平日であるが仕事に都合がついたので、ヒメサユリが見ごろを迎えたと思われる大朝日岳に登ってきた。
実はこの日は月山でクロユリ&キヌガサソウを見るか、大朝日岳でヒメサユリを見るか二者択一で悩んでいたが、より見栄えがするヒメサユリに気持ちが傾いてしまったのである(笑)
【 6╱14 大朝日岳(1871m) 山形・朝日連峰 】
古寺鉱泉~一服清水~ハナヌキ峰分岐~三沢清水~古寺山~小朝日岳~熊越~銀玉水~大朝日岳~ 銀玉水~熊越~古寺山~三沢清水~ハナヌキ峰分岐~一服清水~古寺鉱泉
大朝日岳に登る時は日暮沢から周回するか、朝日鉱泉から周回するルートを採ることが多く、古寺鉱泉からピストンする今回のルートは約20年ぶりとなる。
大朝日岳はヒメサユリが咲く頃を除くと高山植物が少ないコースなので、あまり足が向かない入山口であった。
しかし日暮沢は根子集落から先の林道が不通であり、朝日鉱泉も白滝口の少し先までしか車で入れないため、どうしても古寺鉱泉からの道を選ばざるを得なかった。
そんな訳で、朝日連峰の中では一番行程が楽なコース故に、登山開始は午前6時過ぎと、何時もより2時間程度遅い出発となった。
駐車場から少し歩くと古寺鉱泉が見えてくる。
この建物を見ていると、私が登山を始めた40年前にタイムスリップした様な感じがする。

実はこの日は月山でクロユリ&キヌガサソウを見るか、大朝日岳でヒメサユリを見るか二者択一で悩んでいたが、より見栄えがするヒメサユリに気持ちが傾いてしまったのである(笑)
【 6╱14 大朝日岳(1871m) 山形・朝日連峰 】
古寺鉱泉~一服清水~ハナヌキ峰分岐~三沢清水~古寺山~小朝日岳~熊越~銀玉水~大朝日岳~ 銀玉水~熊越~古寺山~三沢清水~ハナヌキ峰分岐~一服清水~古寺鉱泉
大朝日岳に登る時は日暮沢から周回するか、朝日鉱泉から周回するルートを採ることが多く、古寺鉱泉からピストンする今回のルートは約20年ぶりとなる。
大朝日岳はヒメサユリが咲く頃を除くと高山植物が少ないコースなので、あまり足が向かない入山口であった。
しかし日暮沢は根子集落から先の林道が不通であり、朝日鉱泉も白滝口の少し先までしか車で入れないため、どうしても古寺鉱泉からの道を選ばざるを得なかった。
そんな訳で、朝日連峰の中では一番行程が楽なコース故に、登山開始は午前6時過ぎと、何時もより2時間程度遅い出発となった。
駐車場から少し歩くと古寺鉱泉が見えてくる。
この建物を見ていると、私が登山を始めた40年前にタイムスリップした様な感じがする。

鉱泉の脇にはヤマオダマキが一面に咲いていた。

右手に一段急坂を登ると尾根に出る。
ここからしばらくは緩登が続き、朝日連峰特有の取り付きの急登がない。
そんな体力的に優しい点で古寺鉱泉口は人気なのであろう。
しかし尾根が痩せてくるとヒメコマツの巨木が連なり、朝日連峰らしさが出てくる。

今年の春はブナの花付きが良く、残雪にコールタール状の粘々物質が敷き詰められた原因のように捉えられた事もあったが、ブナの花付きが良い年は過去に何度もあったのでそれは間違った認識である。
昨年3月に中国のPM2.5が飛散してきた時に、私は咳喘息を発症してしまったのだが、粘々物質の正体は間違いなくPM2.5だと思う。
話が脇道にそれたが、今年はブナの実が豊作のようで、だいぶ大きくなった実が登山道沿いのブナの枝に確認できた。

