酒田の沖39kmにある日本海の孤島・飛島には過去に仕事で2回渡った事がある。
TV番組の取材が目的だったが、最初に渡った時はお取引先の方と番組取材のロケハンで行ったので、車で北側の法木集落に立ち寄り、そこから単独で山中を縦断する農免道路を歩いて勝浦へ戻った。途中、縄文遺跡の発掘調査を行っており、部外者は立ち入りだったため、山道を西側に迂回した。記憶では御積島や烏帽子群島が見える場所を通過したので、現在やまがた百名山に選定されている柏木山を意識せず歩いている事になるが記憶は曖昧だ。

以前そんな話をマスさんにしたら『私も飛島に行ってみたい。』とお願いされた。その後、山と高原地図の仕事を請け負ってしまったため、その調査が第一優先となり、なかなか飛島行きを決行できなかった。そしてこの度5年越しの計画をやっと実行できる運びになった。

【 6/2 柏木山(58m) 山形・飛島 】
港定発着館岩~マンモス岩~賽の河原~ローソク岩~明神の社~オバフトコロの浜~荒崎~柏木山~勝浦港~観光自転車貸出所~テキ穴~戸ヶ崎~鼻戸崎展望台~巨木の森~高森山~農免道路を経て勝浦港定期船発着所

飛島へは定期船「とびしま」が4月一日2便就航している。
朝9時発の第1便に乗船する。乗船に当たっては前もって予約が必要。
飛島までの往復船賃は4200円。1時間15分かかる。
この船は海上の波が高かったり、風速15m以上の場合欠航してしまう。
帰りに海が荒れて、数日島に留まったという話を聞いたことがある。
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(注)この旅は見どころが非常に多かったため、写真も文章も多い内容になっています。

酒田港から外洋に出ると急にうねりが激しくなる。
何かに掴まらないと歩くことができないほど船上は揺れた。
鳥海山が望め、展望デッキに出ていた方々は皆、鳥海山の写真を撮ることに余念がなかった。
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約1時間後、飛島の勝浦港が近づいてきた。
背後に見える松に覆われた丘が柏木山。
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勝浦港内にある海づり公園と館岩。
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下船してから最初に館岩へ登る。
勝浦港が眼下に望める。
飛島は周囲約10.2km、南北の道路距離が約4km、人口は約200人の島だ。
江戸時代には大阪から北海道を行き来する北前船の風待ちの避難港として、重要な位置を占め、酒田の町の発展に寄与した島である。

今回ご一緒したのはモンキィさん、tammyさん、うめさん、マスさん。
私以外、飛島は初めて訪れたとか。
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館岩には謎の石塁と、古代文字が彫られた石板が残っている。
昔、島に住む海賊の砦があったという説あり。
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同じく館岩から見た小松浜海水浴場と柏木山。
水の透明度が半端じゃない。
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館岩のお隣の百合島はウミネコの繁殖地になっている。
凄い数のウミネコがいて、鳴き声が響き渡っていた。
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館岩の岩場にはシャリンバイが群生していて、白い花を沢山咲かせていた。
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この花は初めて見た。
パンフレットを見るとオオバナノミミナグサと言う寒地系植物らしい。
ちょっと見ると高山植物のように見える。
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小松浜海水浴場の砂地にはハマヒルガオが沢山咲いていた。
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奥の草地にはトビシマカンゾウが早くも咲いていた。
この飛島と佐渡だけに自生する植物である。
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小松浜海水浴場から館岩と飛島大橋を振り返る。
この小松浜には悲恋の物語がある。
幕末の頃、庄内藩の役人が2年交替で島に派遣されていた。ある年、イケメンの若い独身の吉野小四郎という武士がその任についた。着任間もなく、島内巡視の途中で勝浦集落の漁師の家に水を所望したところ、若い娘が水を差しだした。
その娘の名は小松。島でも評判の美人で、何時しか二人は身分の垣根を超えた恋に落ちた。そして毎日勝浦の南の磯浜を二人で散策し、将来を誓い合った。
小四郎の任期が終わり、「必ず迎えに来る。」と小松に言い残して小四郎は島を離れた。
しかし戊辰戦争の動乱の中、出陣した小四郎は命を落としてしまう。
小四郎の身にそんな事があったとは露とも知らない小松は思い出の浜辺に毎日たたずみ、小四郎が迎えにくることを待っていた。ある日、待ちくたびれた小松は意を決して酒田を目指し小舟でこぎ出す。だが日本海の波は高く、小松は海に投げ出され海底深く沈んでいった。何時しか島の住民はこの浜のことを小松ヶ浜と呼ぶようになった。

