今年の8月の仙台はほとんど霧雨の肌寒い天気で朝を迎える。
20日・日曜日も鬱陶しい雨の朝だった。
この日の気圧配置では標高1000mを越える山は何処もガス、もしくは雨にようなので、朝の天気予報と各地のライブカメラを確認の上、行く山を決めようと思っていた。
そこで未だ登っていない、山形百名山にも選定された肘折温泉の地蔵倉と、鮭川村の米太平山に行くことにした。
【 8╱20 地蔵倉(約450m)と種活沢山(206m) 山形・最上地方の低山 】
●地蔵倉:国道458号と肘折温泉へ下る県道の分岐~地蔵倉入口~男岩~子造り地蔵~一本松~地蔵倉(往復)
●種活沢山:米(よね)湿原駐車場~一周コース分岐~米湿原~一周コース分岐~米堤~送電線最上幹線巡視路入口~三吉大権現碑~米大平山~鳥海山展望ポイント~種活沢山~林道~車道~展望台分岐~展望台~車道~米湿原駐車場
午前9時に自宅を出る。
県境の鍋越峠を越えると霧雨は止み、雲間に青空も見える天気になる。
国道458号線は肘折温泉へ分岐する県道の三叉路から先が通行止めになっていた。
十部一峠付近で崩落した道路の補修が現在も行われているようだ。
三叉路の広い路肩に車を停めて、カメラだけ持って手ブラで地蔵倉へ向かう。
国道を少し南に歩くと地蔵倉の入口があった。

20日・日曜日も鬱陶しい雨の朝だった。
この日の気圧配置では標高1000mを越える山は何処もガス、もしくは雨にようなので、朝の天気予報と各地のライブカメラを確認の上、行く山を決めようと思っていた。
そこで未だ登っていない、山形百名山にも選定された肘折温泉の地蔵倉と、鮭川村の米太平山に行くことにした。
【 8╱20 地蔵倉(約450m)と種活沢山(206m) 山形・最上地方の低山 】
●地蔵倉:国道458号と肘折温泉へ下る県道の分岐~地蔵倉入口~男岩~子造り地蔵~一本松~地蔵倉(往復)
●種活沢山:米(よね)湿原駐車場~一周コース分岐~米湿原~一周コース分岐~米堤~送電線最上幹線巡視路入口~三吉大権現碑~米大平山~鳥海山展望ポイント~種活沢山~林道~車道~展望台分岐~展望台~車道~米湿原駐車場
午前9時に自宅を出る。
県境の鍋越峠を越えると霧雨は止み、雲間に青空も見える天気になる。
国道458号線は肘折温泉へ分岐する県道の三叉路から先が通行止めになっていた。
十部一峠付近で崩落した道路の補修が現在も行われているようだ。
三叉路の広い路肩に車を停めて、カメラだけ持って手ブラで地蔵倉へ向かう。
国道を少し南に歩くと地蔵倉の入口があった。

階段を登った右手に肘折温泉と地蔵倉の由来が記載された看板が立っている。

その横に観音様が彫られた道標と、背後に大きな男岩が露出している。

参拝者や観光客も歩く事を前提とした道なので、参道は整備されていて歩きやすい。
しかし雨上がりの今は、一部ぬかるんだ場所があった。

濡れた木製のベンチには湿気が多いためキノコが生えていた。

スギ林の暗い森の一隅に、表面が縦に割れた岩の中に子造り地蔵が祀られている。

右に道が折れると直ぐにカルデラの爆発によって形成された火口壁をトラバースする道になる。
かなり危なっかしく見えるが、頑丈な鉄製の手すりが設置されているので怖くない。
この手すりは冬場は雪崩で壊されるのを恐れて撤去できる作りになっていた。

トラバース路から西側を望む。
晴れていれば月山や高倉山が見えると言われるが、右から740m峰、志賀山(平頂)、そして高倉山積雪期ルート上にある797m峰(中央少し右)までしか見えていなかった。

一本松のところから左折し、足場が彫られた急坂を登る。

ヒメコマツの一本松を振り返る。
背後に三角山が望める。

急坂が終わると、右手の斜面へ再びトラバースする。
やがて行く手に凝灰岩のオーバーハングした岩窟がある地蔵倉に着く。
岩の下に六地蔵が祀られているが、数えてみると十体祀られていた。
背後に建つ木造の建物が本殿である。

