今年の干支の山、二山目は阿武隈山地の竜子山に登る。
竜子山だけでは物足りないため、前段で麓山(羽山)にも久しぶりで登った。
【 1/30 麓山(897m)と竜子山(921m) 福島・阿武隈山地 】
●麓山(羽山):南登山口~鳥居~百段坂~麓山~神明水~鳥居(東屋)~南登山口
●竜子山:風呂前登山口~入口~竜子姫神社(西)~大岩~竜子山~竜子姫神社(東)~日向前登山口~風呂前登山口
阿武隈山地随一の展望を誇る麓山(羽山)に登るのは13年ぶり。
近年は北登山口から登る登山者が多いようだが、そのルートは山頂まで羽山林道を登り面白みに欠ける様なので、今回も南登山口から往復する。
南登山口に至る米石羽山林道の途中から麓山を望む。

竜子山だけでは物足りないため、前段で麓山(羽山)にも久しぶりで登った。
【 1/30 麓山(897m)と竜子山(921m) 福島・阿武隈山地 】
●麓山(羽山):南登山口~鳥居~百段坂~麓山~神明水~鳥居(東屋)~南登山口
●竜子山:風呂前登山口~入口~竜子姫神社(西)~大岩~竜子山~竜子姫神社(東)~日向前登山口~風呂前登山口
阿武隈山地随一の展望を誇る麓山(羽山)に登るのは13年ぶり。
近年は北登山口から登る登山者が多いようだが、そのルートは山頂まで羽山林道を登り面白みに欠ける様なので、今回も南登山口から往復する。
南登山口に至る米石羽山林道の途中から麓山を望む。

米石駐車場(3台程度)から登り始める。
南西側の郡山市が望めるが、那須連峰には雲がかかっていた。

林道の下部はコンクリート舗装されているが、上部は轍が深い未舗装路が続く。

短時間で鳥居のある実質的な登山口に着く。
右手は東屋のある展望地、左から合流する林道は北側の羽山林道から派生した林道だ。

石切り場の上部を通過。
13年前は展望の良い岩の上に乗った記憶があるが、現在その様な場所は見当たらない。
鎖の柵が整備され安全になった。

百段坂は階段が続く直線的な急坂だ。

短時間で山頂直下の芝地に出る。
前回訪れた時はハンググライダーのテイクオフ地だったが、現在も使われているかは不明。
芝地の奥に移ヶ岳が見えている。

東屋の建つ場所から、コンクリート舗装された北登山口へ至る羽山林道が派生している。

山頂一帯にはサルトリイバラの赤い実が目立っていた。

羽山神社の鳥居を潜る。

羽山神社の二基の石祠が祀られている。

花崗岩が露出した山頂。
羽山神社の石碑と一等三角点、そして山名方位板が置かれている。

全方位に広がる大展望。
西には晴れていれば安達太良山と吾妻連峰が望めるが、この日は雲がかかり見えなかった。

吾妻小富士だけ何とか確認できた。

北には左から口太山、霊山、花塚山が望める。
写真では分からないが、泉ヶ岳も見えていた。

12月に登った日山が近い。

日山の右奥に、この後に登る竜子山が見えている。

移ヶ岳の右奥に左から高柴山、蓬田岳、黒石山、東山、鞍掛山、宇津峰が見渡せた。
手前のなだらかな山は片曽根山。

下りは北登山口に至る林道を経由する。
途中、昔の参拝道の鳥居が建っていた。

コンクリート舗装された林道を下る。

左手に神明水の石碑がある水場が出てくる。
パイプから湧き出る水は凍っていた。

左に分岐する未舗装の林道に入ると、呆気なく鳥居のある南登山口に着いた。
南側の整備され東屋が建つ展望台に立ち寄る。
暖かい春の頃なら最高の休憩地となるだろう。

後は往路で登った林道を下る。
途中一人の男性とすれ違った以外、誰にも会わない静かな山だった。
この山に登るなら山頂のヤマツツジが咲く頃がベストと思う。
GPS軌跡。

次の山である竜子山に向かう。
カーナビでは一度北側の市道に出て、国道349号、国道495号と大きく迂回するルートを指示しており、それを完全に無視して、リンゴ園がある狭い市道を南下し、県道303号線に出るルートを山勘で走行した。
竜子山は自分としては未踏の山である。
今まで何回か登ってみようと思っていたが、道は不確かで山頂からの展望もない、という情報しか得られず登る気が失せていた。
しかし「新うつくしま百名山」に選ばれ、しかも干支の山なので、今年登ってみたい山の上位を占める様になった。
竜子山(たつごやま)は端正な三角形の山容を持ち、葛尾富士や野川富士とや呼ばれている。
南側の鎌倉岳や北側の日山からその姿が良く見える。
県道154号の風呂前に「竜子山登山口」の看板が立っている。
ゴミ集積場の広くなった路肩に車3台程度駐車可能。

