前々週の日曜日は来年3月に開催する写真展の出品作を選定するお手伝いをして潰れ、3日は母の法事のため土曜日から忙しく、平日もいろいろ用事があり、結局2週間も山に登れない状態だった。
そこでスケジュールが空いた4日の月曜日に近場の山を歩いてこようと考えた。
最初は宮城県南の低山を軽く歩いてくる予定で、朝のラッシュがある程度緩和される8時半過ぎに家を出た。しかし月曜日はこの時間でも渋滞が収まらず、東北道に乗るのも時間がかかりそうなので、河岸を変えて急きょ登る山を山形県村山市の鷹返山に変更した。
この山は以前厳冬期にスノーシューで登ったことがある。
【 12/4 鷹返山(360m)から楯山(210m) 山形・御所山 】
東沢バラ公園駐車場~鷹返山~楯山七曲りコース入口~西楯山~中楯山~東楯山~おせんど山~東沢バラ公園駐車場
国道48号線は速度の遅い大型トラックが先行していたため、山形県に入るのに時間がかかってしまった。
しかし原宿のT字路交差点を過ぎると、この時期特有の朝霧が立ち込め、鉛色の世界が広がっていた。
午前10時過ぎになっても一向に霧が晴れる兆候が見えないため、よってけポポラに立ち寄ってリンゴとラ・フランス、そして昼食用のおこわのおにぎりを購入し時間をつぶす。
東沢バラ園駐車場の駐車場には午前10時半に到着。
スマホで現地の天気予報や、近隣のライブカメラを確認し、もう少しで霧が晴れてくる確信を持った。
午前10時45分に出発。
冬囲いされたバラの木が立ち並ぶ東沢バラ公園の背後に東楯山の姿がぼんやりと見えてくる。

そこでスケジュールが空いた4日の月曜日に近場の山を歩いてこようと考えた。
最初は宮城県南の低山を軽く歩いてくる予定で、朝のラッシュがある程度緩和される8時半過ぎに家を出た。しかし月曜日はこの時間でも渋滞が収まらず、東北道に乗るのも時間がかかりそうなので、河岸を変えて急きょ登る山を山形県村山市の鷹返山に変更した。
この山は以前厳冬期にスノーシューで登ったことがある。
【 12/4 鷹返山(360m)から楯山(210m) 山形・御所山 】
東沢バラ公園駐車場~鷹返山~楯山七曲りコース入口~西楯山~中楯山~東楯山~おせんど山~東沢バラ公園駐車場
国道48号線は速度の遅い大型トラックが先行していたため、山形県に入るのに時間がかかってしまった。
しかし原宿のT字路交差点を過ぎると、この時期特有の朝霧が立ち込め、鉛色の世界が広がっていた。
午前10時過ぎになっても一向に霧が晴れる兆候が見えないため、よってけポポラに立ち寄ってリンゴとラ・フランス、そして昼食用のおこわのおにぎりを購入し時間をつぶす。
東沢バラ園駐車場の駐車場には午前10時半に到着。
スマホで現地の天気予報や、近隣のライブカメラを確認し、もう少しで霧が晴れてくる確信を持った。
午前10時45分に出発。
冬囲いされたバラの木が立ち並ぶ東沢バラ公園の背後に東楯山の姿がぼんやりと見えてくる。

バラ公園の東側にある村山虚空蔵院の大鳥居をくぐる。

しばらく階段の登りが続く。
緩斜面になり階段が終わったと思ったら、まだ先にも階段がでてきた。

村山虚空蔵院の拝殿に着く。
拝殿の背後に今まで霧に隠れていた鷹返山がようやく見えてきた。

拝殿から少し登ると鐘楼が建っている。
鐘を一突き。
素晴らしい鐘の音が山峡に響いた。

鐘楼から先は参道というより山道になる。
この山はアカマツが主体の植生で、キノコは期待できない。

展望が開ける場所は拝殿のところで少し霧に霞む市街地が見下ろせただけで、山中は木々が邪魔してほとんど景気が見えない。
それでも少し木々がまばらな場所から甑岳が見えた。

まだ少し霞んでいるが、村山市街地が梢越しに見える。

村山虚空蔵院の奥の院が建つ鷹返山山頂に到着。
地形図では東の371.5m四等三角点「鷹返山」まで破線の道が記載されているが、その道型はまったく見いだせなかった。

景色はまったく見えない山頂で休憩する気も起きず、すぐに北へ続く山道を下った。
この道筋もアカマツ林が続く。

道の方向が西へ変わった地点から楯山を見る。
一帯は枯死したアカマツが立ち並び、倒木が道に倒れて通行の邪魔をする。

同時にアカマツが枯れたため、日当たりが良くなってササが繁茂していた。
東沢溜池北側の車道に出る。
この道は12月1日より冬季通行止めになっていた。
水が涸れた東沢溜池の奥に、歩いてきた鷹返山と左奥に甑岳が見える。

