10月に二週連続で台風が日本列島に上陸、もしくは接近するのは稀なパターンらしい。
この週末土日も台風22号が接近していて、秋雨前線が刺激され東北南部以南の天気は良くない。
当初は山形県置賜地方の低山を登るつもりだったが、午後から天気が崩れる予報のために、翌日に予定していた庄内地方の胎蔵山と土湯山へ登る予定を一日前倒しにした。
【 10/28 胎蔵山(729m)と土湯山(577m)山形・弁慶山地ほか 】
●胎蔵山:元田代登山口~中里分岐~鳥居松~弘法清水~中ノ宮~赤剝分岐~赤剝~赤剝分岐~胎蔵山・奥ノ院~頂稜東端~奥ノ院~赤剝分岐~中ノ宮~弘法清水~鳥居松~中里分岐~元田代登山口
●土湯山:旧最上川スキー場第二リフト休憩所前~第三リフト降り場~無線中継所~土湯山(往復)
胎蔵山は2000年5月に亀割山、陣ヶ森、胎蔵山、経ヶ蔵山を一日に登った時の一山である。
当時は完全なピークハンター的色合いが強い登山をやっていて、コースタイムの半分以下で登ったと息巻いていた頃であった。写真もフィルムで撮影していたので、一山で数枚の写真しか撮らず、下りはほとんど駆け足で走破していたので、じっくりその山の良さに浸る事もなく、必然的に山に対する印象もマクロ的な捉え方しかしていない。その時の胎蔵山の印象はスギ林ばかり続き、山頂直下でやっとブナ林が出る自然度の低い山、と言った感じで、登った記憶もかなり曖昧になっていた。
今回は17年ぶりの再訪になる。人の時間感覚ではひと昔であるが、自然にとってはほんの一瞬の時の流れでしかない。歳を重ねて山の印象がどう変わるか、その点で楽しみな山行である。
今回はmorinoさん、モンキィさん、tammyさんの3名と行動を共にする。
最上峡の白糸の滝駐車場で待ち合わせ、最初に旧松山町の眺海の森に立ち寄った。
眺海の森からは、どっしりとした山容の胎蔵山が望める。
古くは酒田沖に出港する漁師にとって、山当ての役目も果たしたと言う。

この週末土日も台風22号が接近していて、秋雨前線が刺激され東北南部以南の天気は良くない。
当初は山形県置賜地方の低山を登るつもりだったが、午後から天気が崩れる予報のために、翌日に予定していた庄内地方の胎蔵山と土湯山へ登る予定を一日前倒しにした。
【 10/28 胎蔵山(729m)と土湯山(577m)山形・弁慶山地ほか 】
●胎蔵山:元田代登山口~中里分岐~鳥居松~弘法清水~中ノ宮~赤剝分岐~赤剝~赤剝分岐~胎蔵山・奥ノ院~頂稜東端~奥ノ院~赤剝分岐~中ノ宮~弘法清水~鳥居松~中里分岐~元田代登山口
●土湯山:旧最上川スキー場第二リフト休憩所前~第三リフト降り場~無線中継所~土湯山(往復)
胎蔵山は2000年5月に亀割山、陣ヶ森、胎蔵山、経ヶ蔵山を一日に登った時の一山である。
当時は完全なピークハンター的色合いが強い登山をやっていて、コースタイムの半分以下で登ったと息巻いていた頃であった。写真もフィルムで撮影していたので、一山で数枚の写真しか撮らず、下りはほとんど駆け足で走破していたので、じっくりその山の良さに浸る事もなく、必然的に山に対する印象もマクロ的な捉え方しかしていない。その時の胎蔵山の印象はスギ林ばかり続き、山頂直下でやっとブナ林が出る自然度の低い山、と言った感じで、登った記憶もかなり曖昧になっていた。
今回は17年ぶりの再訪になる。人の時間感覚ではひと昔であるが、自然にとってはほんの一瞬の時の流れでしかない。歳を重ねて山の印象がどう変わるか、その点で楽しみな山行である。
今回はmorinoさん、モンキィさん、tammyさんの3名と行動を共にする。
最上峡の白糸の滝駐車場で待ち合わせ、最初に旧松山町の眺海の森に立ち寄った。
眺海の森からは、どっしりとした山容の胎蔵山が望める。
古くは酒田沖に出港する漁師にとって、山当ての役目も果たしたと言う。

