6年前に初めて足を踏み入れて、そのおどろおどろしい心霊スポットを思わせる幽玄の世界に驚いた注連石に再び行ってみた。
今なお多くの謎を秘めた弁慶山地の奥底に眠る、かつての修験道の聖地がそこにあった。
【 5/4 注連石(640m)と鬼のカケハシ 山形・弁慶山地 】
白玉川林道倒木による車両進入不可地点~大禿沢林道分岐~ 林道終点~トイシ沢とカラマツ沢の合流点~西尾根経由:647m峰~ナイフリッジ~注連石(往路を戻る)~トイシ沢とカラマツ沢の合流点~鬼のカケハシ~林道終点に戻る~大禿沢林道分岐~白玉川林道倒木地点
国道344号線:青沢峠越えの道を最上地方の真室川町から 庄内地方の酒田市八幡に抜ける時、最初に北青沢と言う小さな集落に出る、その手前川上神社の少し西側から南側に大俣川にかかる橋を渡って奥に入ると白玉川に沿った林道になる。
その林道の途中で左に大禿沢林道が分岐するが、その最奥の地に地形図で注連石(すみいし)と書かれた地名があるのを気づいた方は少ないと思う。
今回、この山を再訪するきっかけは、同行した犬猫馬さんのリクエストに答えたもので、他にmorinoさん、モンキィさん、マスさん、すばるぅさん、そして野村ツアーさんも一緒に登ることとなった。
白玉川林道を走行し始めて直ぐに、崖上のミズナラの大木が土砂と一緒に林道まで落ちていて車両の進入ができなくなる。(バイクも同様。)
地形図を取り出して現在地を読んでみると、大禿沢林道の約1km手前と分かった。
仕方なく林道の路肩に駐車してそこから歩き始める。

今なお多くの謎を秘めた弁慶山地の奥底に眠る、かつての修験道の聖地がそこにあった。
【 5/4 注連石(640m)と鬼のカケハシ 山形・弁慶山地 】
白玉川林道倒木による車両進入不可地点~大禿沢林道分岐~ 林道終点~トイシ沢とカラマツ沢の合流点~西尾根経由:647m峰~ナイフリッジ~注連石(往路を戻る)~トイシ沢とカラマツ沢の合流点~鬼のカケハシ~林道終点に戻る~大禿沢林道分岐~白玉川林道倒木地点
国道344号線:青沢峠越えの道を最上地方の真室川町から 庄内地方の酒田市八幡に抜ける時、最初に北青沢と言う小さな集落に出る、その手前川上神社の少し西側から南側に大俣川にかかる橋を渡って奥に入ると白玉川に沿った林道になる。
その林道の途中で左に大禿沢林道が分岐するが、その最奥の地に地形図で注連石(すみいし)と書かれた地名があるのを気づいた方は少ないと思う。
今回、この山を再訪するきっかけは、同行した犬猫馬さんのリクエストに答えたもので、他にmorinoさん、モンキィさん、マスさん、すばるぅさん、そして野村ツアーさんも一緒に登ることとなった。
白玉川林道を走行し始めて直ぐに、崖上のミズナラの大木が土砂と一緒に林道まで落ちていて車両の進入ができなくなる。(バイクも同様。)
地形図を取り出して現在地を読んでみると、大禿沢林道の約1km手前と分かった。
仕方なく林道の路肩に駐車してそこから歩き始める。

