朝日連峰の祝瓶山は、天を突く山容で人気の山であるが、その山頂から南に伸びる稜線を顧みる登山者は少ないと思う。
その稜線には北から柴倉山~合地峰~三体山~爺岳と、標高1100mから1200mの比較的アップダウンの少ない峰々が連なっている。
長井市今泉方面から見ると、この山々の連なりは三つのピークを持っているように見えるため、三体山と呼ばれて地元の方々に常に仰ぎ見られている山になっている。
4日・土曜日は急に天気予報が好転したため、残雪を利用してこの三体山連山の中核に当たる三体山に登ってきた。

【 4/4 三体山(1256m) 山形・朝日連峰 】
長井ダム管理事務所~県道~入山地点~折草~里見坂~コニゴリの頭~清水沢~1147m峰~爺岳~1220m峰~三体山(往復)

三体山には桂谷・西栃平下吊橋から取り付き、東尾根をひたすら登る夏道が存在する。
過去に一度その道を往復した事があるが、山頂の三角点の少し先から僅かに展望が得られたのみで、史跡西山新道下り15分の看板から急坂を西に下ったところにある、150年前の幻の街道を見た事のほうが強く印象に残っていた。
この山域は、別に北側の一等三角点峰:合地峰に藪漕ぎで登った経験があり、自分としても多少拘りを持っている山域である。

今回の山行に当たって、西山新道を完全踏破され、この山域に精通されているokusanに情報を頂こうと連絡をとった。
(因みにokusanとは以前、南蔵王で一度お会いしていている。)
すると山行にご一緒していただけるとの有難いお申し出があり、素晴らしい先達を得て、この山行の成功が約束されたと感じた。

朝5時半、長井ダム管理事務所の駐車場にメンバーが集合。
地元のokusan、山形のモンキィさんすばるぅさん、福島から野村ツアーさん、そしてマスさんと私の6名である。
三体山の登路は急坂や急斜面のトラバースがあるので、スノーシュー向きの山ではなく、各自カンジキとアイゼンそしてピッケルを持参した。

朝方はまだ曇っていたが、日が登ると徐々に晴れ間の区域が広がってくる。
しかし未だ長井ダムの百秋湖には朝の光は差し込んでいない。
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駐車場から800m歩いて短いトンネルを通過し、さらに雪に埋まった県道を奥に進む。
すると正面に、最初に登るピークのコニゴリの頭が見えてきた。
コニゴリとカタカナで書くと変な感じがするが、小濁沢の頭という意味である。
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不法投棄防止の面白い写真看板がある場所から左手に県道を離れて入山する。
西に薄い雲をまとった三体山が見えてくる。
近くに見えるが、時計回りに半円を描くように登っていくため、実際歩く距離は直線距離の倍以上ある。
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花粉を飛ばして雪面が黄色くなった杉林を抜ける。
小さな尾根を越えて、一本南側の沢筋に下りと、そこは夏場には林道が通じている場所らしい。
杉林を西に歩んでいくと林道終点の折草と呼ばれる場所に着く。
ここからコニゴリの頭へ本格的な登りが始まる。
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付近のブナの木は新芽が膨らんでいた。
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伐採地が終わり、ブナの森の境界線にでる。
ここから急坂が始まるが、その坂は西山新道が使われていた時代には里見坂と呼ばれている。
西山新道を辿り日本海の村上を往復した人々が、故郷:長井の里を見下ろした場所なのであろう。

この頃から急激に青空が広がってきて、北に朝日連峰の主稜線が見え一同歓声を上げた。
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北東には何処が山頂か分からない山容をした長井葉山が大きく見えている。
カシバードで見ると、里見坂の取り付きからは葉山の山頂部は見えないようだ。
一番左手の平頂が安部ヶ館山で、その直ぐ右手が八形峰である。
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ここでマスさんお手製のパン『びっくりみかん』をいただく。
ミカンの風味がする食べやすいパンであった。
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里見坂はコニゴリの頭まで高差300mのブナ林の登り。
細いブナが多いが、強風のために太くなれないらしい。
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坂の途中で雲海の上に茫漠と連なる吾妻連峰が一望できた。
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コニゴリの頭(三角点名;焼山)の肩まで登ると一気に視界が開ける。
三体山(左)と、祝瓶山、そして大朝日岳が一望できるが、前日の雨で空気が澄んでいるためにくっきり見えていた。
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ピークの西側の雪原にでると、今度は南に飯豊連峰が見えてくる。
手前の平頂が浜風峰。こんな山の中なのに浜風とは風流ながら変わった山名である。
冬場に日本海からの季節風が強烈に当たる山だから付いた山名かもしれない。
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飯豊本山のアップ。
大朝日岳から見るよりも距離が近くなった分、迫力が違う。
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朳差岳のアップ。
左の尖った鉾立峰が景観のアクセントになっている。
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そしてこれから向かう三体山の連山が真っ白い魅惑の稜線を連ねている。
左から1147m峰、爺岳、尖った1220m峰、そして一番右奥が目指す三体山。
爺岳の右下に低く見えるのが婆岳。
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婆岳に続く雪堤。
途中で雪庇がズタズタに崩壊しているが、その箇所は左手(西側)の樹林帯の斜面を進んだ。
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写真では分かりにくいが、稜線西側に幅1mぐらいの古い道跡が残っている。
これが現在の西山新道である。
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ここで西山新道に関する歴史を少し述べたい。(okusanのブログ記事を参考に記載しています。)

