平日であるがちょっと時間ができたので、衆議院選の期日前投票に行き、午後から二口山塊の葉武奈山と小屋だて山に登ってきた。
ほとんど一般登山者に顧みられない山であるが、一番のネックは名取川、もしくは穴戸沢を渡渉しないと登れない点にある。
【 12/10 小屋だて山(460m)と葉武奈山(550m) 宮城・二口山塊 】
穴戸沢林道ゲート手前~古い開発林道跡の柵~穴戸沢渡渉点~小屋だて山の北側鞍部~小屋だて山~小屋だて山の北側鞍部~開発林道跡経由:林道地すべり地帯~葉武奈山南側~葉武奈山~尾根経由:小屋だて山の北側鞍部~穴戸沢渡渉点~古い開発林道跡の柵~穴戸沢林道ゲート手前
秋保里山愛好会が制作した秋保里山トレッキングマップ(改訂版)の中に未登の山が載っている。
それが標高460mの小屋だて山と、道の記載がない標高550mの葉武奈山である。
小屋だて山の位置は、二口渓谷の入口に当たる野尻集落の北西にあり、名取川と穴戸沢の合流地点に聳える三角形の山で、山頂に愛宕神社を祀っている事から地元では愛宕山とも言われている。
この山だけ登るのは簡単なので、その奥にある葉武奈山にも足を伸ばそうと思っていたが、ネットで検索しても、秋保里山愛好会の有志が山頂を目指しながら藪で敗退している情報しかなく、果たして登れるか否かは歩いてみてのお楽しみという事になった。
今まで気にも止めていない山だったので、その山容も分からなかったが、野尻集落の手前の田んぼ付近から北側に初めて葉武奈山の姿を見出した。(左奥にある山。)

二口峠は古い時代からの往還で、関所は二口御境目と称し、御番所は野尻にあった。
旅人は番所で身元を調べられたうえ、関所手形を交付され、二口の奥にある御境目に手形を提出して最上へと越えていったのである。
二口街道は。元々脇往還であったが、幕末には仙台領内五か所の本道往還の一つとなり、百五十石取りの大番士が御境目付として三か月交替で番所に勤務した。
御番所が置かれた野尻集落は仙台藩の軍奉行支配の足軽とその家族がが住まう場所であった。
その先祖は定義に阿弥陀堂を開いた平貞能に従ってきた平家の落人と言われている。
二口足軽の任務は国境の警備と交通の監視、大東岳一帯の山林の管理で、峠を通行する人々の荷役も勤めていた。
旅人は番所で身元を調べられたうえ、関所手形を交付され、二口の奥にある御境目に手形を提出して最上へと越えていったのである。
二口街道は。元々脇往還であったが、幕末には仙台領内五か所の本道往還の一つとなり、百五十石取りの大番士が御境目付として三か月交替で番所に勤務した。
御番所が置かれた野尻集落は仙台藩の軍奉行支配の足軽とその家族がが住まう場所であった。
その先祖は定義に阿弥陀堂を開いた平貞能に従ってきた平家の落人と言われている。
二口足軽の任務は国境の警備と交通の監視、大東岳一帯の山林の管理で、峠を通行する人々の荷役も勤めていた。
戊辰戦争が終わり明治時代に入ってからは、峠を行きかう人の荷役の仕事や、出羽三山参りの宿泊などで生計が立っていたらしいが、その後関山峠が主要道路となってからは、野尻集落は急激に廃れていったと言われる。
そんな歴史に思いを馳せながら野尻にゆかりのある小屋だて山を目指す。
そんな歴史に思いを馳せながら野尻にゆかりのある小屋だて山を目指す。
小屋だて山の登路は二通りあって、野尻集落の集会所から北へ下り、鳥居の場所から名取川を渡渉して一直線に急登する道と、穴戸沢林道を400m入った地点から開発林道跡を穴戸沢に下り、沢を渡渉してほとんど廃道の林道を鞍部まで登り、そこから南に急登して山頂を目指すルートがある。
何れにしても川の渡渉があるので、登山靴を履いては渡れず、その点では敷居の高い山になっている。
文章では位置関係が分かりにくいので、最初にGPSの軌跡を載せた。
文章では位置関係が分かりにくいので、最初にGPSの軌跡を載せた。