一際目につく合体の樹。
ヒメコマツとブナが完全にくっついている状態であった。

尾根から離れてハナヌキ峰の南斜面を巻いて一服清水を通り過ぎ、トラバースしていくと、左手に古寺山の姿が見えてくる。

ハナヌキ峰分岐から登山道が雨水で掘れた急坂を登るようになる。
以前より登山道が整備されて歩きやすくなった。
三沢清水はホースが撤去されて、水は取れない。
山開き後でもこんな感じなら、今後は水場としての運用は止めたのかも???
古寺鉱泉から休憩を一切とらないで古寺山を目指す。
灌木帯に出て背後を振り返ると、端正な三角形の障子ヶ岳が見えていた。

その右手には月山、遥か左奥に鳥海山の姿も見える。

標高1500m付近はサラサドウダンが見ごろ。

東を見ると山形盆地は雲海に覆われている。
前日が雨で、朝方に平野部に雲海が出ているときは、午後から必ずにわか雨に降られると思って間違いはない。
やがて雲底が上がってきて山はガスに包まれるであろう。

ムラサキヤシオツツジ。今年は何度も綺麗な花を見た感じがする。

古寺山に着くと朝日連峰主稜線の大観がようやく広がる。
空気が澄んでいて山々が近く感じた。

大朝日岳のアップ。

最近は巻き道を歩いて登ることが少なかった小朝日岳に登ることにした。

古寺山から小朝日岳の間にはヒメサユリが結構咲いていて、毎回足を止めて見入ってしまう。


巻き道の分岐付近から見上げた小朝日岳。
今年は残雪が極端に少ないようだ。

小朝日岳と峰続きの鳥原山。
天気が安定していれば鳥原山まで行く予定であったが、朝9時前なのにガスが湧き上がってきた。

小朝日岳から眺めた主稜線。

竜門山と寒江山。
日暮沢までの林道は砂防ダムまでは早晩開通するらしいが、それより奥は林野庁管轄で予算が取れずに、開通の目途が立っていないらしい。
でもタカネマツムシソウの咲く頃には寒江山に登ってみたいものである。

小朝日岳から眺めた大朝日岳は、朝日連峰の中でも一級品の展望と思っているが、残念ながら大朝日岳は朝日川から湧き上がってくるガスに隠れていた。
しかし何としても写真を撮りたいので、約30分弱粘って撮った写真がコレ。

熊越の手前で見かけたヒメサユリの群落。
ニッコウキスゲは咲きはじめで、蕾のものが多かった。

熊越から見下ろした黒倉沢。
写真では見えないがあちらこちらにコバイケイソウが咲いていた。

熊越から銀玉水までの区間が朝日連峰随一のヒメサユリロードになる。
咲き誇るヒメサユリを見ながら歩いていくと、八重のヒメサユリを見つけた。
よく観察するとめしべが二本。どうも二つの花びらが合体してしまったものらしい。

あまり目立たないけど、アップで見ると可憐なウゴクツクバネウツギ。

小朝日岳を振り返る。
澄んだ青空が短時間で曇ってしまった。

今はナナカマドの花が満開。

足元にはアカモノの花が続いている。

ヒメサユリは未だ一番花。
痛んだ花びらが少ない。
蕾もかなり多く、全体としてみれば五分咲きといった感じ。


乾燥した場所に多く咲いているマルバシモツケ。

ハクサンチドリはあまり群生はしていないが、道中あちこちで見かけた。

大朝日岳の山頂は雲で隠れたり、再び顔を出したりを繰り返している。

銀玉水が近づいてくる手前で、登山道の両脇がヒメサユリで埋め尽くされている様な場所があった。

まるで有料のユリ園の中にいるような錯覚に陥る。

この群生地を見ただけでも登ってきた価値があったと感じた。

銀玉水で手が切れる様な冷たい湧き水を飲んで一息つく。
上部にある雪田の面積は小さい。
早朝じゃないので雪面は柔く、アイゼンなしでも簡単に登れる状態であった。
登りきると灌木がなくなり高山帯の植生に変わる。
ここから第二の目的であったヒナウスユキソウが咲いている。

