地元誌の河北新報で谷山石橋が紹介された。
地元の方がボランティアで石橋一帯を整備されているとの事。
過去を振り返ってみると、谷山石橋に行ったのは東日本大震災の年だった。
そこで谷山ハイキングコースの現状も確認したくなり出かけてみた。

【 1/11 谷山ハイキングコース(約210m) 宮城・県南の低山 】
村田ダム管理事務所前の駐車場~谷山ハイキングコース東側入口~孝子長吉の碑~なでなで岩~極楽台~松尾観世堂~186番鉄塔(最高点)~三叉路~蔵王幹線巡視路入口~谷山石橋~谷山ハイキングコースイラスト看板~村田ダム管理事務所前の駐車場

谷山ハイキングコース東側入口には駐車スペースがほとんどないため、村田ダム管理事務所前の広い駐車場に車を停める。
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谷山ハイキングコース東側入口まで車道を歩く。
松尾川対岸を見ると赤いイイギリの実が冬枯れの木々の中で浮き立って見えていた。
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東側入口の前にあるイラストマップは判読不能の状態だが、入口の標識は変わらず立っていた。
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松尾川まで下る山道はササが刈り払われ歩きやすい状態。
しかし川は倒木が堆積し、その先の道のつながりも分かりにくい状態になっていた。
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川べりの砂地にはカモシカ?の足跡がついていた。
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東日本大震災以前は渡渉地点に丸太の橋がかかっていたが、今はなく水深の浅いところを探して渡渉する。
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スギ林の中に立つ常夜灯
左側のもう一基の常夜灯は倒伏している。
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このハイキングコースの見どころの一つ「孝子長吉の碑」。
この石碑は村田町指定重要文化財に指定されている。身体の不自由な父親に孝行を尽くしたことで村の評判となり、1752年(宝暦2年)に仙台藩主伊達宗村公から金十両を与えられた孝子長吉を称えた石碑だ。2024011108
上流に砂防ダムが見える場所から沢を離れ山道に入る。
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ハイキングコースは薮や倒木が多いのでは、と想像していたが、多少倒木はありながら歩くのに支障がない状態だった。ところどころ手すりも残っている。
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急坂を登っていくと岩場が堀切された「なでなで岩」の間を通過する。
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このハイキングコース沿いは過去にマツタケの産地だったらしい。
しかし現在はアカマツの多くが枯れてしまい、林床も薮化していてキノコが生える環境にはない。
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極楽台を通過。
木々の梢越しに南側対岸の山が望める。
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極楽台の西側から対岸の山を望む。
目を凝らしてみると頂稜部分が整備されたところが分かった。
地図を確認してみると兵糧館跡と分かった。
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枯死したアカマツや太いモミが立ち並ぶピークが近づくと松尾観音堂に着いた。
10年前に来たときより痛みが激しく、廃屋といった感じになっていた。
かつて刈り払いされていた境内も薮化が酷い。
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お堂の横にある説明看板には下記の様に書かれている。
「創建は永正二(1505)年頃と伝えられていますが、詳しいことは分かりません。観音堂は方三間の宝形造りで、江戸時代中頃の建築です。建物の外側には十二支の彫刻がめぐらされています。本尊は銅製の馬頭観音像で、江戸時代から昭和初期まで、馬を飼う人々から厚く信仰されました。例祭の時には、着飾らせた馬を引いた人たちが仙台や名取、遠くは県外からも多数お参りにきたといわれ、出店も開かれるほど賑わったようです。堂内には幕末から昭和初期にかけて、奉納された多数の絵馬が見られます。例祭は毎年8月17日に行われます。」

