前日夜に内業が終わり、資料をメールで送ったので軽く山に行きたくなった。
予定では昨年発見できなかった最上峡・草薙のあがりこブナを見にいくつもりだったが、同行すmaronnさんが戸沢村役場にあがりこブナの位置を確認するため電話を入れたところ、あがりこブナは中央から真っ二つに割れてしまい、現在は見る価値がなくなってしまったらしい。鳥海山のあがりこ大王に匹敵すると言われたブナの巨木なのに、その雄姿を見る事ができなかったのは残念だ。
と言うことで、今回は与蔵峠に行ったときに時間が足りず、見に行けなかった藤九郎沢の千年カツラを見に行くことにした。それだけでは物足りないので未登の八向山にもチャレンジする。
【 11/27 藤九郎沢の千年カツラと八向山(206m) 山形・弁慶山地 】
●藤九郎沢の千年カツラ:与蔵峠大芦沢登山口への林道分岐~林道崩壊地点~林道終点~藤九郎沢の大桂~藤九郎沢の千年カツラ(往復)
●八向山:八幡神社駐車場~揚水機場~八向山登山口~視点場~稜線分岐~八向山~稜線分岐~八向楯~八向山登山口~揚水機場~八幡神社駐車場
現在、鮭川村のHPでは藤九郎沢の千年カツラは立入禁止になっている。
昨年8月の集中豪雨で林道と遊歩道の一部が崩落したためと聞いている。
この前、与蔵峠に登った時に、大芦沢登山口でキャンプをしていた地元の方に藤九郎沢の千年カツラに行けるかどうか聞いたら、「林道にブナの倒木があり、一か所崩壊しているが、問題なく行けますよ。」という返事だった。
大芦沢川左岸に沿った林道を走行して、与蔵峠と藤九郎沢の千年カツラへ行く林道の分岐に着く。
試しに右折して千年カツラ方面にほんの少し入ったら、道がかなり荒れていたため車を広い路肩に駐車して歩き始めた。
南側に与蔵山が見えている。
以前、羽根沢温泉に下る仲間と与蔵山山頂で別れて、写真の右手のピークから藪漕ぎで大芦沢川へ下ったことを思い出した。

予定では昨年発見できなかった最上峡・草薙のあがりこブナを見にいくつもりだったが、同行すmaronnさんが戸沢村役場にあがりこブナの位置を確認するため電話を入れたところ、あがりこブナは中央から真っ二つに割れてしまい、現在は見る価値がなくなってしまったらしい。鳥海山のあがりこ大王に匹敵すると言われたブナの巨木なのに、その雄姿を見る事ができなかったのは残念だ。
と言うことで、今回は与蔵峠に行ったときに時間が足りず、見に行けなかった藤九郎沢の千年カツラを見に行くことにした。それだけでは物足りないので未登の八向山にもチャレンジする。
【 11/27 藤九郎沢の千年カツラと八向山(206m) 山形・弁慶山地 】
●藤九郎沢の千年カツラ:与蔵峠大芦沢登山口への林道分岐~林道崩壊地点~林道終点~藤九郎沢の大桂~藤九郎沢の千年カツラ(往復)
●八向山:八幡神社駐車場~揚水機場~八向山登山口~視点場~稜線分岐~八向山~稜線分岐~八向楯~八向山登山口~揚水機場~八幡神社駐車場
現在、鮭川村のHPでは藤九郎沢の千年カツラは立入禁止になっている。
昨年8月の集中豪雨で林道と遊歩道の一部が崩落したためと聞いている。
この前、与蔵峠に登った時に、大芦沢登山口でキャンプをしていた地元の方に藤九郎沢の千年カツラに行けるかどうか聞いたら、「林道にブナの倒木があり、一か所崩壊しているが、問題なく行けますよ。」という返事だった。
大芦沢川左岸に沿った林道を走行して、与蔵峠と藤九郎沢の千年カツラへ行く林道の分岐に着く。
試しに右折して千年カツラ方面にほんの少し入ったら、道がかなり荒れていたため車を広い路肩に駐車して歩き始めた。
南側に与蔵山が見えている。
以前、羽根沢温泉に下る仲間と与蔵山山頂で別れて、写真の右手のピークから藪漕ぎで大芦沢川へ下ったことを思い出した。