視線を北に振ると鳥海山の勇姿が望める。

写真では穏やかに見えるが、実際は冷たい東風が吹き抜け、東の空は荒天になる前の怪しい雲が張り出していた。

眺海の森から下って。元田代登山口へ向かう。
元田代の鷺沢川の橋を渡って直ぐに右折。ここに『←胎蔵の道』の看板が建っている。
以前は集落を抜けると悪路の林道だった覚えがあるが、今はかなり整備されて普通車でも充分走行可能なダート道になった。
途中から舗装路となり、やがて舗装路は鷺沢川を渡って北の尾根方面に登っていく。
川を渡って直ぐに右に入る山道が登山道である。

車は登山口には駐車できないので、南側の三叉路まで戻り、林道を少し東に入ったところの路側帯に駐車した。奥に胎蔵山が見える。
我々が出発しようと歩きだしたら、新潟ナンバーの単独の男性も登りに来た。

胎蔵山は約1200年前に弘法大師によって開山されたと伝えられる山である。
元田沢い山麓の拝殿に当たる薬師神社、中腹の中ノ宮と呼ばれる薬師神社本殿、そして山頂に奥ノ院が祀られ、しっかりとした神社の様式が今でも保たれている。
古来より健康と子宝にご利益がある女神の山と称され、「大蔵山」もしくは「大浄山」とも呼ばれた修験道の山であった。
毎年5月の祭礼の時に地元の方々が参拝道の刈払いを行っていて、今でも近在の人々にとって信仰の山として親しまれている。
登山口から急坂を少し登ると林道に飛び出す。
しかし林道歩きは僅かな距離で、直ぐに左に登山道が派生する。
尾根に飛び出すと中ノ宮まで、ほぼスギ林の登りが続く。

その昔、庄内藩ではブナの育成のために、この山への木こりの入山を禁止していた。
今は全行程のほぼ2╱3が暗いスギ林の歩きに終始するので、過去の私を含めてあまり良い印象を抱かない山になっているのかもしれない。ウェブ上で登山記録が少ないのも、人気の無さを現している。
流石に10月下旬になると道筋にはほとんど花が無いが、唯一キッコウハグマの花が点々を咲いていた。

時々雑木林が出てきて、そこだけ光が差し込み黄葉が見えるのを励みに、穏やかに登っていく。
以前来た時は右手に伐採地があり、目指す胎蔵山が見えた記憶が残っているが、伐採地は植林したスギが伸びて展望は無くなった。
前方が明るくなると突然西側の展望が利く鳥居松の広場に出る。
鳥居松は2002年までは枯れないで残っていたと言われるが、今は枯れて伐採されてしまった。
2000年に登った時の鳥居松の記憶はまったくない。

眺海の森や蛇行する最上川と日本海が見えている。

鳥居松から先は、今までの緩い登りから一転して手すりが設置されたジグザグの急坂になる。
鎖を付けた杭にくい丸とシールが張られているのは面白かった。

登山道の右手がスギ、左が雑木林の急坂が続く。
弘法清水の水場。飲んでみると冷たくないので湧き水ではなさそうだ。

雑木林はイロハモミジの紅葉が綺麗だった。

急坂を登り切って、道が平坦になると薬師神社中ノ宮が現れる。
スギ林の中なので展望はない。

以前は植林されたばかりのスギ林も、今は樹高が伸びて展望は無くなった。
右手に広がるスギ林が終わると、漸くブナの森に変わる。
ブナの黄葉はほとんど終盤で、葉は茶色になってしまったけれど、これはこれで風情があって良い。

ブナの梢越しに淡く雪化粧した鳥海山が見えた。
ここまで標高を上げると新山も頭を出す。

弥陀ヶ原周辺のカエデの黄葉が素晴らしい。

胎蔵山の東西に長い頂稜に出たところが赤剝分岐。
赤剝に行く分岐は以前は無かった。

赤剝は南側の展望に優れていると聞いているので、右折して赤剝に行ってみる。
ほぼ平坦な尾根を南西方面に歩くと、強い東風が吹き抜ける赤剝に着いた。
南に薄く雪を被った月山が見えている。