岩場に近づいてみると、無数の岩孔が開いており、五円玉が付いた紙縒りが孔に通して結ばれている。
願い事を念じながら岩孔に紙縒りを通す事ができれば願い事が適うと言われ、特に縁結びの神として多くの参拝者があると言われている。

本殿の扉を開けて参拝すると、内部には多くの千羽鶴が奉納されていた。

本殿の所から地蔵倉の岩窟を振り返る。
かなりな高さを持った岩窟と感じた。

本殿の裏側に回り込んでも、願い事を込めた紙縒りが沢山岩に付けられている。
地面には沢山のアリジゴクの罠があった。

優しい御顔の六地蔵を眺めてから下山する。

車に戻って、カーナビで次の山:米太平山を目指す。
一応カーナビで目的地設定してから車を走らせた。
新庄市升形から北上し、左道地区から米(よね)湿原の看板に従って左折。
狭い舗装道路で一山越えると左手に米湿原の大きな駐車場があった。
そこに米湿原の詳しい説明看板が設置されている。

この山は米大平山登山もあるので、ザックを背負って歩きだす。
最初に分岐を左折して米湿原へ向かった。

歩道の左斜面に巨大なオオイワウチワの葉っぱが群生している。
オオイイワウチワの花は白、もしくは薄いピンクが多いが、この地に咲く花は普通のイワカガミのようにピンクが濃いとか。花期に見てみたい大群落だった。

沢筋へ下っていく途中、ホツツジの花を見つける。

湿地に出ると木道が整備されていた。
以前は細長い田んぼがあったらしいが、今は葦が伸びている。
5月頃はクリンソウ、今はコバギボウシが多く咲いていた。

ヒョロヒョロした草丈の高いアザミはダキバヒメアザミとの事。

日陰の濡れた木道は滑るので、そこはすり足で慎重に越えていくと米湿原に出る。

小さな低層湿原であるが、昔は葦を苅った場所であった。
しかし、時代の流れとともに人が立ち入らなくなり、荒れ放題になったらしい。
そこで米の地区民と鮭川村自然保護委員会が協力して復元活動を実施したとこ ろ、ザゼンソウやサギソウなどの貴重な植生が復元され、現在は村内屈指の観光スポットとして生まれ変わったと言われる。
今、湿原を飾るのはサワギキョウ(咲きはじめ:例年より一週間以上遅れている)。

そしてヨツバヒヨドリ。サワヒヨドリ。

そして絶滅危惧種IA類に指定され、山形県内でたった6か所しか自生地がないサギソウが咲いていた。

栽培品種のサギソウなら園芸店で販売しているが、野生のサギソウを見てマスさんと二人大感激。

湿原の奥にあるベンチに座って、湿原を見渡しながらお昼にする。

今日はマスさんお手製の『夏野菜のキッシュ』。
味付けが完全の御惣菜なので、すぐにペロリと食べてしまった。

休んでいると、湿原内で刈り取った葦の移動作業をお一人でされていた地元の方が話しかけてきた。
お名前を伺うと最上地区で環境保全活動などに取り組むNPO法人・ネイチャーアカデミーもがみを設立し、代表理事を務める米地区在住の矢口末吉(やぐちまつよし)さんだった。
NHK山形の番組にも度々出演される有名人とか。

動植物に関する博学と見識の広さにはお話して驚いた。
米湿原の花についていろいろご質問したが、4月のアオザゼンソウ、5月のミツガシワとヒメシャガ、6~7月のキンコウカとノハナショウブのコラボ、トキソウ、サワラン、珍しいミズチドリ、8~9月サワギキョウ、サギソウ、ウメバチソウと時期の移ろいとともに、花の構成種がどんどん変わっていく米湿原は、何回も再訪しないと本当の良さが分からない場所のようだった。
この点については鮭川村観光協会の動画がYouTubeにアップされている。
『ところでサギソウに関してはブログにアップして大丈夫でしょうか?』と質問したら、矢口さんは『一般的に公けになっているので大丈夫。我々地域民が見回っているのでアップしてもOKですよ。』との回答を得たので、本ブログで紹介している。
もう一つ気になったのが湿原の保全活動の事。
低層湿原なので葦やその他の植物の繁茂は避けて通れず、ほっておくと草が茫々になってしまう。
この点に関しては、11月に米地区総動員で葦刈りと、草の移動作業を行っているとか。
湿原内は晩秋の頃でも水が絶えないそうで、歩き難い中での作業の苦労を想像すると、頭が下がる思いであった。
駐車場そばの三叉路に戻り、米大平山の周回コースに入る。
最初は米堤のところまで下る。
堤の水面のオシドリが遊んでいた。