伐採作業が終わった杉林を通過すると道沿いはブナ林に変わる。
途中、ブナの倒木が林道に横たわっていた。

そこから僅かな距離で、今度は林道が大きく崩壊している。
聞いていた通りだ。

崩壊地より先は穏やかな林道をたどる。

少し下ると、藪に覆われた駐車場と思われる広場があり、傍らに藤九郎沢の千年カツラの説明看板があった。

藤九郎沢左岸の高みにある大地が看板に書かれた杉台であろう。
台地の中央に豊かな丸い樹冠を広げた杉の木が見える。
どんな巨木なのか見てみたい衝動に駆られる。

広場から階段を急下降する。
幅の狭い階段が落ち葉に隠れて歩きにくい。
途中、倒れたブナを支えている木があった。

杉台沢が近づくと太いブナが現れた。
この付近は非常にステップが狭い道が続き、滑落しないように気をつかって歩を進めた。

杉台沢にかかる小滝が見える。
この滝の左上に大きな栃と桂の木があった。

サワグルミが林立する崩壊地の底を歩いて行くと、幹が非常に太いカツラの巨木が立っていた。
これが藤九郎沢の大桂である。

大桂から藤九郎沢の大カツラまで300mの距離を残すだけだが、この先、ほとんど踏み跡に近い道になってしまう。
なるほど、通行禁止になっている理由が分かった。
昨年夏の豪雨で、大桂から千年カツラまでの区間の一部が山抜けしてしまったようだ。
極薄いステップの踏み跡を、イタドリの茎をつかんで慎重にトラバースする。
巨木目当ての観光客では太刀打ちできない危険な場所だった。

トラバースが終わり少し下ると、藤九郎沢の大カツラが現れた。
幹周19.34m。樹高40m。樹齢は約1000年と推定される巨木だ。
但し、最上町の権現山の大カツラに比べると、形が整いすぎているため威圧感に乏しい。
写真で見ると尚更こじんまりとして見えてしまう。

根元まで下って見上げると、この巨木の大きさがより実感できた。

カツラの巨木の全国ランキングは諸説いろいろあって良く分からない。
まあ日本最大級の巨木といって間違いないだろう。
maronnさんがそばに立ってくれると、この木の大きさが初めて実感できた。

車に戻り、次の目的地:八向山に移動する。
この界隈は勝手知ったる地域なので、カーナビ無しでも簡単に現地に行けた。
まず八向山を最上川対岸から眺める。
実際の山頂部分は白い岩壁の峰に隠れて見えないが、この岩壁上部に中世の八向楯があり、岩壁の中央に矢向神社が祀られている。
川の対岸にあるこの鳥居は矢向神社の鳥居で、この場所が遥拝所となっている。

白い断崖の中腹に祀られている矢向神社は、平安時代前期、貞観16年(874)に従五位下を授けられ、最上川の難所から舟人を守る神「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が祀られている。
そして文治3年(1187)、兄頼朝と対立した源義経は、舟で最上川をさかのぼり、本合海で上陸して奥州平泉に向かうが、この時義経も「矢向大明神」を伏し拝んだと「義経記」に記されている。
以前は社に至る岩場を穿った階段が見えていたが、現在は風化が激しく、その参拝路は消失してしまったようだ。

国道47号線を少し東に戻り、「やまがた百名山 八向山」の標識を目印に鋭角に左折し、車道を奥に進むと右手に八幡神社が建っている。

右奥に駐車場があるが、鉄分質の泥濘が酷くあまり奥には突っ込めない。
せっかくの句碑が台無しの雰囲気だ。

やまがた百名山のコース図には新田川右岸に沿った道は昨年の豪雨被害で歩けなくなり、山際に迂回路ができたと記載されていたが、新田川右岸の作業道は何ら問題なく歩けた。
ただし車の進入は途中に萱とゴミが堆積した箇所があるため無理。