歩き出してみると倒木の先も随所で落石が林道上に散乱し、大型の重機で林道整備をしない限り車の走行は不可能な感じであった。

大禿沢林道に左折すると更に林道は荒れていて、山菜採りの方々は歩いて入山している感じであった。
大禿沢の右岸に流入する沢が多段の大きな滝を落としている。

林道歩きに飽きてくる頃、ようやく正面にこれから登る急峻な尾根が見えてきた。

林道終点から大禿沢に降りて、そこから沢筋を遡行する。
平瀬が多く、深い淵がないのでスパイク長靴なら楽に遡れた。

オオバキスミレの姿を見るのは今年は初めて。
これって山菜なんだけど、食べる人によっては下痢するので注意が必要。

右岸から流入する小沢には際どいスノーブリッジが出来ていた。
怖くてとても潜れる代物ではない。

流れは穏やかだけど、丸い石の上に乗ると酷く滑り易いので注意が必要だった。

ちょっと見応えのある滝が登場。

この滝の直ぐに上流で沢は二俣になる。
右が上流に鬼のカケハシがあるトイシ沢。左がカラマツ沢だ。
ここで山菜採りの男性がトイシ沢上流から下ってきて、直ぐにカラマツ沢に入っていった。
そして我々が辿るのは二俣の合尾根となっている正面の急な尾根である。

登り始めて直ぐに気が付いたが、以前登った時より踏み跡が薄くなっていて、赤テープの類はほとんどない。
足場になるステップもないので、急登では半分木登り的に木が頼りの登りになる。
ヤセ尾根を通過して少し登ると、オオイワカガミが彼方此方で咲いていた。

緑の新緑の中に一際鮮やかに見えるムラサキヤシオツツジ。

風がないと蒸し暑さも感じる藪の踏み跡をひたすら登る。

左手に岩場が見えたところと急登すると、またヤセ尾根に出るが、ここから梢越しに鳥海山の山頂部が望めた。
結構至近距離にあるので迫力が凄い。

647m独標まで登ると東から少しだけ涼しい風が吹いて来た。
ここで初めて北東側に展望が得られ、丁岳などが逆光の中に浮かんで見えていた。

薄藪の稜線を東に辿り、次のピークに向って南東にルートを変えるとネマガリタケの藪が濃くなる。
この東側に運よく雪堤が残っていたのでありがたく使わせてもらう。

雪堤を登っていて振り返ると、背後に鳥海山が大きく見えていて感動した。

実はGWの週刊予報では、4日は雨の予報だったので鳥海山が見えるところまでは期待していなかったのである。でもやはり至近距離で鳥海山が見えた時の感動は大きく、この景観なくして注連石の魅力は半減していたであろう。

イヌツゲの藪が繁茂した次の小ピークに登りつめ、尾根の続きを見て驚かない方はいないと思う。
ちょっと見、通過不可能に見えるナイフリッジがそこにあるのだから・・・

このナイフリッジの先にちょこんと飛び出した岩塔が注連石なのだが、この写真からは霊験あらたかな感じは全くしない。
ナイフリッジは岩がボロボロで、その上をバランスで歩くのは危険。
左側の灌木を頼りに、藪漕ぎ気味に通過した。
振り返ってみたナイフリッジ。
落ちたら助からないほど切れ落ちている。

この先も以前より藪が濃くなった。
ほとんど踏み跡もない藪で、一部は足が地面に着かない空中戦を余儀なくされるが、その距離は短い。
やがて前方が一気に切れ落ちた岩場の上に出る。
尾根続きの680mの鋭峰、その右手が720mの平頂。
720m峰の右手奥に弁慶山の馬蹄形障壁の一部をなす751m峰が見えている。

メンバーが注連石の上に立った。
この位置から見た注連石は正に神の降臨する岩座に見えてくる。

ご神体の岩場と、奉納されて時が経ち錆びついた神剣。

680mの鋭峰の左手に険しく聳えるトイシ沢左岸の山々。

大禿沢下流域の無名の山々を見る。
標高では決して測れない山の奥深さを感じる。

荒々しい弁慶山地の山の風景を堪能して、藪道の往路を返す。
登りで藪を漕ぎながら苦労して登った急坂も、下りはかなり速いスピードで降りられた。
トイシ沢の沢床まで降りてから昼食にする。
マスさんお手製のケーキ『タルト オ プリューノ ア ラ クレーム』と言うケーキで、カスタードクリームとプルーンの酸味が融け合ってとても食べやすい。

morinoさんからイチゴをいただいた。

次はトイシ沢を遡って鬼のカケハシを目指す。
鳥海山の初期の開拓者である故池田昭二さん監修の旺文社合エリアマップ『旧版:鳥海山』によると、鬼のカケハシはトイシ沢上流の二俣の位置になっていて、『大ゴルジュ鬼のかけ橋』の一文が添えられている。
以前はその実態も位置も全く不明のままトイシ沢を遡行していったが、前回二俣の左俣から少し上流に遡ったところにあるコップ状岩壁に落ちる大きな滝が鬼のカケハシと確信した。
ワサビの花が咲く穏やかな沢筋を登って行く。