月山のアップ。

南東側の景色。
楯山川の奥に与蔵峠が見えている。

胎蔵山の南面は、西側から見たまろやかな山容とは異なり、急峻なスラブが露出している。

赤剝から先へ刈払いが続いているので見に行ったら、低木が出てくるところで行き止まりだった。
戻る途中、胎蔵山の山頂が見えた。

赤剝分岐まで戻り、右折して細い尾根を山頂へ向かう。
胎蔵山山頂には奥ノ院である薬師大権現神社が祀られている。

扉を開けて参拝すると、社殿の中にスタンプが置かれ、登山記念のスタンプを押した。

山頂はブナの森に囲まれ展望は良くない。
唯一、摩耶山、湯ノ沢岳から母狩山、そして金峰山へ続く山並みが見えていた。

奥ノ院の右手に設置された三角点の奥にも道が続いているので、少しだけ歩いてみる。
今まで見えていなかった弁慶山が見える場所を見つけた。

頂稜の東端まで歩いて行くと、鳥海山が良く見える場所があった。

morinoさんが更に東に伸びる道を確認に行ったら、少し下ったところで刈払いは終わっていたようだ。
以前は与蔵峠まで歩けたと言われる道も、現在は藪が酷くてほぼ歩けないらしい。
風を避けて軽く食事を摂る。
下山後にラーメンを食べる予定なので、少し休んで直ぐに下り始めた。

休んでいた甲斐があって、この頃から日差しが出てくる。
カエデの黄葉も陽の光が当たると、とても鮮やかに見える。

登りは雲って沈んだ色合いだったので、何枚もシャッターを押してしまい、全然先に進まなくなった。
登りの時以上に、山頂一帯に辛うじて残っているブナの森が愛しく感じる。

庄内平野を吹き抜ける強い冬の季節風の影響で奇形化したブナの木も多い。

標高600m付近のブナの巨木。
この標高だと未だに黄葉が残っている。

下りはノンストップ。
中ノ宮を過ぎて弘法清水付近の雑木林を下る。

車に戻り、元田代の集落の入口に設置された胎蔵山の看板を見る。
これだけ見ても地元の方々に愛されている山なんだと分かる。

この度再訪してみて、注連石に登った時に触れた、歴史の陰に埋もれた川北の鷹尾修験の一面を見た感じがして、とても有意義な山歩きだった。
胎蔵山のGPS軌跡。(クリックで拡大。)
下山後に松山の街中にある中華そば四十番の暖簾を潜る。

全員が中華そば(中盛り)600円を注文。
昔ながらの中華そばの味わいを楽しめた。

この後、ダブルヘッダーの二山目になる土湯山に行く。
あまり知られていない山だが、今年やまがた百名山の一座に選定された山だ。
以前から登りたいと思ってルートなどを調べていて、この度ようやく訪れる事ができた。
土湯山は最上川の川下りで有名な白糸の滝の南側に位置する山で、東北自然歩道:新奥の細道「最上峡と歴史のみち」コースの終点となっている。
元々、土湯山は最上川が増水して水運が機能しない時に、山越えの道として使われていたらしい。
この古道は板敷越えと呼ばれている。土湯山の南側に送電線の巡視路が山頂を通過している板敷山が存在するが、昔の板敷越えはその山頂を越えていない。
ところで東北自然歩道:新奥の細道「最上峡と歴史のみち」は現在主な見どころのほとんどが廃道状態で、これを辿るのは不可能な状態にある。紐付き予算が出てルートを拓いたはいいが、その保守に金がかかり、維持できなくなったと言う公共事業によくあるお粗末な結果である。
そんな理由からやまがた百名山のHPには「現在、登山道については調査中」と記載され、詳しい登山地図やガイド情報は一切ない。
何故、そんな山をやまがた百名山に選定してしまったのか、と言う点については、他県に在住する私に語る資格はないので触れない。
現在、陸羽西線の高屋駅から登れる道はないので、幻想の森へ続く林道に入る。
途中の分岐を左折して最上川スキー場の第二リフト前の広場に駐車する。
倒壊した休憩所が放置されている。

最上川スキー場は昭和55年に第3セクター方式で資本金7000万円で設立された。
バブルの頃には売上金1億円を超える活況を呈した時期もあったが、その後、激減するスキー人口と暖冬の影響を受け、平成12年に破産宣告をして倒産した。
その後、国有林の使用許可が取り消され、現状復帰命令が出たが、会社に資産がなく、壊れた建物や老朽化したリフトは残されたままで現在に至っている。
今一番問題とされているのは、腐食したリフトのワイヤーが切れて大きな事故に繋がる懸念がある点らしい。
現在は森林を再生させる取り組みを行っているとの看板が立っていた。