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柏木山の南岸を海岸遊歩道が通じている。

岩浜を進むと次々に景観が変わり面白い。
アカモクと呼ばれる海藻?が繁茂していた。
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お目当てのスカシユリが彼方此方で咲いている。
母の実家の網地島でも険しい岩場で咲いていたが、こんなに密度が高く咲いているのは見た事ない。
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狭い岩間を抜ける。
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ハマボッスはサクラソウ科オカトラノオ属の越年草で、漢字では「浜払子」と綴り、花の咲く様子が払子に似ているらしい。ちょっと見は高山植物っぽい。
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見どころの一つマンモス岩。
オボコンベのマンモス岩より規模は大きかった。
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振り返る岩岩の海岸。
これらの岩場はおよそ900~1300万年前に噴出した溶岩が固まってできたものらしい。
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累々とした奇岩の狭間を抜けると、海食台が広がる海岸に出る。
正面に御積島と烏帽子群島が見えてくる。
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ちょっとした岩場の上に登ってみると、そこはスカシユリが咲き乱れていた。
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透明度の高い入り江。
夏ならシュノーケリングをしてみたくなる。
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丸石が大量に打ちあがった浜は賽の河原と呼ばれている。
昔から霊の寄りつく所と言われ、島民は滅多に近づかないパワースポットで、この玉石を持ちだすと災いが起こるとか。ここにケルン状に積まれた丸石は崩しても元に戻るらしい。
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尖ったロウソク岩を通過すると、荒々しい溶岩の岩場は終わり、海食台が広がる開放的な風景に変わる。
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明神の社は海神である龍神の住む聖地といわれ、信仰の対象であった御積島を遥拝する神社である。
かつては女人禁制の場所であった。
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明神の社から先は遊歩道ではない海岸沿いに北上していく。
海洋漂着物が散乱し、美しい風景を穢している点が残念だ。

ソデの浜に咲き誇るハマヒルガオ
背後に南灯台が建つ。
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海底火山が噴火した時の地層が観察できる南灯台直下のゴトロ浜の崖の脇を抜けると、貝殻で出来た浜が続く。
草地にはハマナスの花が彼方此方で咲いていた。
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烏帽子群島で一番目立つ盲島。(固有名詞なのでそのまま標記しました。)
ジジ穴、ババ穴と呼ばれる二つの大きな海蝕洞が印象的だ。
二つの穴を同時に見るためには観光船に乗船しなければ無理。
この海蝕洞にも悲しい言い伝えが残されている。
飛島で漁業を営む家族の一人息子が、島の浅瀬で漁に励んでいると、大波が押し寄せてきて船は転覆し、息子はそのまま帰らぬ人をなってしまった。父母の悲しみは大きく、このような事故が二度と起きないように烏帽子群島の一つの島に長い年月をかけて二つの穴を掘り目印とした。
年とった夫婦は二つの穴にジジ穴、ババ穴と名前を付け、ジジ穴が見える場所は浅瀬が続き海難事故が起きやすい場所、ババ穴の見える場所は安全に操業できる場所という印にした。

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沖縄のラグーンを彷彿させるオバフトコロの浜に広がる海食台の風景。
海底火山が隆起して形成された飛島の姿を物語っている。
右が御積島、左が烏帽子群島。
ちょうど潮が満ち初めてきた。
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そして日本の渚百選に選定されている荒崎に着く。
荒崎頸部の植物群落は酒田市指定天然記念物になっていて、6月から8月にかけてスカシユリ、トビシマカンゾウ、オニユリが咲き誇る別天地になっている。