現在、米太平山については道標が一切整備されていない。
山形百名山の一座に選定され、村では慌てて道標の整備に気がついたらしいが、この秋の補正予算で刈払いと一部道標の整備を予算化すると矢口さんは語っていた。
農道を山の方に歩いていく。
振り返ると丁山地の萱森や庄屋森が見えているが、丁岳は雲に隠れている。

登山道は送電線最上幹線の巡視路を一部利用している。
ここから115番鉄塔方面に登っていく。

スギ林の緩登がしばらく続く。
林床にはヒメシャガの葉っぱが多い。
やがて雑木林になると三吉大権現の石碑が建つ展望所は近い。

その石碑は半分から欠けていて文字が判読し難かった。
秋田の太平山の三吉神社の末社なのであろうか?

ここは涼しい南東の風が吹き抜け居心地が良い。
南西には下松坂の集落と、遠くに最上峡右岸の黒森山、写真では分かり難いが土湯山の鉄塔も見えていた。晴れていれば月山も同定できるとか。

北西には送電線の鉄塔が伸びる与蔵山が近い。

この展望所から少し登ると、巡視路は右に曲がって下る行程になる。
そのほぼ山頂部分、標高190m峰のところから鋭角に左に藪に覆われた山道が派生する。
これが米太平山へ行くルートで、道標はなく、余程注意していないと見逃す可能性が高い。
実は藪のピークの木に手書きの米太平山の山名板がついていた。
この時は間違って190m峰に山名板を付けたのであろうと深く考えないで先に進んだ。
しかし、この山名板の位置は後で矢口さんに頂いた『米 散策マップ&湿原ガイド』のパンフレットで正解だったことが判明する。
地元では三吉大権現のある展望所と190m峰を含めて米大平山と呼び、山形百名山で選定された206m峰は種活沢山と呼んでいるらしい。
ここで少し混乱するのは206m峰の南西に位置する231m三角点峰を種活沢山としている記録もある事。点の記だと『三森山』が記されている。そしてその東側の尾根先端の160.4m三角点を『種活沢』と標記していた。とすると、鮭川南側の丘陵地一帯が種活沢山とも考えられるのだが、今後は百名山の米太平山が一般的な山名に変貌していくのであろうか?
藪っぽい踏み跡は尾根筋が顕著なので迷う事はない。

種活沢山の頂稜の北側は鳥海山の展望ポイントをなっているが、この時は雲って見えない。
しかし米集落が眼下に一望できた。

西側には米大平山が見えている。
頂稜は植林されて年月が経っていない杉林だが、微妙にスギの木が伸びてしまった。

そして種活沢山山頂に到着。
東側がナラ枯れの影響で少し展望があるが、山名板一枚もない地味な里山の山頂だった。

陰気な感じの山頂なので、休憩なしに下山する。
東側のルートは登る人が結構いるようで、赤テープのマーキングが随所についていた。
一旦鞍部まで下り、少し登り返すと荒れた林道に飛び出す。
ここにも道標はなく、唯一赤い『特定捕具使用禁止区域(銃)』と書かれた看板が入口の横に設置されていた。

林道を東進するが、スギ林の中を歩くので単調である。

ハギの花が秋を感じさせてくれる。

ススキの穂がようやく出てきた。

車道に出てから左折して少し下ると、右手に展望台の標識が立っている。
雑木林の気持ちいい山道を下っていくと、右奥にベンチとテーブルが置かれた展望台で出た。
鮭川対岸の向居地区と、背後の八石山の奥に鳥海山が見えていた。

鳥海山のアップ。
この後、直ぐに雲に隠れてしまった。

眼下には大きく蛇行する鮭川と、鮭川村の田園風景が一望できた。

車に戻り、米地区にある保全池を見に行く。
矢口さんから是非見て欲しいと勧められていたのだ。
保全池とは休耕田を約50cm掘り下げて、昔の田んぼの生態系を復活させたもの。
ここに予期せずミズオオバコの花が咲きだしたと言う。

この水性植物ミズオオバコは絶滅危惧Ⅱ種(VU)に指定されている貴重な植物だ。

黄色の小さなイヌタヌキモも生えている。

車道を挟んで東側の小堤にはヒツジグサが咲いていた。

もう一か所、南側にある保全池を観察してみると、ゲンゴロウが悠々と泳いでいる。
ゲンゴロウなんて子供時代に見て以来、何十年かぶりに見た。(岸から少し離れた場所だったので写真は上手く撮れなかった。)
最後に矢口さん宅の素晴らしいガーデニングの花々を拝見する。
最近、クレオメを庭に植えている家庭は少なくなったと感じる。

