共著『分県登山ガイド 宮城県の山』の2刷が決まり、晩秋の頃は出版した内容で経年のため変わった点を書き直していた。
私の担当する秋保の大倉山に関しては、「いってみっぺ秋保」のパンフを確認すると、新たに道標が設置されたようで、その内容にて原稿と地図の変更を行った。もう校了したのであるが、一応自分の目で見て確かめる意味で、3年ぶりに大倉山に登ってみた。
マスさんはこの日仕事なので、気楽な単独登山である。

【 12/29 大倉山(432m)と楯山(334m) 宮城・仙台市近郊 】
●大倉山:羽山登山口~幣束岩群~大倉山~大倉山管理道路分岐~井戸沢林道~井戸沢林道入り口~羽山登山口
●楯山:楯山登山口~楯山(往復)

羽山地区の大倉山登山口。
以前は車1台程度駐車できるスペースがあったが、地主さんのご厚意により、堀の北側の空き地が登山者用の駐車場として開放された。しかしせいぜい車3台駐車が限界なので、この点ガイドブックには記載しなかった。

その駐車場から見上げた大倉山
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大きな石の鳥居が山頂の月山神社(羽山神社)の参拝道入口だ。
ここは、かつて秋保郷随一の修験をとりまとめた寺院である光善院の屋敷跡と言われる。
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登り初めはスギの植林地。
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そこを抜けると二次林の雑木林に入る。
その先、再び左手にスギ林が続くと、巨岩が現れてくる。
今回はなかったが、3か所の岩陰に幣束が置かれ、古くは秦神社と呼ばれたらしい。
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雑木林の急坂の途中に炭焼きの窯跡と思われるくぼ地がある。
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大きな岩群を縫って登って行くと、杉並木の急登となる。
この付近が一番参拝道らしい。
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ところでガイドパンフに記載されている、八合目にあったと言われる医王山薬師寺跡は何処なのだろうか?ずっと急坂が続き、お寺を建てるスペースが確認できなかった。

そして山頂に着くと、テレビ中継アンテナ施設が現れる。
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その奥に月山神社(羽山神社)の堂宇が鎮座する。
狛犬が狐様なのも面白い。
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小規模ながら鐘楼もあり、登る度に鐘を突いているのだった。
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以前、山頂の北西側が地元の方々によって大きく伐採され、秋保温泉や太白山、蕃山などの展望が素晴らしかったが、現在は少し木々が伸びて視界はあまり良くない。
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堂宇の10m奥に幅4m、高さ1.5mの巨岩がある。
今まで全く気がつかなかったが、この巨岩は「おみたらし」と呼ばれるご神体で、どんな日照りが続いても、上に空いた穴の水が涸れず、これを掻くと雨が降るという伝説があり、雨乞いの儀式が行われたと言う。
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試しに上部の穴を覗いてみた。
何となく湿っている感じだが、涸れている・・・・・・・・・・・・・
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巨岩の少し南側が三角点のある山頂。
木々に囲まれて展望はない。
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山頂からテレビ中継アンテナの大倉山管理道を下る。
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途中、電線のケーブルが道を外れて直降する地点から蔵王連峰が望める。
しかし現在、ケーブルの下部の刈り払いがしばらく行われていないようで、邪魔な低木が伸び、写真を撮るほど展望は開けていなかった。

やがて大倉山管理道を離れて左折し、送電線の巡視路を南に下る。
ここに立派な道標がついた。

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この分岐のケーブルルートから二口の山々が望める。
糸岳と三方倉山(左)。
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仙台神室と手前が相ノ峰。
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巡視路に入ると雑木林が広がり、気分的にほっとできる。
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送電線鉄塔を下から眺める。空が青い。
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以前、不確かだった鋭角に左に折れる分岐に道標がついた。
この先は急な斜面をジグザグに降りるが、足場が滑りやすいので注意が必要なところだ。
パンフレットには「スベリ坂」と記載されている。

急斜面を下りきった場所にも道標がついている。
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春先にはカタクリが咲く雑木林を東進し、小沢を渡って少し登り返すと、送電線の下が大規模に伐採されていた。
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右手には以前登った仏岩のピークが見えている。
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送電線鉄塔の陽だまりの下でお昼ご飯を食べた。