残雪も現れてきた。

前に来た時に鬼のカケハシと誤認した柱状節理の発達したクーロワールの出合。
地形図で見ると、この急峻な枝沢こそが、注連石の南に駆け上っている沢と分かる。

やがて680m鋭峰の山裾に着く。
そこは柱状節理の大きな岩場となっていた。

その先、僅かな距離で岩場に三方が囲まれたコップ状の岩壁の下に着く。
そこは膨大な雪崩のデブリが集積した雪渓になっていた。
この場所が鬼のカケハシと言われたらしい。

前回来たときよりデブリの量が多いようで、左に流れ込む直瀑はほとんど姿を隠していた。

右手の大きなすだれ状の滝は、落差40m以上ありそうな大きな滝であるが、名前はないらしい。

雪渓に隠れて滝の下部は見えないが、見えない部分だけでも10m以上の落差がありそうだ。

雪渓の上にいるメンバーと比較すると、滝の大きさが分かると思う。

雪渓の下流を見下ろす。
この光景だけ見たら、とても大きな滝がすぐ上流にあるとは思えない。

ここからトイシ沢を下って林道終点まで戻り、そこからまた4.5kmの林道を歩いて車に戻れた。
車に着いたあと、ぽつぽつと降り出してきた雨が本降りに変わった。
しかし前回一緒に登ったみいらさんとLisonさんのお二方が、この謎の修験道の歴史を調べたが、結果的に下記の様な僅かな情報しか得られなかった。
この山域一帯は過去に山伏の修験場であり、そのルートは注連石権現で修験の後、新山権現(場所不明であるが回峰順路としては弁慶山周辺か?)と相沢大権現で修験(ここは経ヶ蔵山のように感じる。)、その後鷹尾山で回峰を終えた。
現在、酒田CCゴルフ場になっている鷹尾山には三百坊谷地と言う湿地も現存している。
また『川南の羽黒』に対して『川北の鷹尾』と言う言葉があり、庄内地方に一大宗教勢力を誇った鷹尾山宝蔵寺は、新たに当地を治めた上杉景勝によって全て没収されたと言われている。
結局、時の為政者の都合によって、山形に於いては月山の山岳宗教だけが現在まで残り、その他(五所山、金峰山、翁山、そして朝日岳など)の山岳信仰は歴史の陰に埋没し、無かったものとされたのであろう。
でもどんなルートか現在は想像もつかないが、鷹尾山修験の修験者たちが、この奥深く険しい弁慶山を中心にした山々を回峰した事を想像するだけでも山旅をより味わい深いものにしてくれると思う。
帰り道、新庄市の一茶庵支店で名物のもつラーメンをいただき、この日もばっちり決まった。

GPS軌跡です。(クリックで拡大。)
動画です。

大禿沢林道に左折すると更に林道は荒れていて、山菜採りの方々は歩いて入山している感じであった。
大禿沢の右岸に流入する沢が多段の大きな滝を落としている。

林道歩きに飽きてくる頃、ようやく正面にこれから登る急峻な尾根が見えてきた。

林道終点から大禿沢に降りて、そこから沢筋を遡行する。
平瀬が多く、深い淵がないのでスパイク長靴なら楽に遡れた。

オオバキスミレの姿を見るのは今年は初めて。
これって山菜なんだけど、食べる人によっては下痢するので注意が必要。

右岸から流入する小沢には際どいスノーブリッジが出来ていた。
怖くてとても潜れる代物ではない。

流れは穏やかだけど、丸い石の上に乗ると酷く滑り易いので注意が必要だった。

ちょっと見応えのある滝が登場。

この滝の直ぐに上流で沢は二俣になる。
右が上流に鬼のカケハシがあるトイシ沢。左がカラマツ沢だ。
ここで山菜採りの男性がトイシ沢上流から下ってきて、直ぐにカラマツ沢に入っていった。
そして我々が辿るのは二俣の合尾根となっている正面の急な尾根である。