第二リフト前の広場から先は、林道も荒れて最低地上高の高い四駆しか走行は不可能となる。
正面に無線中継所のアンテナが立ち並ぶ土湯山が見えている。

少し登ると水路で抉れた部分もでてくる。
道の左右を枝や草が張り出して、車のサイドを傷つけないで走行するのは難しい。
振り返ると有田川対岸の無名の山が見えている。

第三リフト終点のところにランクルプラドが駐車していて驚いた。
そこから先の林道は、キャタピラ車じゃないと走行できそうもない。斜度30度程のザレた作業道になる。

足場が悪いので登りでも苦労する道だから、転ばないで降りるのは難しいと思いながら進む。
この付近までが土湯山の核心部とも言える。

数回ジグザグに登るとブナの森に入る。
ここから作業道の斜度も漸く緩くなる。
やがて正面にマイクロウェーブアンテナ施設が見えてきた。

アンテナは全部で3基建っていて、手前が建設省、真ん中が柵に囲まれ根元まで寄れない持ち主不明のアンテナ、一番奥が東北電力のものだった。
アンテナの右手の道を奥に進む。

突き当たりに土湯山の標識が立っている。
登山道は右へ入るが、踏み跡しか残っていない。

登山道に分け入ると、紅葉したブナの二次林が凄く綺麗で皆歓声を上げる。

林床の藪は薄く、踏み跡を辿るのは難しくない。
しかし初心者は絶対無理。
赤いテープも一部で付いているが、離れた場所に飛び飛びについているため当てにならない。
この山に登る適期はブナの新緑、もしくは紅葉時期。
そして高屋駅から冬に登るのも面白いと思う。
今回は一番いい時期に来た感じがした。

山頂に近づくと曲がった奇形のブナが増えてくる。
正面に明るく見える場所が山頂であろう。
しかし正面は低木藪が濃いようなので、この奇形ブナから左に折れて、藪を回避して進んだ。

見つけにくいと想像していた、土湯山の三角点を簡単に見つけてしまった拍子抜けだった。
展望が全く利かないので、写真を撮っただけで下山にかかる。

帰路、アンテナの土台のコンクリートに腰掛けて温かいコーヒーを飲む。
ブナの二次林なので、期待したキノコは全く生えておらず、その点では空振りだった。
急なザレた作業道の下りは、石車に乗って転倒しないように慎重に下った。
登りの途中で気がつかなかった鳥海山も見えている。
林道の位置からは午前中に登った胎蔵山は見えないようだ。

一番の難所、斜度30度もある作業道は、特に慎重に下った。

第三リフトの終点に出て、ようやく斜度が緩むので一安心できた。

車に戻って、GPSで確認すると、この日の歩行距離15.4km、累積標高差1200mだった。
日が短い時期にしては歩いたほうである。
土湯山に関しては、ザレた作業道の下りの危険性、そして一部踏み跡を辿る点を考慮すると、中級から上級者の山だと思う。
個人的には幻想の森を起点にして周回するルートを、新たに開削したほうが良いと感じた。
土湯山のGPS軌跡です。

今回は動画は撮影しませんでした。

写真では穏やかに見えるが、実際は冷たい東風が吹き抜け、東の空は荒天になる前の怪しい雲が張り出していた。

眺海の森から下って。元田代登山口へ向かう。
元田代の鷺沢川の橋を渡って直ぐに右折。ここに『←胎蔵の道』の看板が建っている。
以前は集落を抜けると悪路の林道だった覚えがあるが、今はかなり整備されて普通車でも充分走行可能なダート道になった。
途中から舗装路となり、やがて舗装路は鷺沢川を渡って北の尾根方面に登っていく。
川を渡って直ぐに右に入る山道が登山道である。

車は登山口には駐車できないので、南側の三叉路まで戻り、林道を少し東に入ったところの路側帯に駐車した。奥に胎蔵山が見える。
我々が出発しようと歩きだしたら、新潟ナンバーの単独の男性も登りに来た。