最初の予定では名取川を渡渉して、小屋だて山の一本東側の尾根を登り、野尻山(四等三角点)を経由して葉武奈山に至り、そこから開発林道跡を辿って小屋だて山に登る周回コースを考えていた。
しかしこのところの降雪で、雪が路肩に積まれていて、野尻集落近辺に適当な駐車場所がなく、結局穴戸沢林道の方に移動せざるを得なかった。
穴戸沢のゲートが奥に見える畑の傍に駐車する。
開発林道跡入口は有刺鉄線の柵があるので直ぐに分かった。
藪っぽい林道跡を下っていくと穴戸沢の河原に降り立つ。
川幅が広く、かつ流れが激しいので渡渉点を探しながら少し上流に歩いた。
写真の場所は林道が健在であった時に橋が架かっていたと思われる箇所で、コンクリートの建造物が沢の中に落ちている。
この少し手前で渡渉したが、結構水深が深く、スパイク長靴の上端から5cmのところまで水が来ていた。

林道跡と言っても、かなり藪化が進んでいて、適当にショートカットしながら藪の薄い場所を登っていった。
右手奥に、黒々とした小屋だて山の姿が見えている。

小屋だて山の北側鞍部は三叉路になっている。
ここに標識があるという情報を得ていたが、標識の類は一切ない。
雑木林の林床は藪が薄くて登り易い。
北東側に梢を透かして後で登る予定の葉武奈山が見えていた。
山頂直下に林道が横切っている様に見えるが、近づいて確認すると、林道が地すべり崩落した破断面であった。

小屋だて山の急な北斜面を登りきるとアンテナのある山頂に着く。
三角点がない山なので、三角点探しをしなくても良い。

北には木々の間から高倉山(左)と大笠山が確認できた。

TVアンテナの南側に愛宕神社が祀られている。
周囲は松や杉の木に囲まれていて展望はほとんどない。

山頂を示す山名板が置かれていた。
ところで小屋だて山の山名であるが、その由来は調べてみても分からなかった。
文献を調べると愛宕山の記載しかなかった。

山頂を示す山名板が置かれていた。
ところで小屋だて山の山名であるが、その由来は調べてみても分からなかった。
文献を調べると愛宕山の記載しかなかった。

この山は敵軍の進入時に老人や、女・子供の避難場所であったと言われる。
天正十六年(1588年)に伊達政宗が大崎氏攻略のため米沢から陸前方面の出兵した時、最上氏がこの街道を使って伊達氏の後方をかく乱したが、野尻の住民達は伊達家に味方して、奥羽山脈を 越えて侵入してきた最上方の間謀を捕えて政宗に引き渡したらしい。
そんな時にこの山が役目を果たしたと思われる。
天正十六年(1588年)に伊達政宗が大崎氏攻略のため米沢から陸前方面の出兵した時、最上氏がこの街道を使って伊達氏の後方をかく乱したが、野尻の住民達は伊達家に味方して、奥羽山脈を 越えて侵入してきた最上方の間謀を捕えて政宗に引き渡したらしい。
そんな時にこの山が役目を果たしたと思われる。
山頂からは、辛うじて磐司岩が見えているが、展望が利かず、暗い雰囲気の山頂なので、休憩は取らずに来た道を帰した。

開発林道跡まで戻り、その林道を北東に辿る。
放置されてからかなりな年数が経った林道のようで、道の上にはツタが繁茂して下手な藪漕ぎよりも歩き難い。
しかし時々谷側の展望が開ける場所があり、三森山とオボコンべ、そして桐ノ目山が並んで見えるのが面白かった。この位置関係で三山を眺める場所はここしかないようだ。

オボコンべのアップ。
この方向からの見ると余り尖ってみえない。

南東には名取川対岸の鷹ノ巣山がとても大きく見えている。
その手前、左側の尾根の高みが野尻山の三角点であるが、山と言うより、尾根の鼻の部分と言ったほうが当たっている。

ツタ藪を避けて右往左往しながら進んで行くと、前方に大きな熊棚を見つけた。
今年はブナの実もナラの実も、どちらも凶作のようで、少ない山の実りを必死に食べている光景が目に浮かんだ。

この先、林道は崩落が進み、ますます藪も絡んで歩き難くなってくる。

漸く葉武奈山(右)が見えてくると、林道は地すべりの影響か?完全に崩落してただの急な斜面になっていた。
恐らく東日本大震災の時に地すべりを起こしたものと思われるが、本来の法面は消失して、元々あった道のかなり上部に破断面の岩場がベルト状に続いていた。