元禄時代、上杉藩の物流の主流は最上川の舟運であった。
酒田港から最上川を通じて、上杉藩で生産された養蚕・生糸・絹織物を大阪や京都と商売していた。
しかし慶応2年(1866)の凶作により物価が高騰し、酒田港では船積み荷の関税を上げたために利益が極端に減ってしまう。
長井の商人達はその対策として、長井から野川をさかのぼって三体山をこえ、小国石滝に出る新道を開削し、村上港を物流の拠点にしようと試みた。
小国の荒沢から国境をこえて新潟県の村上に至るルートは、既存の柳生戸街道(米沢街道)が使える。
この事業は、川崎八郎右衛門など長井及び成田の絹物関係商人20数名で、工事費用は3万1,445貰文、工事人夫は延べ1万5,200人、村方人夫が4,000人といわれ、慶応3年(1867)4月に着工して8月末にできあがった。
そして西山新道は絹の道・塩の道として活用されることとなる。
しかし間もなく、明治の戊申戦争(1868-1869)が始まり、幕府方として、越後に出兵して官軍と戦っていた米沢藩が戦に破れ、小国十三峠とこの西山新道を退却したが、西山新道は官軍の追求を防ぐために難所を破壊したと言われる。
その後、手ノ子から字津峠をこえ、横川と荒川の谷間ぞいに通行できる峠超えの道が明治19年(1886)に全通し、置賜~新潟間の交通の利便さは一変した。
この事により朝日連峰を横断する険しい山越えの西山新道はこれ以降次第に使われなくなり、現在ではその道形の大部分が自然に帰ってしまい、その道筋を辿ることは難しい。

西山新道の概念図。(クリックで拡大。)
okusanのGPSの軌跡を地図上に書着込んでいるので正確ではない。
赤いトレースは今回歩いた軌跡。
nisiyama

私は2005年に三体山の山頂から標高差50mを下り、西側に残る西山新道の一部を歩いたが、今回はごく一部の地元の岳人以外歩いたことのない区間を少しでも歩けた事になる。
幅4尺の道であるが、この道を150年前に多くの人々や、牛も通っていたと思うと、昔の人の体力とバイタリティに敬服するのである。

西山新道が雪消えで出ている地点から、北に尾根を辿ると標高1051mの婆岳の山頂まで登れるが、そこから尾根通しで三体山連山の最南端1147m峰に登るのはかなり危険な行程となる。
無理して登ると、凄い傾斜の雪稜登りがあり、最上部で雪割れの大きなクラックがあって進退窮まってしまうであろう。

そんな訳で婆岳までの標高差100mを登らないで、西側の清水沢まで950mのコンタラインをトラバースした。
しかしかなり急斜面のトラバースなので、足場を一歩一歩踏み固めながら進むため多少時間がかかる。

西山新道を使っていた人々が、稜線近くで水が取れる数少ない場所であったはずの清水沢で休憩。
今は雪に埋もれた開けた谷の彼方に飯森山が見えている。
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その左手には磐梯山の双耳峰が見えていた。
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清水沢の源頭に広がるカール状の地形。
稜線直下は斜度50度はあると思える。
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清水沢から1147m峰の南斜面をジグザグに登る。その高度差200m。
一番斜度がある場所は傾斜40度はあったと思う。
雪山に慣れていないメンバーにはピッケルを使ってもらった。
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急登の途中、振り返ってみると、コニゴリの頭の背後に置賜盆地が一望できた。
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そして飯豊連峰の全景が余すところなく見えている。
写真より実際の光景は何倍も迫力があった。
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1147m峰から尾根が派生している浜風峰(左)と天神堂山。
浜風峰から南に、沖山~杉立峰~宇津峠~出ヶ峰~九才峠~山毛欅潰山~鍋越山~地蔵岳と飯豊連峰まで荒川水系と最上川水系の分水嶺が繋がっている。
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南西には明沢川の対岸に位置する、雪崩地形も顕著な荒沢山が眺められる。
荒沢山の山頂の背後に見える雪の無い低山は櫛形山脈だ。
そして一番奥には蒼い日本海の水平線も見えている。
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雲の様に見える大佐渡山脈の山並み。
こんな素晴らしい天気の時に登れて本望だ。
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飯豊の石コロビ大雪渓。
正面から見ると、良くもこんな急斜面を登れるものだと思ってしまう。
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三体山連山の最南端にあたる1147m峰の頂に着くと、北東から冷たい強風が襲ってきた。
東風イコール荒天の兆しである。