胎蔵山は約1200年前に弘法大師によって開山されたと伝えられる山である。
元田沢い山麓の拝殿に当たる薬師神社、中腹の中ノ宮と呼ばれる薬師神社本殿、そして山頂に奥ノ院が祀られ、しっかりとした神社の様式が今でも保たれている。
古来より健康と子宝にご利益がある女神の山と称され、「大蔵山」もしくは「大浄山」とも呼ばれた修験道の山であった。
毎年5月の祭礼の時に地元の方々が参拝道の刈払いを行っていて、今でも近在の人々にとって信仰の山として親しまれている。
登山口から急坂を少し登ると林道に飛び出す。
しかし林道歩きは僅かな距離で、直ぐに左に登山道が派生する。
尾根に飛び出すと中ノ宮まで、ほぼスギ林の登りが続く。

その昔、庄内藩ではブナの育成のために、この山への木こりの入山を禁止していた。
今は全行程のほぼ2╱3が暗いスギ林の歩きに終始するので、過去の私を含めてあまり良い印象を抱かない山になっているのかもしれない。ウェブ上で登山記録が少ないのも、人気の無さを現している。
流石に10月下旬になると道筋にはほとんど花が無いが、唯一キッコウハグマの花が点々を咲いていた。

時々雑木林が出てきて、そこだけ光が差し込み黄葉が見えるのを励みに、穏やかに登っていく。
以前来た時は右手に伐採地があり、目指す胎蔵山が見えた記憶が残っているが、伐採地は植林したスギが伸びて展望は無くなった。
前方が明るくなると突然西側の展望が利く鳥居松の広場に出る。
鳥居松は2002年までは枯れないで残っていたと言われるが、今は枯れて伐採されてしまった。
2000年に登った時の鳥居松の記憶はまったくない。

眺海の森や蛇行する最上川と日本海が見えている。

鳥居松から先は、今までの緩い登りから一転して手すりが設置されたジグザグの急坂になる。
鎖を付けた杭にくい丸とシールが張られているのは面白かった。

登山道の右手がスギ、左が雑木林の急坂が続く。
弘法清水の水場。飲んでみると冷たくないので湧き水ではなさそうだ。

雑木林はイロハモミジの紅葉が綺麗だった。

急坂を登り切って、道が平坦になると薬師神社中ノ宮が現れる。
スギ林の中なので展望はない。

以前は植林されたばかりのスギ林も、今は樹高が伸びて展望は無くなった。
右手に広がるスギ林が終わると、漸くブナの森に変わる。
ブナの黄葉はほとんど終盤で、葉は茶色になってしまったけれど、これはこれで風情があって良い。

ブナの梢越しに淡く雪化粧した鳥海山が見えた。
ここまで標高を上げると新山も頭を出す。

弥陀ヶ原周辺のカエデの黄葉が素晴らしい。

胎蔵山の東西に長い頂稜に出たところが赤剝分岐。
赤剝に行く分岐は以前は無かった。

赤剝は南側の展望に優れていると聞いているので、右折して赤剝に行ってみる。
ほぼ平坦な尾根を南西方面に歩くと、強い東風が吹き抜ける赤剝に着いた。
南に薄く雪を被った月山が見えている。

月山のアップ。

南東側の景色。
楯山川の奥に与蔵峠が見えている。

胎蔵山の南面は、西側から見たまろやかな山容とは異なり、急峻なスラブが露出している。

赤剝から先へ刈払いが続いているので見に行ったら、低木が出てくるところで行き止まりだった。
戻る途中、胎蔵山の山頂が見えた。

赤剝分岐まで戻り、右折して細い尾根を山頂へ向かう。
胎蔵山山頂には奥ノ院である薬師大権現神社が祀られている。

扉を開けて参拝すると、社殿の中にスタンプが置かれ、登山記念のスタンプを押した。

山頂はブナの森に囲まれ展望は良くない。
唯一、摩耶山、湯ノ沢岳から母狩山、そして金峰山へ続く山並みが見えていた。

奥ノ院の右手に設置された三角点の奥にも道が続いているので、少しだけ歩いてみる。
今まで見えていなかった弁慶山が見える場所を見つけた。

頂稜の東端まで歩いて行くと、鳥海山が良く見える場所があった。

morinoさんが更に東に伸びる道を確認に行ったら、少し下ったところで刈払いは終わっていたようだ。
以前は与蔵峠まで歩けたと言われる道も、現在は藪が酷くてほぼ歩けないらしい。
風を避けて軽く食事を摂る。
下山後にラーメンを食べる予定なので、少し休んで直ぐに下り始めた。