鉄塔から少し下ると井戸沢林道に出る。
ここにも道標が設置された。
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井戸沢林道は昔、東街道から秋保を抜け、分岐して川崎を経て笹谷街道へ抜ける往還であったらしい。
現在は道形が消失し、川崎町側に抜けるのはできない。これを現在は安達古道と呼んでいる。

この井戸沢林道はスギの美林が続き、春には道の脇にスミレの花が咲き誇る。
しかし林道自体は非常に荒れているので、歩行のみで車の通行は無理。
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左に民家に入る道を分けると、立派な林道が県道まで続く。
井戸沢林道入り口には道標はないが、入口から西へ約50m離れた山際に馬頭観音碑が立っている。
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後は舗装された県道をテクテク歩いて車に戻るのみ。
走行車両は少ないので気楽に歩ける。
道脇にタンポポやオオイヌノフグリが咲いていた。
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大倉山を歩いただけでは物足りないので、次いでのもう一山。
西隣にそびえる楯山に行く。
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平氏が壇ノ浦で敗れ、平清盛の嫡男である平重盛の子孫が秋保郷に定着し、後の秋保氏の祖となり秋保五村を治める。そしてこの楯山に支配の拠点である山城を築いた。その後、伊達藩の重臣を勤め、名取川左岸の長館に屋敷と家中集落「舘」を構えて、秋保郷を統括し明治に至っている。
現在、楯山の山頂は楯山城址として整備されている。
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登山口は舘山原にあるガラス工房・海馬の入口にある。
駐車場の有無が分からなかったので、少し南側の空き地に車を停めたが、入口に登山者用の3台ほどの駐車場が完備されていた。
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針金で止められたイノシシ用の扉を開け閉めして急な階段を登る。
九十九折りの登山道は傾斜が緩く取られていて歩きやすい。
途中、屈曲する道の横に登ってきた大倉山が梢越しに見えている。
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急峻な山自体が鉄壁の要害を成しているため、登りの途中で曲輪などの構築物は見当たらなかった。
約30分ほど登るとようやく山頂が見えてくる。
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そして標高334mの山頂とは思えないほど開けた平場が広がる城址に着く。
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平場を取り囲むように土塁や堀形があり、戦国時代の堅固な山城の空気を伝えている。
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北側の一段高い丘に登ってみると石祠と何が掘られているのか分からない石碑があった。
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もう一段高い広場には山名標識はなく、四等三角点が設置されているのみ。
北側に道が続いているので行ってみると、そこは物見台になっていたようで秋保郷が一望できた。
一番目立つのは端正な三角形の戸神山
その背後に船形連峰の山々が見渡せる。
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戸神山のアップ。
右奥の山は船形山。
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船形連峰の山々の右には北泉ヶ岳(左)と泉ヶ岳が一望できる。
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西側には矢尽と面白山。
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関山峠の奥には黒伏山と白森(右)が頭を出している。
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仙台カゴと楠峰(右)も見えている。
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小高い北側の丘を一周して再び平地に戻る。
以前より木々が伸びてしまったが、そこからは南西から西側の展望が開ける。

南蔵王は午後から雲がかかってしまった。
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雁戸山はシルエットになるとよりギザギザの山容が際立つ。
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三森山とオボコンベ、桐ノ目山、その奥に山形神室、仙台神室、三方倉山が並んでいる。
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オボコンベがくっきり見えるのは嬉しい。
背後は右からハマグリ山、鹿増山、トンガリ山。
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安達変電所の奥に大東岳が大きい。
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城址の平地に長く伸びた影
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大倉山にも夕日が当たり、立体感が増して見えてきた。
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平頂の蕃山と太白山を眺めながら飲んだコーヒーは美味かった。
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往路を戻り、車に乗って名取川にかかる竹ノ内橋に立ち寄って、この日登った大倉山(奥)と楯山(右)を眺める。
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帰路、愛子大仏のそばを通ると日没が近かった。
そこで車を停めて中央蔵王に沈む夕日を撮影する。
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大晦日は日本海側で荒れた天気になる予報なので、今年、脊梁山脈に沈む夕日はこれが最後であろう。

GPS軌跡(楯山のみ)
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これで今年アップするブログ記事は終わりです。

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