先ずは一足早く咲いていたトビシマカンゾウに出会う。
キッコウキスゲとの違いが良く分らないが、全体的に大柄な作りとか。
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そして今が一番見ごろのスカシユリ
今回はこの花を見るのが一番の目的だった。
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荒崎のスカシユリの大群落。
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8月になると、この地は濃いオレンジ色のオニユリの大群落で埋め尽くされるそうな。
次に来る時は泊まりで海水浴も兼ねて来たいものだ。

トビシマカンゾウは咲きはじめ。
後2週間後には満開になると思う。
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アサツキも咲きはじめ。
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潮風に吹かれながらマスさんお手製のケーキ『ブラックベリーのタルト』を食べる。
花と潮騒の音に包まれながら食べたケーキは美味しかった。
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荒崎で海岸に沿ったトレイルもお終い。
島の高台へ向かって登っていく。
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歩道に脇の湿地に見慣れない花が咲いていた。
荒崎に立っていた看板にカノコソウと書いてあった花がこれだろう。
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防風林として明治40年に植林されたクロマツ林は西風の森と言われている。
タブノキとカシワの常緑広葉樹との混生林は暑い日差しを遮ってくれて、ひんやりして気持ちいい。
穏やかな散策路を南下して柏木山へ向かう。
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東屋が建ちベンチが置かれた柏木山展望台は、御積島と烏帽子群島が俯瞰できる場所で、サンセットビューポイントの一つである。
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その先、左手の細道を入ると経緯度観測地点の構造物が建っていた。
こんな構造物は初めて見た。
柏木山の一等三角点(点名・飛島)はこの近くにあるようだが、薮に埋もれ確認できなかった。
まあ実質、展望の一切ないこの場所が柏木山山頂であろう。
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遊歩道を南側に回り込んでいくと柏木山の山名が表示された看板が立っていた。
柏木山の山名の由来は館岩に砦を構えた海賊の伝説とリンクしている。
天子の命を受けた右大臣百合若は軍船を仕立てて海を渡り、悪戦苦闘の末、海賊を成敗した。
ところが百合若をねたんでいた家来が謀反を起こし、百合若を島に残して帰ってしまった。
都で夫を心配する妻は、百合若が可愛がっていた緑丸という鷹を北へ放って消息を訪ねさせた。
緑丸は飛島へ辿り着き、妻の便りを伝えた。百合若はカシワの葉の燃え残りの灰で返事を書いたが、緑丸が都に着いた時は雨に濡れて判読不能になっていた。そこで再び緑丸の足に紙と筆を結んで放ったが、途中激しい嵐に遭い、飛島を目の前にした寺島付近で海に落ちて死んでしまう。
後日、百合若は海岸に漂着した鷹の羽を見つけて緑丸の死を知り悲しみに暮れた。その後、漂着した漁師によって都へ帰ることができたという。彼にちなむ地名は現在でも残り、都の妻に便りをするために柏の葉をとった所が「柏木山」。釣りをしたところが「百合島」と呼ばれるようになった。

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最後に階段を下ると飛島大橋近くの農免道路へ出た。
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発電所裏手へ下りる急な階段を下って、勝浦集落に戻る。
民宿波止場荘の前にたむろしている猫達を少し観察。
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次は西村食堂前の観光用無料自転車貸出所に行って、名簿に記入の上自転車を借りる。
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少し走ってみるとサドルの高さが全然合わないので停まって調整した。

港沿いの県道はほとんど車が走っていないので、安全快適にサイクリングが楽しめる。
気持ちいい風に吹かれながら北上すると盤の磯にあるテキ穴に立ち寄った。
海蝕洞が成因であるテキ穴は古くから神聖な場所と言われ、「決して入ってはいけない。」と島の住民の間で語り告げられていた場所だ。
現在は県道や港の整備のため、崖が削られ、穴の奥行は以前より短くなってしまったらしいが、昭和39年に地元の中学生が穴の中で人骨を発見し、調査したところ平安時代の人骨や土器が多数出土したと言われている。現在その人骨は鶴岡市の致道博物館で見られるらしい。