北に続く朝日連峰の主稜線は完全にガス隠れ、唯一北隣の中岳のみ見えていた。

標高1769m独標の小さなピークのところに霊山朝日嶽神社奥宮の石碑が建っている。
左手の岩場のところに小さな石祠が祀られている。御祭神は天照大日霊貴尊(あまてらすおおひるめむちのみこと)、建御名方命(たけみなかたのみこと)で、鳥原山にある朝日嶽神社の奥宮がここに当たる。

ここで簡単に朝日修験について記しておく。(参考文献は『越後の山旅 藤島玄著』)
役ノ小角は白鳳8年、朝日岳の頂上に天照大御神を祀り、奥朝日岳(西朝日岳)に建御名方神、別雷神、天之水分神、国之水分神を祀った。
更に中ノ岳に月読命、豊宇気比売神、阿須波神。前ノ岳(鳥原山)に御田神、天光稲荷神と八百万神を祀った。
役ノ小角は第一回の開山より24年後に再度来山して、弟子の覺道を山麓に留め、諸神に奉仕させた。
後に天慶ノ乱の平将門の残党、平家滅亡の残党が朝日山麓に逃れてきて、その後、鎌倉幕府の執権最明寺時頼が諸国行脚の最中、当地に立ち寄り、平家の残党と朝日修験の強大な勢力を憂慮して、朝日岳の封山閉鎖の弾圧を加え、朝日権現の堂塔破却、仏像仏具の朝日川への投棄などが行われたと言われている。
以来宗徒は四散し、秘密の少数の登拝者だけになったと言われる。
朝日修験は西村山郡西五百川水口に川口寺、太郎対岸の野々山の山泉坊、西川町七軒の千源寺。長井町豊田の極楽寺、平野村寺泉の岩上寺など盛期には三千余りの寺院宿坊があったとされている。
しかし北隣の月山修験と近い距離に二派の信仰が発生すれば、そこには猛烈な勢力争いがあったと想像できよう。
結局、朝日権現が湯殿権現との宗教対立に負けて、一部の伝説としてしか残らなかった事実が、写真の小さな石祠を見て偲ばれるのみである。
小ピークの近くに咲くチングルマの花は終盤。

雲に隠れていた山頂がまた見えてきた。

大朝日避難小屋には立ち寄らず、小屋の脇を通過して山頂を目指す。
コイワカガミとヒナウスユキソウの紅白のコラボが美しい。

大朝日岳山頂には単独の男性一名しかいなかった。
ガスが去来してほとんど展望は得られない。

食事をとっていると、ガスが飛んで眼下に平岩山の姿が見えてきた。

西朝日岳の壮絶な雪蝕地形が見られるか期待したが、結局谷の下部しか見えなかった。
でも山頂西側に咲き誇るヒナウスユキソウの群落を見られたので満足である。


ヒナウスユキソウは咲きはじめなので、まだ草丈が低く可憐に見える。

山頂から下っていくと、避難小屋と朝日嶽神社奥宮のあるピークが見えていた。

銀玉水上部にある雪田を下る。
ここで庄内町在住の写真家佐藤要さんとすれ違い言葉を交わす。
佐藤さんは東北地方の山々をテーマにした『山歩きの 雑記帳』という冊子の刊行を長く続けている。
その冊子は山形県の主な書店で購入できる。

雪田を下る途中で眺めた竜門山。

登りの時はガスって見えていなかった銀玉水上部の雪田を振り返り見る。

帰路はマクロレンズに交換して花の写真を撮りながら下ろうと思っていたが、途中から小雨が降り始めてあまり写真は撮れなかった。
小朝日岳の巻き道はズダヤクシュの花畑になっている。

古寺山手前のシラネアオイ。
この場所では毎回見事な花を見せてくれる。

古寺山でゆっくり休憩してコーヒーを飲もうと楽しみにしていたが、急に本格的な雨が降り出してきて断念。
デジ一眼、コンデジ、GPS、そして三脚の全てをザックに入れ、足早に下山した。
古寺山からは少しの距離で樹林帯に入るので、雨具は着ないで車に戻ったが、1時間30分ぐらい降られたであろうか。雨具を着て汗で濡れるより、雨で濡れた方が気持ちよかった。
まあ天気予報通りににわか雨に降られ、主稜線の展望もあまり得られない山行であったが、ヒメサユリの花を充分見れたので大満足の山であった。
でも古寺鉱泉からのピストンは主稜線を歩かない分、花も少ないので、ヒメサユリの花期を除いては余り好きにはなれない。
今回はメインルートなのでGPSの軌跡は割愛します。
動画です。