車道を竜子山に向かって歩き出す。
南には鎌倉岳が近い。

民家を過ぎると未舗装の林道になる。
暗いスギ林を抜けて尾根の上に出ると、右手に入口の標識が立っている。
ここが実質的な登山口だ。

林業用の広い作業道が終わるといったんスギ林に入る。
そこから急登の始まり。
大きな岩場を左手に見ながらロープが設置された急坂を登る。

岩場に突き当たって、岩場を左に迂回すると、カメレオンの顔に見える木があった。

大岩の基部を一気に登る。

この大岩の下に竜子姫神社(西)が祀られていた。

竜子姫神社が祀られた由来は二つあるようだ。
一つは下記の葛尾村史「龍子山縁起」に書かれている。

もう一つの由来を記した資料が、神社の横に置かれたBOXの中に入っているという事だったが、在庫切れでその資料は手に入らなかった。
ネットで検索して、その資料の事を調べたら次の様な内容だった。
「南北朝時代に山名宗全に南帝として担がれた信雅王はが、宗全の死去とともに高野城(現在の葛尾村)に逃れ、約2年そこに隠れ住んでいたが、南朝の残党を狩る相馬氏の軍勢に襲われ、最終的には尾張の時之島(愛知県一宮市)まで逃げたと言われる。
この高野城攻防戦の時に、王の娘であった竜子姫は、王とはぐれてしまい、竜子山の山中に入り悲しみの内に自殺したと言われる。」
どちらの竜子姫伝説も悲劇のお姫様物語であり、それを祀る村人の人情の深さを、この小さな神社は教えてくれる。
竜子姫神社から上部も花崗岩の巨岩奇岩が次々と現れる魅惑の道だ。
岩は縦横の割れたものが多い。
上の写真の岩の上にリスが食べたマツの実があった。

登山道はずっと急登が続くが、次はどんな形の大岩が出てくるのか楽しみながら登れる。

同行したmaronnさんに撮ってもらった一枚。
岩の大きさが良く分かる。

斜面上部に屏風の様に連なる岩場が見えてきた。
写真はその一部を切り取っただけだが、実際には左手に岩場が続いている。

竜子山南面の奥壁ともいえる屏風状の岩場の連なりを左に迂回して小尾根を越える。
岩場からにじみ出る水が凍ってミニ氷瀑を形造っていた。

獣の歯を思わせるツララ。

足場の悪い急坂をロープに掴まって登る。

あちこちの岩場の表面に岩茸がついている。
茸といっても地衣類だ。

ロープ場が終わると道の傾斜が緩くなり、僅かな時間で竜子山山頂に着いた。
山頂は樹林に囲まれ、ほとんど展望はない。

木々の間から日山が見える。

山頂で休憩して一息ついた。
山頂に着いた時、一組の登山者が東登山口から登り、西登山口へ下ると言って、山頂から西へ続く踏み跡を下っていった。どうやって車を回収するのだろう?と訝しく思っていたら、件の登山者が「赤テープや道がない」と言って山頂まで引き返してきた。
我々が登ってきた南側からのルートの注意点を教えてあげて、その登山者は南側へ下っていった。
何故、その方々が間違った方向に下ろうとしたのか帰宅して「新うつくしま百名山」の書籍を見て判明した。風呂前の登山口の事を書籍では「西登山口」と記載されていたので、単純に山頂から西へ下ればいいと思い込んだのであろう。実際には「南登山口」の方が良いと思うがいかがだろうか。
山頂から東側の日向前へ下り始める。
尾根筋に土塁が伸びている。

東尾根上部はブナの森が広がっている。

この岩場の先に急なロープ場の下りが待っている。

苔蒸した花崗岩の奇岩。

尾根の下部はアカマツ混じりの雑木林が続く。

どの様に伸びていったらこんな形状になるのだろうか?

やがてアカマツの植林地に入ると右に竜子姫神社(東)への道が分岐する。
斜面をトラバースして僅かな距離で竜子姫神社(東)が祀られた巨岩に着く。
大きく庇が張り出した奇岩に驚く。

岩洞に祀られた竜子姫神社(東)。

東に連なる675m独標ピーク鞍部の切通しの横を一気に下るとスギ林に入る。
そのスギ林を抜けた先が畑地で、入口の標識が立っていた。
畑地南側の伐採地の奥に鎌倉岳が見える。

そして日向前の登山口に出た。
ここも路肩に3台程度駐車できるスペースがある。
振り返って見た竜子山は穏やかな山容で、ロックガーデンを彷彿させる急峻な南斜面を有するとはとても思えなかった。