オミナエシも野生種では見なくなったなぁ~>
昔は泉ヶ岳の兎平に沢山咲いていたのだが。

米地区から真南に見える種活沢山。
米湿原には季節を変えて何度も来てみたいと感じた。

帰路、新庄市の一茶庵支店に立ち寄り、もつラーメン(600円)を食べる。
入店した時は少し時間が早かったので空いていたが、食べているとほとんど満席になってしまった。

奥羽山脈を越えて宮城県に入ると、またまた霧雨。
今年の夏はなかったね。
GPS軌跡です。(種活沢山のみ)

動画です。

その横に観音様が彫られた道標と、背後に大きな男岩が露出している。

参拝者や観光客も歩く事を前提とした道なので、参道は整備されていて歩きやすい。
しかし雨上がりの今は、一部ぬかるんだ場所があった。

濡れた木製のベンチには湿気が多いためキノコが生えていた。

スギ林の暗い森の一隅に、表面が縦に割れた岩の中に子造り地蔵が祀られている。

右に道が折れると直ぐにカルデラの爆発によって形成された火口壁をトラバースする道になる。
かなり危なっかしく見えるが、頑丈な鉄製の手すりが設置されているので怖くない。
この手すりは冬場は雪崩で壊されるのを恐れて撤去できる作りになっていた。

トラバース路から西側を望む。
晴れていれば月山や高倉山が見えると言われるが、右から740m峰、志賀山(平頂)、そして高倉山積雪期ルート上にある797m峰(中央少し右)までしか見えていなかった。

一本松のところから左折し、足場が彫られた急坂を登る。

ヒメコマツの一本松を振り返る。
背後に三角山が望める。

急坂が終わると、右手の斜面へ再びトラバースする。
やがて行く手に凝灰岩のオーバーハングした岩窟がある地蔵倉に着く。
岩の下に六地蔵が祀られているが、数えてみると十体祀られていた。
背後に建つ木造の建物が本殿である。

岩場に近づいてみると、無数の岩孔が開いており、五円玉が付いた紙縒りが孔に通して結ばれている。
願い事を念じながら岩孔に紙縒りを通す事ができれば願い事が適うと言われ、特に縁結びの神として多くの参拝者があると言われている。

本殿の扉を開けて参拝すると、内部には多くの千羽鶴が奉納されていた。

本殿の所から地蔵倉の岩窟を振り返る。
かなりな高さを持った岩窟と感じた。

本殿の裏側に回り込んでも、願い事を込めた紙縒りが沢山岩に付けられている。
地面には沢山のアリジゴクの罠があった。

優しい御顔の六地蔵を眺めてから下山する。

車に戻って、カーナビで次の山:米太平山を目指す。
一応カーナビで目的地設定してから車を走らせた。
新庄市升形から北上し、左道地区から米(よね)湿原の看板に従って左折。
狭い舗装道路で一山越えると左手に米湿原の大きな駐車場があった。
そこに米湿原の詳しい説明看板が設置されている。

この山は米大平山登山もあるので、ザックを背負って歩きだす。
最初に分岐を左折して米湿原へ向かった。

歩道の左斜面に巨大なオオイワウチワの葉っぱが群生している。
オオイイワウチワの花は白、もしくは薄いピンクが多いが、この地に咲く花は普通のイワカガミのようにピンクが濃いとか。花期に見てみたい大群落だった。

沢筋へ下っていく途中、ホツツジの花を見つける。

湿地に出ると木道が整備されていた。
以前は細長い田んぼがあったらしいが、今は葦が伸びている。
5月頃はクリンソウ、今はコバギボウシが多く咲いていた。

ヒョロヒョロした草丈の高いアザミはダキバヒメアザミとの事。

日陰の濡れた木道は滑るので、そこはすり足で慎重に越えていくと米湿原に出る。

小さな低層湿原であるが、昔は葦を苅った場所であった。
しかし、時代の流れとともに人が立ち入らなくなり、荒れ放題になったらしい。
そこで米の地区民と鮭川村自然保護委員会が協力して復元活動を実施したとこ ろ、ザゼンソウやサギソウなどの貴重な植生が復元され、現在は村内屈指の観光スポットとして生まれ変わったと言われる。
今、湿原を飾るのはサワギキョウ(咲きはじめ:例年より一週間以上遅れている)。