休んでいた甲斐があって、この頃から日差しが出てくる。
カエデの黄葉も陽の光が当たると、とても鮮やかに見える。

登りは雲って沈んだ色合いだったので、何枚もシャッターを押してしまい、全然先に進まなくなった。
登りの時以上に、山頂一帯に辛うじて残っているブナの森が愛しく感じる。

庄内平野を吹き抜ける強い冬の季節風の影響で奇形化したブナの木も多い。

標高600m付近のブナの巨木。
この標高だと未だに黄葉が残っている。

下りはノンストップ。
中ノ宮を過ぎて弘法清水付近の雑木林を下る。

車に戻り、元田代の集落の入口に設置された胎蔵山の看板を見る。
これだけ見ても地元の方々に愛されている山なんだと分かる。

この度再訪してみて、注連石に登った時に触れた、歴史の陰に埋もれた川北の鷹尾修験の一面を見た感じがして、とても有意義な山歩きだった。
胎蔵山のGPS軌跡。(クリックで拡大。)
下山後に松山の街中にある中華そば四十番の暖簾を潜る。

全員が中華そば(中盛り)600円を注文。
昔ながらの中華そばの味わいを楽しめた。

この後、ダブルヘッダーの二山目になる土湯山に行く。
あまり知られていない山だが、今年やまがた百名山の一座に選定された山だ。
以前から登りたいと思ってルートなどを調べていて、この度ようやく訪れる事ができた。
土湯山は最上川の川下りで有名な白糸の滝の南側に位置する山で、東北自然歩道:新奥の細道「最上峡と歴史のみち」コースの終点となっている。
元々、土湯山は最上川が増水して水運が機能しない時に、山越えの道として使われていたらしい。
この古道は板敷越えと呼ばれている。土湯山の南側に送電線の巡視路が山頂を通過している板敷山が存在するが、昔の板敷越えはその山頂を越えていない。
ところで東北自然歩道:新奥の細道「最上峡と歴史のみち」は現在主な見どころのほとんどが廃道状態で、これを辿るのは不可能な状態にある。紐付き予算が出てルートを拓いたはいいが、その保守に金がかかり、維持できなくなったと言う公共事業によくあるお粗末な結果である。
そんな理由からやまがた百名山のHPには「現在、登山道については調査中」と記載され、詳しい登山地図やガイド情報は一切ない。
何故、そんな山をやまがた百名山に選定してしまったのか、と言う点については、他県に在住する私に語る資格はないので触れない。
現在、陸羽西線の高屋駅から登れる道はないので、幻想の森へ続く林道に入る。
途中の分岐を左折して最上川スキー場の第二リフト前の広場に駐車する。
倒壊した休憩所が放置されている。

最上川スキー場は昭和55年に第3セクター方式で資本金7000万円で設立された。
バブルの頃には売上金1億円を超える活況を呈した時期もあったが、その後、激減するスキー人口と暖冬の影響を受け、平成12年に破産宣告をして倒産した。
その後、国有林の使用許可が取り消され、現状復帰命令が出たが、会社に資産がなく、壊れた建物や老朽化したリフトは残されたままで現在に至っている。
今一番問題とされているのは、腐食したリフトのワイヤーが切れて大きな事故に繋がる懸念がある点らしい。
現在は森林を再生させる取り組みを行っているとの看板が立っていた。

第二リフト前の広場から先は、林道も荒れて最低地上高の高い四駆しか走行は不可能となる。
正面に無線中継所のアンテナが立ち並ぶ土湯山が見えている。

少し登ると水路で抉れた部分もでてくる。
道の左右を枝や草が張り出して、車のサイドを傷つけないで走行するのは難しい。
振り返ると有田川対岸の無名の山が見えている。

第三リフト終点のところにランクルプラドが駐車していて驚いた。
そこから先の林道は、キャタピラ車じゃないと走行できそうもない。斜度30度程のザレた作業道になる。

足場が悪いので登りでも苦労する道だから、転ばないで降りるのは難しいと思いながら進む。
この付近までが土湯山の核心部とも言える。

数回ジグザグに登るとブナの森に入る。
ここから作業道の斜度も漸く緩くなる。
やがて正面にマイクロウェーブアンテナ施設が見えてきた。

アンテナは全部で3基建っていて、手前が建設省、真ん中が柵に囲まれ根元まで寄れない持ち主不明のアンテナ、一番奥が東北電力のものだった。
アンテナの右手の道を奥に進む。