真東には蔵王連峰が遠望できた。
空気が澄んでいるので、一山一山がはっきり同定できる。
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爺岳の山頂から三体山を望む。
近くに見えるがここから1時間弱の距離がある。
右手には大朝日岳を中心に、朝日連峰の主稜線が見えている。
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10時の方向に尖った山容が目立つ鷲ヶ巣山が見えてきた。
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麓から見た時に鋭峰に見えた1220m峰の上に立ち、登ってきた稜線を振り返る。
右手に爺岳。そこから左手に婆岳とコニゴリの頭と標高を下げている。。
背後に吾妻連峰と磐梯山が遠望できる。
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強風に抗しながら歩みを進めて、ようやく三体山が近づいてきた。
まだ雪庇にほとんどクラックが入っていないので雪堤は歩きやすい。
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たどり着いた三体山の山頂には伽羅の老大木「臥竜の松」があり、直ぐ近くに三角点が設置されているが、今は深い雪の下に埋もれていて場所は分からない。
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山頂西側の雪原に出て北側の展望を眺める。
西山新道を有する稜線は左手の一等三角点峰:合地峰まで繋がっている。
この位置から朝日連峰を眺めた岳人も少ないであろう。
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合地峰(三角点名:三躰山)まではここから更に1時間の行程。
冷たい風に吹かれて往復する気力はないので、今回は三体山でお終い。
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大朝日岳の西側斜面は既に雪が融けてしまったようである。
左が中岳。
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西山新道は合地峰から方向を90度変えて、西側に派生する尾根筋を金目川まで下る。川を渡渉して石滝から登ってくる大規模林道まで繋がっている。
真っ白いピークは無名の1230m峰。
三角点峰の土倉エボシ(点名:小屋敷)は写真の左手の写っていない場所にある。
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三体山の山頂から眺めた飯豊連峰。
何枚も同じようなアングルの写真を撮ってしまった(笑)
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三体山山頂での記念写真。
ここでは5名しか写っていないが、okusanは合地峰との中間点の西山新道を見に行くとの事で、この山頂で行動を別にした。
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三体山の山頂から眺めた朝日連峰の主稜線。
左手に祝瓶山が見えるが、背後の以東岳と重なってしまって分かりにくい。
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南東には登山口の長井ダム管理事務所が見えている。
遠望する山は七ヶ宿町の峠田岳。
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船形連峰や二口山塊、村山葉山まで一望できる絶景の山頂で昼食にしようと考えていたが、冷たい風が吹き付けて休める状況にはないので、少し南に下がった1220m峰で休憩する。
ここは雪庇の張り出しによって、奇跡的にほぼ無風のエアポケット状態になっている。
飯豊連峰を眺めながら贅沢なひと時を過ごした。

ここで夕方から用事があるすばるぅさんが一足早めに下っていった。

下山路に関しては。当初は頂稜から急な東の谷に下る予定であったが、谷沿いは各所に雪崩が発生しているようであり、最終局面の濁沢のスノーブリッジが今の時期には無くなり渡渉が難しくなる可能性が否定できないために、素直に往路を戻る事にした。

1147m峰の先端に立って爺岳と三体山を眺める。
午後の斜光で雪庇がより迫力あるものに感じた。
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この先、1147m峰南斜面の下りがこの日一番の難所となった。
陽に照らされて柔くなった雪のために、カンジキを履いていても足場が崩れて滑落しそうになる。
時間をかけて足場を踏み固めながら慎重に下った。

しかし婆岳のトラバースは逆に雪が柔くなったので危なげなく通過できた。

コニゴリの頭の鞍部から婆岳と爺岳を振り返る。
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そしてコニゴリの頭で三体山連山と朝日連峰の大観を再び堪能する。
この位置から見る祝瓶山が一番格好良かった。
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里見坂を下りきって、杉の植林地がある下界まで下ってきた。
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何回かシリセードを楽しみながら下る。
でも雪が柔いので余りスピードがでない。
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最後、県道にでる手前で再び三体山連山を振り返る。
歩行距離19km、累積標高差1450mの結構ハードな行程だったが、 
標高では計り知れない奥深さと歴史の重みをを感じた山であった。
そして想像以上の豪快な展望は長く記憶に残るものとなるであろう。
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今回ご案内してくださったokusanにこの場をお借りして御礼申し上げます。

GPS軌跡です。(クリックで拡大)
santaisan


動画です。