右手に一段急坂を登ると尾根に出る。
ここからしばらくは緩登が続き、朝日連峰特有の取り付きの急登がない。
そんな体力的に優しい点で古寺鉱泉口は人気なのであろう。
しかし尾根が痩せてくるとヒメコマツの巨木が連なり、朝日連峰らしさが出てくる。

今年の春はブナの花付きが良く、残雪にコールタール状の粘々物質が敷き詰められた原因のように捉えられた事もあったが、ブナの花付きが良い年は過去に何度もあったのでそれは間違った認識である。
昨年3月に中国のPM2.5が飛散してきた時に、私は咳喘息を発症してしまったのだが、粘々物質の正体は間違いなくPM2.5だと思う。
話が脇道にそれたが、今年はブナの実が豊作のようで、だいぶ大きくなった実が登山道沿いのブナの枝に確認できた。

一際目につく合体の樹。
ヒメコマツとブナが完全にくっついている状態であった。

尾根から離れてハナヌキ峰の南斜面を巻いて一服清水を通り過ぎ、トラバースしていくと、左手に古寺山の姿が見えてくる。

ハナヌキ峰分岐から登山道が雨水で掘れた急坂を登るようになる。
以前より登山道が整備されて歩きやすくなった。
三沢清水はホースが撤去されて、水は取れない。
山開き後でもこんな感じなら、今後は水場としての運用は止めたのかも???
古寺鉱泉から休憩を一切とらないで古寺山を目指す。
灌木帯に出て背後を振り返ると、端正な三角形の障子ヶ岳が見えていた。

その右手には月山、遥か左奥に鳥海山の姿も見える。

標高1500m付近はサラサドウダンが見ごろ。

東を見ると山形盆地は雲海に覆われている。
前日が雨で、朝方に平野部に雲海が出ているときは、午後から必ずにわか雨に降られると思って間違いはない。
やがて雲底が上がってきて山はガスに包まれるであろう。

ムラサキヤシオツツジ。今年は何度も綺麗な花を見た感じがする。

古寺山に着くと朝日連峰主稜線の大観がようやく広がる。
空気が澄んでいて山々が近く感じた。

大朝日岳のアップ。

最近は巻き道を歩いて登ることが少なかった小朝日岳に登ることにした。

古寺山から小朝日岳の間にはヒメサユリが結構咲いていて、毎回足を止めて見入ってしまう。


巻き道の分岐付近から見上げた小朝日岳。
今年は残雪が極端に少ないようだ。

小朝日岳と峰続きの鳥原山。
天気が安定していれば鳥原山まで行く予定であったが、朝9時前なのにガスが湧き上がってきた。

小朝日岳から眺めた主稜線。

日暮沢までの林道は砂防ダムまでは早晩開通するらしいが、それより奥は林野庁管轄で予算が取れずに、開通の目途が立っていないらしい。
でもタカネマツムシソウの咲く頃には寒江山に登ってみたいものである。

小朝日岳から眺めた大朝日岳は、朝日連峰の中でも一級品の展望と思っているが、残念ながら大朝日岳は朝日川から湧き上がってくるガスに隠れていた。
しかし何としても写真を撮りたいので、約30分弱粘って撮った写真がコレ。

熊越の手前で見かけたヒメサユリの群落。
ニッコウキスゲは咲きはじめで、蕾のものが多かった。

熊越から見下ろした黒倉沢。
写真では見えないがあちらこちらにコバイケイソウが咲いていた。

熊越から銀玉水までの区間が朝日連峰随一のヒメサユリロードになる。
咲き誇るヒメサユリを見ながら歩いていくと、八重のヒメサユリを見つけた。
よく観察するとめしべが二本。どうも二つの花びらが合体してしまったものらしい。