楯山は七曲りコース入口から入山。
2017年9月にもここから山へ入った。

少し時雨てきたが、スギ林の中なので濡れる心配はない。

楯山の西側にはシャガが繁茂している。
5月中旬ごろの花期に来たら満開のシャガに出会えるかもしれない。

十字路を右折。
城跡の曲輪を上手く回り込みながら登っていくと、西楯山の山頂に着く。
ここは楯山の実質的な山頂で、かつて楯岡城の主郭があった。現在は展望台が設置されている。

山頂の一角に生えているカンボクの真っ赤な実が特に目立つ。

展望台に登ってみた。
この頃から完全に霧が晴れ、村山市街地が眼下に望める。
しかしお昼時なので、逆光で屋根が光り、写真を撮るには不向きな場所だった。

前回登った時になかった楯山山頂の標柱。

十字路まで戻り、中楯山へ向かう道をたどる。
前回はすぐ右へ派生する道を選び、いったん南麓の天満神社まで下り、八幡神社から東楯山へ登り返す変則ルートを採った。
大きな空堀を左に見ると曲輪に囲まれた中楯山の山頂はすぐだった。
楯山にはかつて楯岡城があった。
この城は四周を断崖が取り囲む天然の要害で、遺跡として残っているのは空堀の一部と、小規模な曲輪、そして僅かな石組だけである。
この城の城主は1208年から1260年までの52年間が前森氏(四代)が入部し没落、1261年から1405年の144年間が本城氏(五代)が在城し没落、1406年より最上伊予守満国が入部し、七代満茂まで189年間在城した。七代満茂は最上義光の命を受け、秋田の湯沢城を攻め落としてそこの城主となり、後に秋田の本庄城主になり、楯岡城から離れた。その後、1618年8に最上義光の弟・甲斐守光直を配し、城郭を整備し、湯沢沼を築堤し、切通しの開削を行って城下町を整えたという。
その後、1622年の最上家改易の際に楯岡城は江戸幕府の没収され、414年続いた城は廃絶となった。

頂稜を東にたどる。

急坂を登ると航空管制用と思われるアンテナが建っていた。

ほぼ平らな頂稜を進むと東楯山の山頂広場に出る。
その一角にある龍石。

東楯山の山頂。
この場所は城跡ではない。

山頂広場の展望所から村山市街地を見下ろす。
この場所がこの日一番の展望地だった。
かつての楯岡城は村山市図書館付近(写真中央右手に建つ黒い建物)まで外郭があったと言うから、城の規模はかなり大きかったと思う。

東楯山の山頂の北東側の展望台まで下ってみると、鷹返山と東沢バラ公園の一角が見えていた。

下りは南のおせんど山を目指す。
途中、中楯山方面が見えている。楯山の南斜面は崖のように急だ。

分岐を左折。緩く下ると左手にかつてあった石切り場が見えてきた。

おせんど山の名前の由来は良く分からないが、山頂に万年堂が建っていて、南側には鳥居があった。

今まで雲に隠れて見えなかった葉山の烏帽子岩がようやく顔を出した。

T字路を左折し、下って行くと幕井コースへ向かう谷間が望めた。

緩く下って大沢貯水池の南岸に出る。
鷹返山が見えている。

東楯山を振り返る。
午前中の朝霧が嘘のように消えて、青空が広がった。

登り始めが遅かったので、この日行こうと考えていた、もう一山の里山は止めにした。
帰路、途中の田んぼから楯山を見る。
単純な城跡のように見えるが、実際に歩いてみると見どころが多い山だった。

GPS軌跡(青いラインは2017年に歩いて、今回歩いていない道)


しばらく階段の登りが続く。
緩斜面になり階段が終わったと思ったら、まだ先にも階段がでてきた。

村山虚空蔵院の拝殿に着く。
拝殿の背後に今まで霧に隠れていた鷹返山がようやく見えてきた。

拝殿から少し登ると鐘楼が建っている。
鐘を一突き。
素晴らしい鐘の音が山峡に響いた。

鐘楼から先は参道というより山道になる。
この山はアカマツが主体の植生で、キノコは期待できない。

展望が開ける場所は拝殿のところで少し霧に霞む市街地が見下ろせただけで、山中は木々が邪魔してほとんど景気が見えない。
それでも少し木々がまばらな場所から甑岳が見えた。