北西側に杉林のピークが見えているが、地図で確認すると手前の200mピークのようだ。

大きく屈曲し、流れが非常に速い最上川。
本合海大橋が見えている。

再び、萱とゴミが堆積した場所を通過すると揚水機場の建物が見えてくる。

八向山登山口はこの建物の奥、左手にある。
小沢に設けられていた材木の橋は流されて、少し下流に転がっていた。

登山口からいきなり急登が始まる。
道はU字型に掘れて古道の雰囲気を醸し出している。

顕著な尾根に乗り上げると、東側の視界が広がった。
八幡神社北西側の三角点峰(点名:八幡)が望める。

写真の真ん中少し右手に駐車した車。
彼方に見えるのは熊ノ返連山だ。

穏やかな尾根筋にはミズナラの雑木林が続く。

視点場の看板が置かれた場所から杢蔵山方面が見えていた。
火打岳は山頂部分が雲に隠れている。

稜線分岐に着く。
八向山へ続く北側の尾根には道がなく、藪漕ぎを強いられると聞いて覚悟していったが、粗く刈り払いが成されていた。

しかし粗い刈り払いも200mピークまで、たった150m区間で終わっていた。

少し戻り、笹薮を漕いで西側の尾根に移行する。
この付近の藪が一番濃かったが、踏み跡をたどると楽に通過できた。
途中から尾根の西側の藪が薄いところを通る。
赤テープは尾根を忠実にたどっているが、それに従うのは得策ではない。
ここで役に立ったのが剪定バサミ。
絡んでいる枝や、邪魔なツタをカットして進んだら意外にスムースに進めた。
(薮区間は剪定に忙しく写真はなし。)
適当に藪漕ぎしていると、再び顕著な刈払い区間が始まる。
左手が切れ落ちた部分が刈り払われているので、この点は助かった。
途中、木々の切れ間から高倉山(右)と柴倉山が望めた。
右のなだらかな三角峰は鳥形山。その奥の双耳峰が下柳沢山だ。
一番右奥には小岳が見えている。しかし月山は雲がかかって見えない。

視線を右に振ると今年3月に登った立谷沢火打岳と1050m峰が確認できた。
虚空蔵岳も辛うじて見えているようだ。

小さなアップダウンを繰り返して、ようやく木々の向こうに八向山山頂が見えてくる。

一か所、左手が崩壊して切れ落ちている箇所があった。
落ちたら助からないので、ここは慎重に通過する。

山頂直下。北西方向に与蔵山が望めた。
山頂に送電線鉄塔が立っているので一目で分かる。

そして展望のない八向山山頂に到着。
6畳ぐらい刈り払われた広場になっていて、腰を下ろして少し遅い昼食をとる。

山頂付近の刈り払いは西側の尾根から伸びていた。
地図を見ると西側の200mピーク付近まで林道が上がっているようで、そこから八向山まで刈り払いをした御仁がいるようだ。
この刈払いが南側の何処まで伸びているか確認するため、正規の尾根筋から離れて刈り払いを追ってみた。すると主稜線の東側にどんどん外れていって、途中の尾根を向きを変えて北へ下っている。
車を停めた八幡神社とは反対方向へ行っていまうため、刈り払いを追うことを止めにして主稜線に戻った。
後は適当に藪の薄いところを狙って進む。藪漕ぎに慣れてくると薮の中に一筋の道が見えてくる。
藪漕ぎの難易度としては中級と初級の間ぐらいだ。但し、緑が繁茂した時期なら藪漕ぎの苦労は倍加すると思うし、藪漕ぎの経験のない登山者は行かない方が賢明と感じる。
稜線分岐まで戻り、整備された道を八向楯目指して下って行く。
楯の手前に急なロープ場があった。足場が滑るので慎重に降りる。

八向楯は最上川右岸の浸食が激しい断崖の上に、天正年間(1573~92)、清水城主清水大蔵家臣の、木戸周防が築いたとされている中世の山城(楯)で、庄内の武藤氏の攻めに備えて構築されたと言われる。
自然の要害の地に、最上川の方向に突き出た尾根筋を断ち切って、本丸・二の丸・三の丸の曲輪を持った郭を区画し、それぞれの境に薬研(やげん)掘りの二重の深い空濠(からぼり)を設けている。
薬研というのはV字型のことを差すらしいが、現在でもその空濠の遺構は顕著に残っている。

最上川の対岸から眺めた時に、崖の上にこんな広い楯跡があったとは想像もしなかった。

崖っ縁まで行ってみると、その展望の良さに驚いた。

眼下に大きく蛇行する早瀬の最上川が一望できる。

遠く御所山西端の甑岳、そして右に大高根山が霞む。

葉山が朧気ながらも何とか見えていた。

何で山頂まで道のない八向山がやまがた百名山に選ばれたのであろうか?
とずっと疑問を抱いていたのだが、実際の八向楯の上に立つと、その懸念が払しょくされた。
歴史の重みと、展望の良さを兼ね備えた山であることが分かった。
帰路、道端にクリタケを見つける。

それに気を良くして、登山道を離れ藪漕ぎでショートカットしてみたが、腐れたナメコが少しあっただけ。しかし終盤にまだギリギリ健在のナメコを見つけた。
この翌日から急激に寒気が入ったため、おそらく今年最後のキノコ採りになるであろう。

天気が芳しくないながらも結構楽しめた山歩きだった。
GPS軌跡。(千年カツラについては山慣れた登山者以外危険なので軌跡はアップしません、)