突き当たりに土湯山の標識が立っている。
登山道は右へ入るが、踏み跡しか残っていない。

登山道に分け入ると、紅葉したブナの二次林が凄く綺麗で皆歓声を上げる。

林床の藪は薄く、踏み跡を辿るのは難しくない。
しかし初心者は絶対無理。
赤いテープも一部で付いているが、離れた場所に飛び飛びについているため当てにならない。
この山に登る適期はブナの新緑、もしくは紅葉時期。
そして高屋駅から冬に登るのも面白いと思う。
今回は一番いい時期に来た感じがした。

山頂に近づくと曲がった奇形のブナが増えてくる。
正面に明るく見える場所が山頂であろう。
しかし正面は低木藪が濃いようなので、この奇形ブナから左に折れて、藪を回避して進んだ。

見つけにくいと想像していた、土湯山の三角点を簡単に見つけてしまった拍子抜けだった。
展望が全く利かないので、写真を撮っただけで下山にかかる。

帰路、アンテナの土台のコンクリートに腰掛けて温かいコーヒーを飲む。
ブナの二次林なので、期待したキノコは全く生えておらず、その点では空振りだった。
急なザレた作業道の下りは、石車に乗って転倒しないように慎重に下った。
登りの途中で気がつかなかった鳥海山も見えている。
林道の位置からは午前中に登った胎蔵山は見えないようだ。

一番の難所、斜度30度もある作業道は、特に慎重に下った。

第三リフトの終点に出て、ようやく斜度が緩むので一安心できた。

車に戻って、GPSで確認すると、この日の歩行距離15.4km、累積標高差1200mだった。
日が短い時期にしては歩いたほうである。
土湯山に関しては、ザレた作業道の下りの危険性、そして一部踏み跡を辿る点を考慮すると、中級から上級者の山だと思う。
個人的には幻想の森を起点にして周回するルートを、新たに開削したほうが良いと感じた。
土湯山のGPS軌跡です。

今回は動画は撮影しませんでした。
コメント
コメント一覧 (8)
こちらも下山後はラーメンでした。岳ちゃんと合流し、その案内で加茂市まで背脂ラーメンを食べにいったら、帰宅が午前零時近くとなってしまいました。
この山は行程の2╱3がスギ林なので、キノコ狩りの対象にはならない山なんです。
でも上部のブナ林は素晴らしいので、それだけでも登る価値があります。
光兎山でしたか。あの山は下部が松林なので、キノコに関しては望み薄ですね。
関川村から加茂市まで行くのはかなり遠回りですね。
全体的に緩登の山なので登るペースは早くなりますね。
やはり山形県のラーメンは何処も美味しいです。
午後1時を過ぎていたのに、どんどんお客さんが入ってくるので、人気のお店なんですね。
遠いところオラ家の裏山へいらしてくれて感謝申し上げます(笑)
どちらのお山も登山口を探すのも大変なはずで、さすがであります。
さらに四十番の紹介までしていただいて、当分東の方に足を向けて寝れませんな(汗)
こちらのお店はオラは生まれ落ちた時から食べてますんで(大笑)
中華そばの味の原点になります。
どちらのお山も上の方のブナは確かに魅力的であります。
また胎蔵山の南面も魅力あふれるところですね。
実はオラの頭の中でも妄想が広がるエリアなのです。
またいらして下さい。
ご近所の山にまで徘徊しておりました。
最近はカーナビがあるので簡単に登山口が見つかります。
以前は地図を見ながらアプローチしたので大変でした。
四十番は一緒にいったモンキィさんお気に入りのお店で、懐かしい中華そばの味を堪能しました。
lisonさん行きつけのお店だったのですね。
赤剝から見た胎蔵山の南面は迫力ありましたね。
上流の小又川は遡行が難しい沢と聞いておりました。
春にこの界隈の山を探検してみたいです。
おかげさまで未登の山を歩くことが出来ました。
鳥海山を望めた胎蔵山はじめ紅葉を楽しめた2山でしたね。
キノコが無かったのが残念(笑)
又よろしくお願いします。
どちらの山も山頂付近の紅葉が見ごろで良かったですね。
二次林が多いためにキノコは最初から望み薄と思っていました。