林道歩きと言うより急斜面のトラバースと言った感じの危険なところを通過する。
一度、掴んでいた枝が折れて、急斜面を転げ落ちそうになってしまった。
帰りはこんな藪と急斜面トラバースはご免被りたいので、林道跡の上部にある尾根を下る事にした。
ようやく葉武奈山が近づいてくると、前方の木々に隠れた場所で大型の獣が逃げていく気配を感じた。
もう冬なのでカモシカだろうと思ってトラバースを続けて行き、山頂の南側の尾根に乗り上げた。
そこの雪面に刻まれた獣の足跡を見てびっくり!
足の長さ20cm強、横幅15cmの熊の足跡である。
この大きさだと完全に大人の熊で、出会わなくて良かったと思った。
秋の内に冬眠に必要な栄養を取れないと冬眠が遅れる、と言う話を聞いたことがあるが、今年は正にそんな状況だったかもしれない。

山頂の南側の尾根も地すべりの影響で、尾根が寸断され、1.5m程度滑った破断面が露出している。
尾根の西側は地すべり跡なので、周辺は裸地化しており、南側から西側にかけての展望が開けていた。
写真は歩いてきた林道跡と、穴戸沢を挟んで対岸にあるクワバラ山である。
この山も未踏なので、近いうちに登ってきたい。
この山も未踏なので、近いうちに登ってきたい。

クワバラ山の右手には大東岳が望める。
しかし鼻こすりより上部に雲がかかっていて山頂は見えなかった。

南西には均整の取れた三角形が目立つ三方倉山が一望できた。

南には同じく三角形の桐ノ目山(左)と亀ヶ沢山が望める。
手前の白く見える平地が野尻盆地である。

地すべりの破断面を木にぶら下がって腕力で登りきると、その上部に続く林の中にも熊の足跡が続いていた。
そのまま尾根筋を少し登ると頂稜に着く。
そこには獣が雪を払って地面を出した跡があった。
最初はイノシシの仕業かと思ったが、周辺に猪の足跡はなく、細いひずめのカモシカと、例の大きな熊の足跡しかなかった。
どうも熊が雪の上に寝るのが嫌で、雪をどけて土を出していたようである。

頂稜を少し北東側に歩くと、木々の囲まれ、何もない葉武奈山の山頂に着いた。
目の前に大笠山の巨大な姿を望む以外、見るべきものが一切ない山頂である。

風が冷たいので、昼食は少し高度を落としたところで摂る事にして、林道上部の尾根を下った。
でも最初の下りで顕著な北西尾根に引き込まれてしまい、途中で少し戻り、沢の源頭をトラバースして正規の尾根に乗った。
下った尾根は一部笹薮が邪魔なところがあるが、手で払える程度の藪なので歩きやすい。
しかし展望はほとんどないので、この尾根を往復しただけでは登る楽しみは見いだせないかもしれない。
コナラの雑木林の中でカップ麺とおにぎりだけの昼食をとる。

藪の下りは早く、短時間で穴戸沢の渡渉点まで戻ってしまった。
この渡渉点にも熊棚があった。
穴戸沢と名取川の自然の要害に守られた葉武奈山は熊にとってサンクチュアリ的な場所なのであろう。

帰路、穴戸沢林道入り口の所から、登って来た小屋だて山を見る。
以前から山頂が杉で覆われていて、何かしらの神社があると想像していた山であったが、やっと今回登る事ができた。

この山を目指すときは川が増水していない渇水期に限られると感じた。

この山を目指すときは川が増水していない渇水期に限られると感じた。
動画です。
コメント
コメント一覧 (4)
未踏の山から眺める山容には素晴らしいものが」ありますね。
エシコ沢に行くときに沢向かいに何本かの作業道跡が記憶にありました。
ネットでは未踏の山でしたので、名前を知らない方が大半でしょうね。
林道跡を登る場合はツタ藪の対処に剪定バサミや鋸が必要な感じでしたよ。
大笠山の南斜面にも穴戸沢側から道が見えていました。
特にカメラワーク、BGMすばらしいなぁ~
今回の山も凄くマイナーな山になってしまいました(笑)
BGMはありものを適当に使っておりますが、動画の撮影はコンデジなので、撮影の設定が変更できず、このレベルの画が限界ですね。