登り始めて直ぐに気が付いたが、以前登った時より踏み跡が薄くなっていて、赤テープの類はほとんどない。
足場になるステップもないので、急登では半分木登り的に木が頼りの登りになる。
ヤセ尾根を通過して少し登ると、オオイワカガミが彼方此方で咲いていた。

緑の新緑の中に一際鮮やかに見えるムラサキヤシオツツジ。

風がないと蒸し暑さも感じる藪の踏み跡をひたすら登る。

左手に岩場が見えたところと急登すると、またヤセ尾根に出るが、ここから梢越しに鳥海山の山頂部が望めた。
結構至近距離にあるので迫力が凄い。

647m独標まで登ると東から少しだけ涼しい風が吹いて来た。
ここで初めて北東側に展望が得られ、丁岳などが逆光の中に浮かんで見えていた。

薄藪の稜線を東に辿り、次のピークに向って南東にルートを変えるとネマガリタケの藪が濃くなる。
この東側に運よく雪堤が残っていたのでありがたく使わせてもらう。

雪堤を登っていて振り返ると、背後に鳥海山が大きく見えていて感動した。

実はGWの週刊予報では、4日は雨の予報だったので鳥海山が見えるところまでは期待していなかったのである。でもやはり至近距離で鳥海山が見えた時の感動は大きく、この景観なくして注連石の魅力は半減していたであろう。

イヌツゲの藪が繁茂した次の小ピークに登りつめ、尾根の続きを見て驚かない方はいないと思う。
ちょっと見、通過不可能に見えるナイフリッジがそこにあるのだから・・・

このナイフリッジの先にちょこんと飛び出した岩塔が注連石なのだが、この写真からは霊験あらたかな感じは全くしない。
ナイフリッジは岩がボロボロで、その上をバランスで歩くのは危険。
左側の灌木を頼りに、藪漕ぎ気味に通過した。
振り返ってみたナイフリッジ。
落ちたら助からないほど切れ落ちている。

この先も以前より藪が濃くなった。
ほとんど踏み跡もない藪で、一部は足が地面に着かない空中戦を余儀なくされるが、その距離は短い。
やがて前方が一気に切れ落ちた岩場の上に出る。
尾根続きの680mの鋭峰、その右手が720mの平頂。
720m峰の右手奥に弁慶山の馬蹄形障壁の一部をなす751m峰が見えている。

メンバーが注連石の上に立った。
この位置から見た注連石は正に神の降臨する岩座に見えてくる。

ご神体の岩場と、奉納されて時が経ち錆びついた神剣。

680mの鋭峰の左手に険しく聳えるトイシ沢左岸の山々。

大禿沢下流域の無名の山々を見る。
標高では決して測れない山の奥深さを感じる。

荒々しい弁慶山地の山の風景を堪能して、藪道の往路を返す。
登りで藪を漕ぎながら苦労して登った急坂も、下りはかなり速いスピードで降りられた。
トイシ沢の沢床まで降りてから昼食にする。
マスさんお手製のケーキ『タルト オ プリューノ ア ラ クレーム』と言うケーキで、カスタードクリームとプルーンの酸味が融け合ってとても食べやすい。

morinoさんからイチゴをいただいた。

次はトイシ沢を遡って鬼のカケハシを目指す。
鳥海山の初期の開拓者である故池田昭二さん監修の旺文社合エリアマップ『旧版:鳥海山』によると、鬼のカケハシはトイシ沢上流の二俣の位置になっていて、『大ゴルジュ鬼のかけ橋』の一文が添えられている。
以前はその実態も位置も全く不明のままトイシ沢を遡行していったが、前回二俣の左俣から少し上流に遡ったところにあるコップ状岩壁に落ちる大きな滝が鬼のカケハシと確信した。
ワサビの花が咲く穏やかな沢筋を登って行く。