あまり目立たないけど、アップで見ると可憐なウゴクツクバネウツギ。

小朝日岳を振り返る。
澄んだ青空が短時間で曇ってしまった。

今はナナカマドの花が満開。

足元にはアカモノの花が続いている。

ヒメサユリは未だ一番花。
痛んだ花びらが少ない。
蕾もかなり多く、全体としてみれば五分咲きといった感じ。


乾燥した場所に多く咲いているマルバシモツケ。

ハクサンチドリはあまり群生はしていないが、道中あちこちで見かけた。

大朝日岳の山頂は雲で隠れたり、再び顔を出したりを繰り返している。

銀玉水が近づいてくる手前で、登山道の両脇がヒメサユリで埋め尽くされている様な場所があった。

まるで有料のユリ園の中にいるような錯覚に陥る。

この群生地を見ただけでも登ってきた価値があったと感じた。

銀玉水で手が切れる様な冷たい湧き水を飲んで一息つく。
上部にある雪田の面積は小さい。
早朝じゃないので雪面は柔く、アイゼンなしでも簡単に登れる状態であった。
登りきると灌木がなくなり高山帯の植生に変わる。
ここから第二の目的であったヒナウスユキソウが咲いている。

北に続く朝日連峰の主稜線は完全にガス隠れ、唯一北隣の中岳のみ見えていた。

標高1769m独標の小さなピークのところに霊山朝日嶽神社奥宮の石碑が建っている。
左手の岩場のところに小さな石祠が祀られている。御祭神は天照大日霊貴尊(あまてらすおおひるめむちのみこと)、建御名方命(たけみなかたのみこと)で、鳥原山にある朝日嶽神社の奥宮がここに当たる。

ここで簡単に朝日修験について記しておく。(参考文献は『越後の山旅 藤島玄著』)
役ノ小角は白鳳8年、朝日岳の頂上に天照大御神を祀り、奥朝日岳(西朝日岳)に建御名方神、別雷神、天之水分神、国之水分神を祀った。
更に中ノ岳に月読命、豊宇気比売神、阿須波神。前ノ岳(鳥原山)に御田神、天光稲荷神と八百万神を祀った。
役ノ小角は第一回の開山より24年後に再度来山して、弟子の覺道を山麓に留め、諸神に奉仕させた。
後に天慶ノ乱の平将門の残党、平家滅亡の残党が朝日山麓に逃れてきて、その後、鎌倉幕府の執権最明寺時頼が諸国行脚の最中、当地に立ち寄り、平家の残党と朝日修験の強大な勢力を憂慮して、朝日岳の封山閉鎖の弾圧を加え、朝日権現の堂塔破却、仏像仏具の朝日川への投棄などが行われたと言われている。
以来宗徒は四散し、秘密の少数の登拝者だけになったと言われる。
朝日修験は西村山郡西五百川水口に川口寺、太郎対岸の野々山の山泉坊、西川町七軒の千源寺。長井町豊田の極楽寺、平野村寺泉の岩上寺など盛期には三千余りの寺院宿坊があったとされている。
しかし北隣の月山修験と近い距離に二派の信仰が発生すれば、そこには猛烈な勢力争いがあったと想像できよう。
結局、朝日権現が湯殿権現との宗教対立に負けて、一部の伝説としてしか残らなかった事実が、写真の小さな石祠を見て偲ばれるのみである。
小ピークの近くに咲くチングルマの花は終盤。

雲に隠れていた山頂がまた見えてきた。

大朝日避難小屋には立ち寄らず、小屋の脇を通過して山頂を目指す。
コイワカガミとヒナウスユキソウの紅白のコラボが美しい。

大朝日岳山頂には単独の男性一名しかいなかった。
ガスが去来してほとんど展望は得られない。

食事をとっていると、ガスが飛んで眼下に平岩山の姿が見えてきた。

西朝日岳の壮絶な雪蝕地形が見られるか期待したが、結局谷の下部しか見えなかった。
でも山頂西側に咲き誇るヒナウスユキソウの群落を見られたので満足である。


ヒナウスユキソウは咲きはじめなので、まだ草丈が低く可憐に見える。

山頂から下っていくと、避難小屋と朝日嶽神社奥宮のあるピークが見えていた。

銀玉水上部にある雪田を下る。
ここで庄内町在住の写真家佐藤要さんとすれ違い言葉を交わす。
佐藤さんは東北地方の山々をテーマにした『山歩きの 雑記帳』という冊子の刊行を長く続けている。
その冊子は山形県の主な書店で購入できる。