そして

そして絶滅危惧種IA類に指定され、山形県内でたった6か所しか自生地がないサギソウが咲いていた。

栽培品種のサギソウなら園芸店で販売しているが、野生のサギソウを見てマスさんと二人大感激。

湿原の奥にあるベンチに座って、湿原を見渡しながらお昼にする。

今日はマスさんお手製の『夏野菜のキッシュ』。
味付けが完全の御惣菜なので、すぐにペロリと食べてしまった。

休んでいると、湿原内で刈り取った葦の移動作業をお一人でされていた地元の方が話しかけてきた。
お名前を伺うと最上地区で環境保全活動などに取り組むNPO法人・ネイチャーアカデミーもがみを設立し、代表理事を務める米地区在住の矢口末吉(やぐちまつよし)さんだった。
NHK山形の番組にも度々出演される有名人とか。

動植物に関する博学と見識の広さにはお話して驚いた。
米湿原の花についていろいろご質問したが、4月のアオザゼンソウ、5月のミツガシワとヒメシャガ、6~7月のキンコウカとノハナショウブのコラボ、トキソウ、サワラン、珍しいミズチドリ、8~9月サワギキョウ、サギソウ、ウメバチソウと時期の移ろいとともに、花の構成種がどんどん変わっていく米湿原は、何回も再訪しないと本当の良さが分からない場所のようだった。
この点については鮭川村観光協会の動画がYouTubeにアップされている。
『ところでサギソウに関してはブログにアップして大丈夫でしょうか?』と質問したら、矢口さんは『一般的に公けになっているので大丈夫。我々地域民が見回っているのでアップしてもOKですよ。』との回答を得たので、本ブログで紹介している。
もう一つ気になったのが湿原の保全活動の事。
低層湿原なので葦やその他の植物の繁茂は避けて通れず、ほっておくと草が茫々になってしまう。
この点に関しては、11月に米地区総動員で葦刈りと、草の移動作業を行っているとか。
湿原内は晩秋の頃でも水が絶えないそうで、歩き難い中での作業の苦労を想像すると、頭が下がる思いであった。
駐車場そばの三叉路に戻り、米大平山の周回コースに入る。
最初は米堤のところまで下る。
堤の水面のオシドリが遊んでいた。

現在、米太平山については道標が一切整備されていない。
山形百名山の一座に選定され、村では慌てて道標の整備に気がついたらしいが、この秋の補正予算で刈払いと一部道標の整備を予算化すると矢口さんは語っていた。
農道を山の方に歩いていく。
振り返ると丁山地の萱森や庄屋森が見えているが、丁岳は雲に隠れている。

登山道は送電線最上幹線の巡視路を一部利用している。
ここから115番鉄塔方面に登っていく。

スギ林の緩登がしばらく続く。
林床にはヒメシャガの葉っぱが多い。
やがて雑木林になると三吉大権現の石碑が建つ展望所は近い。

その石碑は半分から欠けていて文字が判読し難かった。
秋田の太平山の三吉神社の末社なのであろうか?

ここは涼しい南東の風が吹き抜け居心地が良い。
南西には下松坂の集落と、遠くに最上峡右岸の黒森山、写真では分かり難いが土湯山の鉄塔も見えていた。晴れていれば月山も同定できるとか。

北西には送電線の鉄塔が伸びる与蔵山が近い。

この展望所から少し登ると、巡視路は右に曲がって下る行程になる。
そのほぼ山頂部分、標高190m峰のところから鋭角に左に藪に覆われた山道が派生する。
これが米太平山へ行くルートで、道標はなく、余程注意していないと見逃す可能性が高い。
実は藪のピークの木に手書きの米太平山の山名板がついていた。
この時は間違って190m峰に山名板を付けたのであろうと深く考えないで先に進んだ。
しかし、この山名板の位置は後で矢口さんに頂いた『米 散策マップ&湿原ガイド』のパンフレットで正解だったことが判明する。
地元では三吉大権現のある展望所と190m峰を含めて米大平山と呼び、山形百名山で選定された206m峰は種活沢山と呼んでいるらしい。
ここで少し混乱するのは206m峰の南西に位置する231m三角点峰を種活沢山としている記録もある事。点の記だと『三森山』が記されている。そしてその東側の尾根先端の160.4m三角点を『種活沢』と標記していた。とすると、鮭川南側の丘陵地一帯が種活沢山とも考えられるのだが、今後は百名山の米太平山が一般的な山名に変貌していくのであろうか?
藪っぽい踏み跡は尾根筋が顕著なので迷う事はない。