残雪も現れてきた。

前に来た時に鬼のカケハシと誤認した柱状節理の発達したクーロワールの出合。
地形図で見ると、この急峻な枝沢こそが、注連石の南に駆け上っている沢と分かる。

やがて680m鋭峰の山裾に着く。
そこは柱状節理の大きな岩場となっていた。

その先、僅かな距離で岩場に三方が囲まれたコップ状の岩壁の下に着く。
そこは膨大な雪崩のデブリが集積した雪渓になっていた。
この場所が鬼のカケハシと言われたらしい。

前回来たときよりデブリの量が多いようで、左に流れ込む直瀑はほとんど姿を隠していた。

右手の大きなすだれ状の滝は、落差40m以上ありそうな大きな滝であるが、名前はないらしい。

雪渓に隠れて滝の下部は見えないが、見えない部分だけでも10m以上の落差がありそうだ。

雪渓の上にいるメンバーと比較すると、滝の大きさが分かると思う。

雪渓の下流を見下ろす。
この光景だけ見たら、とても大きな滝がすぐ上流にあるとは思えない。

ここからトイシ沢を下って林道終点まで戻り、そこからまた4.5kmの林道を歩いて車に戻れた。
車に着いたあと、ぽつぽつと降り出してきた雨が本降りに変わった。
しかし前回一緒に登ったみいらさんとLisonさんのお二方が、この謎の修験道の歴史を調べたが、結果的に下記の様な僅かな情報しか得られなかった。
この山域一帯は過去に山伏の修験場であり、そのルートは注連石権現で修験の後、新山権現(場所不明であるが回峰順路としては弁慶山周辺か?)と相沢大権現で修験(ここは経ヶ蔵山のように感じる。)、その後鷹尾山で回峰を終えた。
現在、酒田CCゴルフ場になっている鷹尾山には三百坊谷地と言う湿地も現存している。
また『川南の羽黒』に対して『川北の鷹尾』と言う言葉があり、庄内地方に一大宗教勢力を誇った鷹尾山宝蔵寺は、新たに当地を治めた上杉景勝によって全て没収されたと言われている。
結局、時の為政者の都合によって、山形に於いては月山の山岳宗教だけが現在まで残り、その他(五所山、金峰山、翁山、そして朝日岳など)の山岳信仰は歴史の陰に埋没し、無かったものとされたのであろう。
でもどんなルートか現在は想像もつかないが、鷹尾山修験の修験者たちが、この奥深く険しい弁慶山を中心にした山々を回峰した事を想像するだけでも山旅をより味わい深いものにしてくれると思う。
帰り道、新庄市の一茶庵支店で名物のもつラーメンをいただき、この日もばっちり決まった。

GPS軌跡です。(クリックで拡大。)
動画です。
コメント
コメント一覧 (4)
親しい山仲間がみんな行っているのに私だけ行っていませんでした(^^;)
ようやく行けた注連石と鬼のカケハシは想像以上の素晴らしさでした。
埋もれた歴史に想いを馳せながらの山行は感動的です。
温泉で偶然山友と逢えたのも最高。
又よろしくお願いします。
やっと念願適って行けて良かったですね。
藪漕ぎと言っても密藪じゃないので、藪に慣れた人なら行きやすい場所ですね。
しかし回峰のコースは更に奥深く入っていたはずですので、昔の人の信仰心には恐れ入ります。
まさか温泉でみどぽんさんに会えるとは思いませんでした。
PS 今日も山葵をつまんでいます(笑)
あの藪尾根の先にあんな岩塔があるとは思いませんよね。
鳥海山が見えるのと見えないのとでは全く達成感が違います。
ワサビはもう食べつくしてしまいました。