雪田を下る途中で眺めた竜門山。

登りの時はガスって見えていなかった銀玉水上部の雪田を振り返り見る。

帰路はマクロレンズに交換して花の写真を撮りながら下ろうと思っていたが、途中から小雨が降り始めてあまり写真は撮れなかった。
小朝日岳の巻き道はズダヤクシュの花畑になっている。

古寺山手前のシラネアオイ。
この場所では毎回見事な花を見せてくれる。

古寺山でゆっくり休憩してコーヒーを飲もうと楽しみにしていたが、急に本格的な雨が降り出してきて断念。
デジ一眼、コンデジ、GPS、そして三脚の全てをザックに入れ、足早に下山した。
古寺山からは少しの距離で樹林帯に入るので、雨具は着ないで車に戻ったが、1時間30分ぐらい降られたであろうか。雨具を着て汗で濡れるより、雨で濡れた方が気持ちよかった。
まあ天気予報通りににわか雨に降られ、主稜線の展望もあまり得られない山行であったが、ヒメサユリの花を充分見れたので大満足の山であった。
でも古寺鉱泉からのピストンは主稜線を歩かない分、花も少ないので、ヒメサユリの花期を除いては余り好きにはなれない。
今回はメインルートなのでGPSの軌跡は割愛します。
動画です。
コメント
コメント一覧 (10)
けど、SONEさんの写真みてなんだか行って来たような気分になってます
三沢清水はそろそろ使えるようになる気がします。去年は6/21犬猫馬さんが登ってまだ使えず。その一週間後6/27私が登ったときはOKでした。もしかすると大江山岳会の”ヒメサユリ鑑賞登山”にあわせて水場を整備しているのかも?っとの勝手な予想です
最近は必ず午後から一降りくるみたいですね。
この日はもっと早朝から登れば晴れた主稜線まで登れましたが、古寺口からだったので遅い出発になってしまいました。
後1週間程度はヒメサユリの見ごろが続くと思います。
三沢清水はパイプが無くなっていましたので、今から担ぎあげるのは大変でしょうね。
とてもイイ場所にあった水場なので早く再整備して欲しいものです。
そろそろ月山でもと思っていましたが、久しぶりに大朝日岳に行きたくなりました。
日暮沢が使いにくいのが辛い。(はい、根性なしです)
来週の天気はどうでしょうね。
月山は気軽に登れますが、朝日連峰の山々は気合が必要ですね。
花は月山ですが、朝日の山岳景観はそれを上回ります。
日暮沢、早く林道が開通して欲しいものです。
来週末は天気が良さそうですね。
きっと、この日はヒメサユリの当たり日だったのでしょう。
素晴らしいですね。
いつか、大鳥池から歩いてみたいと思っています。
佐藤さんの『山歩きの 雑記帳』は3年前に№4から№13まで御本人から求めました。
写真がきれいで説明もわかりやすい冊子ですね。
今、取り出して弁慶山を見てます。
暑い日が続いていたのでヒメサユリの開花が一気に進んでしまったようですね。
一番花の最高に綺麗な時に出会えましたが、なかなかこんなチャンスに出会うことはないようです。
私も大鳥池からは繋ぎ縦走しかしていませんので何時かは実現したいものです。
月山にもウスユキソウは咲きますが、朝日で見た方が有難味があるように感じます。
山歩きの雑記帳は冊子ですが内容が濃く、山岳紀行文としては充実したいますよね。
今年は花の時期が10日以上早いのでヒメサユリはもう終盤かもしれません。
以東岳の方だとニッコウキスゲとヒメサユリが同時に見られる場所もありますよ。