途中、ブナの倒木が林道に横たわっていた。

そこから僅かな距離で、今度は林道が大きく崩壊している。
聞いていた通りだ。

崩壊地より先は穏やかな林道をたどる。

少し下ると、藪に覆われた駐車場と思われる広場があり、傍らに藤九郎沢の千年カツラの説明看板があった。

藤九郎沢左岸の高みにある大地が看板に書かれた杉台であろう。
台地の中央に豊かな丸い樹冠を広げた杉の木が見える。
どんな巨木なのか見てみたい衝動に駆られる。

広場から階段を急下降する。
幅の狭い階段が落ち葉に隠れて歩きにくい。
途中、倒れたブナを支えている木があった。

杉台沢が近づくと太いブナが現れた。
この付近は非常にステップが狭い道が続き、滑落しないように気をつかって歩を進めた。

杉台沢にかかる小滝が見える。
この滝の左上に大きな栃と桂の木があった。

サワグルミが林立する崩壊地の底を歩いて行くと、幹が非常に太いカツラの巨木が立っていた。
これが藤九郎沢の大桂である。

大桂から藤九郎沢の大カツラまで300mの距離を残すだけだが、この先、ほとんど踏み跡に近い道になってしまう。
なるほど、通行禁止になっている理由が分かった。
昨年夏の豪雨で、大桂から千年カツラまでの区間の一部が山抜けしてしまったようだ。
極薄いステップの踏み跡を、イタドリの茎をつかんで慎重にトラバースする。
巨木目当ての観光客では太刀打ちできない危険な場所だった。

トラバースが終わり少し下ると、藤九郎沢の大カツラが現れた。
幹周19.34m。樹高40m。樹齢は約1000年と推定される巨木だ。
但し、最上町の権現山の大カツラに比べると、形が整いすぎているため威圧感に乏しい。
写真で見ると尚更こじんまりとして見えてしまう。

根元まで下って見上げると、この巨木の大きさがより実感できた。

カツラの巨木の全国ランキングは諸説いろいろあって良く分からない。
まあ日本最大級の巨木といって間違いないだろう。
maronnさんがそばに立ってくれると、この木の大きさが初めて実感できた。

車に戻り、次の目的地:八向山に移動する。
この界隈は勝手知ったる地域なので、カーナビ無しでも簡単に現地に行けた。
まず八向山を最上川対岸から眺める。
実際の山頂部分は白い岩壁の峰に隠れて見えないが、この岩壁上部に中世の八向楯があり、岩壁の中央に矢向神社が祀られている。
川の対岸にあるこの鳥居は矢向神社の鳥居で、この場所が遥拝所となっている。

白い断崖の中腹に祀られている矢向神社は、平安時代前期、貞観16年(874)に従五位下を授けられ、最上川の難所から舟人を守る神「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が祀られている。
そして文治3年(1187)、兄頼朝と対立した源義経は、舟で最上川をさかのぼり、本合海で上陸して奥州平泉に向かうが、この時義経も「矢向大明神」を伏し拝んだと「義経記」に記されている。
以前は社に至る岩場を穿った階段が見えていたが、現在は風化が激しく、その参拝路は消失してしまったようだ。

国道47号線を少し東に戻り、「やまがた百名山 八向山」の標識を目印に鋭角に左折し、車道を奥に進むと右手に八幡神社が建っている。

右奥に駐車場があるが、鉄分質の泥濘が酷くあまり奥には突っ込めない。
せっかくの句碑が台無しの雰囲気だ。

やまがた百名山のコース図には新田川右岸に沿った道は昨年の豪雨被害で歩けなくなり、山際に迂回路ができたと記載されていたが、新田川右岸の作業道は何ら問題なく歩けた。
ただし車の進入は途中に萱とゴミが堆積した箇所があるため無理。