堂内の様子。
あちこち壁が無くなっている。
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奉納された絵馬の一部。
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この松尾観音堂は1994年12月12日に村田町の重要文化財に指定されているが、馬を飼う農家がほとんどない現在、氏子さんもほとんどいないだろうし、補修・改修にかかる費用も捻出できないのだろう。
束石から外れて傾いている柱も多く、屋根は穴が開いてブルーシートもボロボロになっていて、少し強い地震があれば倒壊してしまう感じだった。
せめて奉納されている絵馬だけでも救えないものか考えさせられた。
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ここってイラスト看板に記載されていた「心中崖」なのだろうか?
柵は落ち、尾根が道の半分まで崩落し、慎重に通過した。
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送電線の蔵王幹線186番鉄塔が見えてくる手前に太いブナが一本立っている。
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一部枝が枯れているが、まだまだ元気な感じ。
何時までもこの地に立っていて欲しい巨木だ。
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186番鉄塔に着くと私の事を知っているご夫婦に出会った。
拙ブログ記事を参考にして本コースを歩きにいらしたらしい。
以前は展望が無かった場所だが、北蔵王の雁戸山や。
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中央蔵王の熊野岳、刈田岳が見えるようになった。
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ここでご夫婦と立ち話に興じる。
私のブログ情報は2011年に歩いたもので、その時の地図は一目千両に下る情報であったが、現在その道は薮化していて下山ルートが異なっていて、何処に行けば良いか悩んでいたとの事。
私も現在の登山道の状況を良く把握していなかったが、立派な送電線巡視路が南西に続いているため、先に進めば麓に下る巡視路が存在すると確信できた。

急に立派な山道になった巡視路を南西に進むと、道が大きく崩落している場所に出た。
ご夫婦と一緒に尾根の木々を手掛かりにして通過する。
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今回歩いてみたら、道沿いのササが随所で枯れていて、以前より明るい雰囲気に変わっていた。
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予想通り三叉路が現れ、右折して狭い尾根を下る。
この道も随所で左右の斜面が崩落していて、意外に危ない。
崩落した場所から南蔵王の山々が見えた。
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尾根の北側には以前ハイキングコースが通っていた一目千両のヤセ尾根が見える。
土壁のナイフリッジになっていて、これでは廃道になって当然だ。
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巡視路の下部に「この先 東北電力の専用道です。立入はご遠慮願います」の看板が立っていた。
今まで送電線巡視路を歩いていて、この看板は初めて見た。
まあ看板表示の逆から歩いてきたので分かる訳ない。
おそらく道沿いに崩落個所が多く危険なため、上記の看板を設置したと思う。

松尾川まで下り、渡渉してカケス塒支線林道に上がった地点から振り返る。
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お昼をとうに過ぎたので林道の伐採木に腰掛けてマスさんお手製のパン「たっちゃん」を食べる。
辰年にちなみタツノオトシゴを模したパンだとか。
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カケス塒支線林道を奥に進んで谷山石橋に向かう。
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林道は川左岸の崖が数箇所崩れていて、車の進入は難しい。
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久しぶりに石橋を訪ねて入口が分かるか心配だったが、標識は無いながらも赤テープがついている刈り払われた道が下部に続く場所が石橋入口とすぐに分かった。
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上部から谷山石橋を見下ろす。
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左に派生する道を下ると、石橋下流に滝がかかっていた。
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滝の下部を見る。
ナメ床が続いている様で、暖かい時期に沢遊びをしても面白そうだ。
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沢筋を登って谷山石橋の下に出る。
この日、登り始めを午前11時過ぎにしたのは、午後になると石橋に陽の光が差し込むと思ったからだ。
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斜面が崩落し、抜け落ちた結果に出来上がった石橋だが、度重なる大きな地震にも耐えて残った。
下から見上げるとこんな感じ。
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林道に戻り、後は駐車地点まで歩くのみ。
以前の谷山ハイキングコース西側入口の標識が立っていたが、道はヤブに埋もれ消失していた。
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林道分岐付近に立つイラスト看板。
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村田町野外活動センターは冬季休業中のため、車がほとんど走っていない車道を東進する。
音羽橋の北側に音羽滝があるらしいが、その滝へ行く道は存在しないようだ。
以前、この橋は冬場にワカサギ釣りの方々がたくさんいたが、今は釣り禁止になったのか誰もいなかった。
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久しぶりに谷山ハイキングコースを歩いてみたが、道が崩落している箇所があり、このコースの再開は難しいと感じた。谷山石橋を除いてある意味バリエーションのため、本ブログを見て歩いて事故があっても責任を持てないので悪しからず。

GPS軌跡。
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