穴の内部に入るとひんやりとした空気に包まれる。
奥は落盤して埋まってしまったが、鋭角に左折する分岐があり、狭い岩間を抜けてさらに奥まで穴は続いていて、最
奥まで行って引き返した。
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港湾施設がなくなる戸ヶ崎から鳥海山を遠望する。
午後にサイクリングを行ったのは、順光になる時間帯を狙ったためだ。
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飛島の名前の由来が面白い。
伝説では昔昔一人の旅人が鳥海山を眺めて「素晴らしい山だ、日本一だ。」と感嘆した。
鳥海山は喜び、なお美しく見せようとしたところ、旅人は「しかし、駿河の国の富士山は、もっと高くて美しかった。」と言ったため、鳥海山は激怒し、噴火してしまい、頂上の一角が飛んで海に落ちて飛島ができた。


レンタサイクルはギアがついていないため、坂道を登る時には疲れるので自転車を押して歩いた。
鼻戸崎展望台の入口に自転車を置いて、遊歩道を登っていく。

眼下にとびしま総合センターと飛島小中学校が見えている。
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鼻戸崎展望台からコバルトブルーの海と、彼方に鳥海山を望む。
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飛島における鳥海山信仰のひとつに毎年7月14日に開催される火合わせ神事がある。
島内の中村集落の山手に建つ小物忌神社は鳥海山大物忌神社と対をなし、兄妹のような関係にある。
この神事では鳥海山山頂、鳥海山七合目の御浜、遊佐町吹浦の西浜、酒田市宮海、そして飛島の小物忌神社の5箇所で夜8時ごろに同時を火を焚き、お互いの火の見え方によってその年の農作物の作況を占うそうだ。

鳥海山のアップ。
日本海に山裾を洗う様子がよく分かる。
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良く目を凝らして見ると、洋上に浮かぶ月山の姿が薄く見えていた。
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鼻戸崎遊歩道を半時計回りに周回すると、ダブノキの純林が素晴らしい巨木の森に入る。
タブノキは飛島が北限の地で、島の水源を保つ重要な役割を果たしている。
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帰りの船便に間に合わなくなるため、法木集落や、八幡崎、渚の鐘など島北部の名所は割愛して、飛島最高点(69m)の高森山へショートカットして向かう。急坂は自転車を押して登った。
高森山は三角点はなく、飛島灯台が目印。灯台の基部まで登ってみても展望は得られなかった。
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灯台から畑地が連なる農免道路を快適にサイクリングする。
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かなり時間に余裕を持って勝浦漁港へ戻った。
借りた自転車を返却し、マリンプラザでコーラを飲んで一息つく。
窓口で乗船券の引換券を乗船券に取り換えてもらう。

船を待っている間、カフェスペースしまかへとびうお焼き干しだしアイスを購入。
もう少しあご出汁の味が利いて欲しかった感じ・・・
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やがて第2便の帰りの船が港に着岸した。
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午後4時15分、港を離岸。
出港して直ぐにウミネコが船に近づいてくる。
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行きには船体が邪魔して飛島の全景の写真が撮れなかったが、帰りの船では遠ざかる島がずっと見えていた。
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帰路は背後からの北西風に押される押し波のため、うねりの影響は感じず、揺れも左程気にならない快適な船旅が楽しめた。

見慣れた山並みが海から違ったアングルで見えている。
右から母狩山、湯ノ沢岳、摩耶山、虚空蔵山、藤倉山、鎧岳、温海岳。
その手前に低く濃い色で見えるのは高館山と荒倉山。
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よりクリアな視界で洋上に聳える鳥海山。
手前にウミネコが集まって鳥山を作っている。小魚の群れがいるのであろう。
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酒田港に戻ってザックをいったん車に置き、海鮮どんやとびしまでとびしま丼(1080円)を食べる。
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朝から夕方まで島のトレッキングを目いっぱい楽しんだ一日だった。
標高的に柏木山がやまがた百名山に選定された事に異論がある方もおられると思うが、実際に歩いて見ると、海と山と花が織りなす風景が楽しめ、歴史や民俗学的にも知的好奇心を満足させてくれるので、選定された事は正解だったと感じる。それほど内容の濃いトレッキングコースだった。

(注)この記事の伝説等の記述は古関吉行著「飛島ゆらゆら一人旅」(無明舎出版)を一部引用にさせていただきました。


GPS軌跡。
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