北西側に杉林のピークが見えているが、地図で確認すると手前の200mピークのようだ。

大きく屈曲し、流れが非常に速い最上川。
本合海大橋が見えている。

再び、萱とゴミが堆積した場所を通過すると揚水機場の建物が見えてくる。

八向山登山口はこの建物の奥、左手にある。
小沢に設けられていた材木の橋は流されて、少し下流に転がっていた。

登山口からいきなり急登が始まる。
道はU字型に掘れて古道の雰囲気を醸し出している。

顕著な尾根に乗り上げると、東側の視界が広がった。
八幡神社北西側の三角点峰(点名:八幡)が望める。

写真の真ん中少し右手に駐車した車。
彼方に見えるのは熊ノ返連山だ。

穏やかな尾根筋にはミズナラの雑木林が続く。

視点場の看板が置かれた場所から杢蔵山方面が見えていた。
火打岳は山頂部分が雲に隠れている。

稜線分岐に着く。
八向山へ続く北側の尾根には道がなく、藪漕ぎを強いられると聞いて覚悟していったが、粗く刈り払いが成されていた。

しかし粗い刈り払いも200mピークまで、たった150m区間で終わっていた。

少し戻り、笹薮を漕いで西側の尾根に移行する。
この付近の藪が一番濃かったが、踏み跡をたどると楽に通過できた。
途中から尾根の西側の藪が薄いところを通る。
赤テープは尾根を忠実にたどっているが、それに従うのは得策ではない。
ここで役に立ったのが剪定バサミ。
絡んでいる枝や、邪魔なツタをカットして進んだら意外にスムースに進めた。
(薮区間は剪定に忙しく写真はなし。)
適当に藪漕ぎしていると、再び顕著な刈払い区間が始まる。
左手が切れ落ちた部分が刈り払われているので、この点は助かった。
途中、木々の切れ間から高倉山(右)と柴倉山が望めた。
右のなだらかな三角峰は鳥形山。その奥の双耳峰が下柳沢山だ。
一番右奥には小岳が見えている。しかし月山は雲がかかって見えない。

視線を右に振ると今年3月に登った立谷沢火打岳と1050m峰が確認できた。
虚空蔵岳も辛うじて見えているようだ。

小さなアップダウンを繰り返して、ようやく木々の向こうに八向山山頂が見えてくる。

一か所、左手が崩壊して切れ落ちている箇所があった。
落ちたら助からないので、ここは慎重に通過する。

山頂直下。北西方向に与蔵山が望めた。
山頂に送電線鉄塔が立っているので一目で分かる。

そして展望のない八向山山頂に到着。
6畳ぐらい刈り払われた広場になっていて、腰を下ろして少し遅い昼食をとる。

山頂付近の刈り払いは西側の尾根から伸びていた。
地図を見ると西側の200mピーク付近まで林道が上がっているようで、そこから八向山まで刈り払いをした御仁がいるようだ。
この刈払いが南側の何処まで伸びているか確認するため、正規の尾根筋から離れて刈り払いを追ってみた。すると主稜線の東側にどんどん外れていって、途中の尾根を向きを変えて北へ下っている。
車を停めた八幡神社とは反対方向へ行っていまうため、刈り払いを追うことを止めにして主稜線に戻った。
後は適当に藪の薄いところを狙って進む。藪漕ぎに慣れてくると薮の中に一筋の道が見えてくる。
藪漕ぎの難易度としては中級と初級の間ぐらいだ。但し、緑が繁茂した時期なら藪漕ぎの苦労は倍加すると思うし、藪漕ぎの経験のない登山者は行かない方が賢明と感じる。
稜線分岐まで戻り、整備された道を八向楯目指して下って行く。
楯の手前に急なロープ場があった。足場が滑るので慎重に降りる。

八向楯は最上川右岸の浸食が激しい断崖の上に、天正年間(1573~92)、清水城主清水大蔵家臣の、木戸周防が築いたとされている中世の山城(楯)で、庄内の武藤氏の攻めに備えて構築されたと言われる。
自然の要害の地に、最上川の方向に突き出た尾根筋を断ち切って、本丸・二の丸・三の丸の曲輪を持った郭を区画し、それぞれの境に薬研(やげん)掘りの二重の深い空濠(からぼり)を設けている。
薬研というのはV字型のことを差すらしいが、現在でもその空濠の遺構は顕著に残っている。

最上川の対岸から眺めた時に、崖の上にこんな広い楯跡があったとは想像もしなかった。

崖っ縁まで行ってみると、その展望の良さに驚いた。

眼下に大きく蛇行する早瀬の最上川が一望できる。

遠く御所山西端の甑岳、そして右に大高根山が霞む。

葉山が朧気ながらも何とか見えていた。

何で山頂まで道のない八向山がやまがた百名山に選ばれたのであろうか?
とずっと疑問を抱いていたのだが、実際の八向楯の上に立つと、その懸念が払しょくされた。
歴史の重みと、展望の良さを兼ね備えた山であることが分かった。
帰路、道端にクリタケを見つける。

それに気を良くして、登山道を離れ藪漕ぎでショートカットしてみたが、腐れたナメコが少しあっただけ。しかし終盤にまだギリギリ健在のナメコを見つけた。
この翌日から急激に寒気が入ったため、おそらく今年最後のキノコ採りになるであろう。

天気が芳しくないながらも結構楽しめた山歩きだった。
GPS軌跡。(千年カツラについては山慣れた登山者以外危険なので軌跡はアップしません、)

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