種活沢山の頂稜の北側は鳥海山の展望ポイントをなっているが、この時は雲って見えない。
しかし米集落が眼下に一望できた。

西側には米大平山が見えている。
頂稜は植林されて年月が経っていない杉林だが、微妙にスギの木が伸びてしまった。

そして種活沢山山頂に到着。
東側がナラ枯れの影響で少し展望があるが、山名板一枚もない地味な里山の山頂だった。

陰気な感じの山頂なので、休憩なしに下山する。
東側のルートは登る人が結構いるようで、赤テープのマーキングが随所についていた。
一旦鞍部まで下り、少し登り返すと荒れた林道に飛び出す。
ここにも道標はなく、唯一赤い『特定捕具使用禁止区域(銃)』と書かれた看板が入口の横に設置されていた。

林道を東進するが、スギ林の中を歩くので単調である。

ハギの花が秋を感じさせてくれる。

ススキの穂がようやく出てきた。

車道に出てから左折して少し下ると、右手に展望台の標識が立っている。
雑木林の気持ちいい山道を下っていくと、右奥にベンチとテーブルが置かれた展望台で出た。
鮭川対岸の向居地区と、背後の八石山の奥に鳥海山が見えていた。

鳥海山のアップ。
この後、直ぐに雲に隠れてしまった。

眼下には大きく蛇行する鮭川と、鮭川村の田園風景が一望できた。

車に戻り、米地区にある保全池を見に行く。
矢口さんから是非見て欲しいと勧められていたのだ。
保全池とは休耕田を約50cm掘り下げて、昔の田んぼの生態系を復活させたもの。
ここに予期せずミズオオバコの花が咲きだしたと言う。

この水性植物ミズオオバコは絶滅危惧Ⅱ種(VU)に指定されている貴重な植物だ。

黄色の小さなイヌタヌキモも生えている。

車道を挟んで東側の小堤にはヒツジグサが咲いていた。

もう一か所、南側にある保全池を観察してみると、ゲンゴロウが悠々と泳いでいる。
ゲンゴロウなんて子供時代に見て以来、何十年かぶりに見た。(岸から少し離れた場所だったので写真は上手く撮れなかった。)
最後に矢口さん宅の素晴らしいガーデニングの花々を拝見する。
最近、クレオメを庭に植えている家庭は少なくなったと感じる。

オミナエシも野生種では見なくなったなぁ~>
昔は泉ヶ岳の兎平に沢山咲いていたのだが。

米地区から真南に見える種活沢山。
米湿原には季節を変えて何度も来てみたいと感じた。

帰路、新庄市の一茶庵支店に立ち寄り、もつラーメン(600円)を食べる。
入店した時は少し時間が早かったので空いていたが、食べているとほとんど満席になってしまった。

奥羽山脈を越えて宮城県に入ると、またまた霧雨。
今年の夏はなかったね。
GPS軌跡です。(種活沢山のみ)

動画です。
コメント
コメント一覧 (2)
なお、コメント作成途中で操作を誤り送付してしまいました。前のものは削除してください。
同じ日の午前中に歩いてきました。事前調査が不足し、種活沢山は通らずに大回りしてしまいました。経路はブログをご覧ください。http://je7snv.at.webry.info/201708/article_8.html
そもそも「やまがた百名山」の選定の際に、なぜ206峰を米太平山としたのかがわかりません。地図に表記されているわけでもないので、現地名が優先と思ううのですが・・・?
前のコメントは削除させていただきました。
この日は時間が前後しただけで、完全にニアミスでしたね。
お会いできず残念でした。
山形百名山に選定されたのは良いのですが、地元の役場では道の整備等遅れている部分が非常に多いと思います。
百名山のHPに記載された地図はイラストマップ的なので、少し分かり難く、流石の山慣れたJE7SNVさんも送電線巡視路をそのまま直進してしまったようですね。
しかし本文にあるように種活沢山と太平山(米は後付け)が、いろいろ混同されて使われているようですので、ここはおっしゃるように現地の呼び名を優先させた方が良かったと感じました。
三角点の点名の『三森山』は少し遠くから見ると206m峰、190m峰、そして三角点峰の三つのピークが見えるので、便宜的に付けたものと思っています。