代は車の免許も取り、父の車を借りて山に行けるようになったので、山の行動範囲が広がりました。
当時は登山人口が極端に減っていた時期で、何処の山に登っても閑散としていました。
今では花の名山として有名な焼石岳に登ったら、地元の岳人独りにしか会わなかったです。
中沼登山口は駐車スペースは4台程度しか無かったですよ。
飯豊や朝日にもよく登りましたが、個人的に気に入っていたのは神室連峰で、登る度にほとんど誰にも会わない静かな山を楽しめました。
早池峰山に初めて登った時
早池峰山に初めて登った時

この頃、両親を山に連れていく機会が多かったです。
花が好きな母は咲き乱れる高山植物に魅了されていました。
父がキャノンのA1と言う一眼レフと50mmマクロレンズを購入し、それを借りて山や花の写真を撮る機会が多かったです。
ただ山を歩くだけじゃなく、写真を撮る楽しみが増えて、より山への造形が深まった感じがしました。
祝瓶山山頂にて
祝瓶山山頂にて

大学時代の一番の山の思い出は単独で登った大雪山です。
夜行の急行列車に乗り、青函連絡船で津軽海峡を渡り、登山口の愛山渓温泉まで列車とバスを乗り継いで一気に入りました。
翌日は北鎮岳から黒岳まで歩きましたが、9月初旬なのに見事な紅葉が見られ、おまけに雪まで降ってくるのには驚きました。
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ブラック企業か! 激務の会社勤め
ブラック企業か! 激務の会社勤め
社会人になると東京本社の会社だったので仙台を離れる覚悟をしていたのですが、幸いな事に仙台に配置されて自宅から通勤ができました。
しかし最初から責任ある仕事に付かされてしまい、残業で午前様になる日々が続き、山へ行く機会は激減しました。一番忙しい時には月の残業時間が240時間なんてこともありました。
山は年に5~6回登れれば良いほうでしたね。
山頂で睡眠不足がたたって眠くなってしまい、1時間も爆睡してしまうのが毎度恒例になっていましたね。
そんな中で飯豊に行きましたが、自宅に午前1時に帰り、登山支度をして午前3時に出発。
胎内ヒュッテを起点として胎内尾根を周回したのが一番の思い出です。
二ツ峰山頂から見た北股岳
二ツ峰山頂から見た北股岳

仕事疲れでなかなか山に行けない憂さ晴らしに、会社のサッカー部に入部して試合に出たり、ウィンドサーフィンに凝ってしまったり、冬場にはゲレンデスキーばかり行っていました。
でも蔵王スキー場で滑っている時に、会社から仕事の電話が入るのは閉口してしまいましたよ。
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結婚で山を封印
結婚で山を封印
忙しい中に彼女ができて、山好きな彼女じゃなかったので、山に登る機会は更に減りました。
結婚を機に転職して生活環境も変わりましたが、登山を全く理解できない嫁の気持ちに配慮して、登山活動は一切封印しました。
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登山人生第二期がスタート
性格の不一致から結婚生活は5年半でピリオドを打ち、ここからやっと登山を再開できました。
嫁が好きで飼っていた猫6匹が残されてしまい、私がその面倒を見なければならないことになりました。
しかしたった6年程度のブランクがあっただけなのに、山の世界は大きく変わっていました。
①服装が全然違う。→ ニッカボッカを履いている登山者は私だけ。
②登山靴が大変革。 → 重い革靴以外に軽登山靴なる軽く、足さばきの良い靴が売られるようになった。
③何故か山にいるのは中高年ばかり。 → NHKで放送された日本百名山に感化されて山を始めた人が多いようだ。
④山にゴミがほとんど落ちていない。 → 若者中心だった過去の山と違い、中高年登山者はこの点のモラルが確率されている。
⑤登り優先じゃなくなった。 → 今まで登り優先は暗黙の了解だったが、下りでも道を譲らない登山者が多くなった。
⑥ツアー登山なるものがでてきた。 → 交通の不便な東北の山に登る場合、ツアーに参加したほうが効率よく登れるらしい。
⑦百名山ハンターの出現。 → 深田百名山の一番楽なルートばかり人が集中する状況がでてきた。
⑧山のガイド本が充実。 → 東北百名山や県別登山ガイドなどが出版され、山に関する情報が入手しやすくなった。
ざっと挙げればこんな感じですが、浦島太郎のような感じで少なからずカルチャーショックを受けてしまいました。
更に登山のブランクは増えた体重と落ちた筋力との戦いを余儀なくされ、しばらくは体力の改善を強いられる登山が続きました。
でも毎週連続して登山を続けていると、山に登る筋力と心肺機能が復活し、以前のように走るように山を歩けることが出来るようになりました。
但し、メジャーな山が以前では考えられないほど混雑しているのに嫌気がさして、ほとんど誰にも会わない静かな山や藪山を目指すことが多くなりました。
ここでは登山第一期の頃にほとんど独学で修得した地図読みや藪漕ぎの業が生きてきます。
第二期のスタート時には単独行がほとんどでしたが、山で出会った方を一緒に登ったりして次第に山仲間が増えて行きました。それが現在の登山活動に繋がっています。
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