まだ少し霞んでいるが、村山市街地が梢越しに見える。

村山虚空蔵院の奥の院が建つ鷹返山山頂に到着。
地形図では東の371.5m四等三角点「鷹返山」まで破線の道が記載されているが、その道型はまったく見いだせなかった。

景色はまったく見えない山頂で休憩する気も起きず、すぐに北へ続く山道を下った。
この道筋もアカマツ林が続く。

道の方向が西へ変わった地点から楯山を見る。
一帯は枯死したアカマツが立ち並び、倒木が道に倒れて通行の邪魔をする。

同時にアカマツが枯れたため、日当たりが良くなってササが繁茂していた。

東沢溜池北側の車道に出る。
この道は12月1日より冬季通行止めになっていた。
水が涸れた東沢溜池の奥に、歩いてきた鷹返山と左奥に甑岳が見える。

楯山は七曲りコース入口から入山。
2017年9月にもここから山へ入った。

少し時雨てきたが、スギ林の中なので濡れる心配はない。

楯山の西側にはシャガが繁茂している。
5月中旬ごろの花期に来たら満開のシャガに出会えるかもしれない。

十字路を右折。
城跡の曲輪を上手く回り込みながら登っていくと、西楯山の山頂に着く。
ここは楯山の実質的な山頂で、かつて楯岡城の主郭があった。現在は展望台が設置されている。

山頂の一角に生えているカンボクの真っ赤な実が特に目立つ。

展望台に登ってみた。
この頃から完全に霧が晴れ、村山市街地が眼下に望める。
しかしお昼時なので、逆光で屋根が光り、写真を撮るには不向きな場所だった。

前回登った時になかった楯山山頂の標柱。

十字路まで戻り、中楯山へ向かう道をたどる。
前回はすぐ右へ派生する道を選び、いったん南麓の天満神社まで下り、八幡神社から東楯山へ登り返す変則ルートを採った。
大きな空堀を左に見ると曲輪に囲まれた中楯山の山頂はすぐだった。
楯山にはかつて楯岡城があった。
この城は四周を断崖が取り囲む天然の要害で、遺跡として残っているのは空堀の一部と、小規模な曲輪、そして僅かな石組だけである。
この城の城主は1208年から1260年までの52年間が前森氏(四代)が入部し没落、1261年から1405年の144年間が本城氏(五代)が在城し没落、1406年より最上伊予守満国が入部し、七代満茂まで189年間在城した。七代満茂は最上義光の命を受け、秋田の湯沢城を攻め落としてそこの城主となり、後に秋田の本庄城主になり、楯岡城から離れた。その後、1618年8に最上義光の弟・甲斐守光直を配し、城郭を整備し、湯沢沼を築堤し、切通しの開削を行って城下町を整えたという。
その後、1622年の最上家改易の際に楯岡城は江戸幕府の没収され、414年続いた城は廃絶となった。

頂稜を東にたどる。

急坂を登ると航空管制用と思われるアンテナが建っていた。

ほぼ平らな頂稜を進むと東楯山の山頂広場に出る。
その一角にある龍石。

東楯山の山頂。
この場所は城跡ではない。

山頂広場の展望所から村山市街地を見下ろす。
この場所がこの日一番の展望地だった。
かつての楯岡城は村山市図書館付近(写真中央右手に建つ黒い建物)まで外郭があったと言うから、城の規模はかなり大きかったと思う。

東楯山の山頂の北東側の展望台まで下ってみると、鷹返山と東沢バラ公園の一角が見えていた。

下りは南のおせんど山を目指す。
途中、中楯山方面が見えている。楯山の南斜面は崖のように急だ。

分岐を左折。緩く下ると左手にかつてあった石切り場が見えてきた。

おせんど山の名前の由来は良く分からないが、山頂に万年堂が建っていて、南側には鳥居があった。

今まで雲に隠れて見えなかった葉山の烏帽子岩がようやく顔を出した。

T字路を左折し、下って行くと幕井コースへ向かう谷間が望めた。

緩く下って大沢貯水池の南岸に出る。
鷹返山が見えている。

東楯山を振り返る。
午前中の朝霧が嘘のように消えて、青空が広がった。

登り始めが遅かったので、この日行こうと考えていた、もう一山の里山は止めにした。
帰路、途中の田んぼから楯山を見る。
単純な城跡のように見えるが、実際に歩いてみると見どころが多い山だった。

GPS軌跡(青いラインは2017年に歩いて、今回歩いていない道)

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