竜子山はほとんど展望が得られず、そんなに人気のある山ではないが、自分としては変化に富んだ大岩の風景が満喫できてとても楽しい阿武隈の名山だった。
GPS軌跡。

南西側の郡山市が望めるが、那須連峰には雲がかかっていた。

林道の下部はコンクリート舗装されているが、上部は轍が深い未舗装路が続く。

短時間で鳥居のある実質的な登山口に着く。
右手は東屋のある展望地、左から合流する林道は北側の羽山林道から派生した林道だ。

石切り場の上部を通過。
13年前は展望の良い岩の上に乗った記憶があるが、現在その様な場所は見当たらない。
鎖の柵が整備され安全になった。

百段坂は階段が続く直線的な急坂だ。

短時間で山頂直下の芝地に出る。
前回訪れた時はハンググライダーのテイクオフ地だったが、現在も使われているかは不明。
芝地の奥に移ヶ岳が見えている。

東屋の建つ場所から、コンクリート舗装された北登山口へ至る羽山林道が派生している。

山頂一帯にはサルトリイバラの赤い実が目立っていた。

羽山神社の鳥居を潜る。

羽山神社の二基の石祠が祀られている。

花崗岩が露出した山頂。
羽山神社の石碑と一等三角点、そして山名方位板が置かれている。

全方位に広がる大展望。
西には晴れていれば安達太良山と吾妻連峰が望めるが、この日は雲がかかり見えなかった。

吾妻小富士だけ何とか確認できた。

北には左から口太山、霊山、花塚山が望める。
写真では分からないが、泉ヶ岳も見えていた。

12月に登った日山が近い。

日山の右奥に、この後に登る竜子山が見えている。

移ヶ岳の右奥に左から高柴山、蓬田岳、黒石山、東山、鞍掛山、宇津峰が見渡せた。
手前のなだらかな山は片曽根山。

下りは北登山口に至る林道を経由する。
途中、昔の参拝道の鳥居が建っていた。

コンクリート舗装された林道を下る。

左手に神明水の石碑がある水場が出てくる。
パイプから湧き出る水は凍っていた。

左に分岐する未舗装の林道に入ると、呆気なく鳥居のある南登山口に着いた。
南側の整備され東屋が建つ展望台に立ち寄る。
暖かい春の頃なら最高の休憩地となるだろう。

後は往路で登った林道を下る。
途中一人の男性とすれ違った以外、誰にも会わない静かな山だった。
この山に登るなら山頂のヤマツツジが咲く頃がベストと思う。
GPS軌跡。

次の山である竜子山に向かう。
カーナビでは一度北側の市道に出て、国道349号、国道495号と大きく迂回するルートを指示しており、それを完全に無視して、リンゴ園がある狭い市道を南下し、県道303号線に出るルートを山勘で走行した。
竜子山は自分としては未踏の山である。
今まで何回か登ってみようと思っていたが、道は不確かで山頂からの展望もない、という情報しか得られず登る気が失せていた。
しかし「新うつくしま百名山」に選ばれ、しかも干支の山なので、今年登ってみたい山の上位を占める様になった。
竜子山(たつごやま)は端正な三角形の山容を持ち、葛尾富士や野川富士とや呼ばれている。
南側の鎌倉岳や北側の日山からその姿が良く見える。
県道154号の風呂前に「竜子山登山口」の看板が立っている。
ゴミ集積場の広くなった路肩に車3台程度駐車可能。

車道を竜子山に向かって歩き出す。
南には鎌倉岳が近い。

民家を過ぎると未舗装の林道になる。
暗いスギ林を抜けて尾根の上に出ると、右手に入口の標識が立っている。
ここが実質的な登山口だ。

林業用の広い作業道が終わるといったんスギ林に入る。
そこから急登の始まり。
大きな岩場を左手に見ながらロープが設置された急坂を登る。

岩場に突き当たって、岩場を左に迂回すると、カメレオンの顔に見える木があった。

大岩の基部を一気に登る。

この大岩の下に竜子姫神社(西)が祀られていた。

竜子姫神社が祀られた由来は二つあるようだ。
一つは下記の葛尾村史「龍子山縁起」に書かれている。

もう一つの由来を記した資料が、神社の横に置かれたBOXの中に入っているという事だったが、在庫切れでその資料は手に入らなかった。
ネットで検索して、その資料の事を調べたら次の様な内容だった。
「南北朝時代に山名宗全に南帝として担がれた信雅王はが、宗全の死去とともに高野城(現在の葛尾村)に逃れ、約2年そこに隠れ住んでいたが、南朝の残党を狩る相馬氏の軍勢に襲われ、最終的には尾張の時之島(愛知県一宮市)まで逃げたと言われる。
この高野城攻防戦の時に、王の娘であった竜子姫は、王とはぐれてしまい、竜子山の山中に入り悲しみの内に自殺したと言われる。」
どちらの竜子姫伝説も悲劇のお姫様物語であり、それを祀る村人の人情の深さを、この小さな神社は教えてくれる。
竜子姫神社から上部も花崗岩の巨岩奇岩が次々と現れる魅惑の道だ。
岩は縦横の割れたものが多い。

上の写真の岩の上にリスが食べたマツの実があった。

登山道はずっと急登が続くが、次はどんな形の大岩が出てくるのか楽しみながら登れる。

同行したmaronnさんに撮ってもらった一枚。
岩の大きさが良く分かる。

斜面上部に屏風の様に連なる岩場が見えてきた。
写真はその一部を切り取っただけだが、実際には左手に岩場が続いている。

竜子山南面の奥壁ともいえる屏風状の岩場の連なりを左に迂回して小尾根を越える。
岩場からにじみ出る水が凍ってミニ氷瀑を形造っていた。

獣の歯を思わせるツララ。

足場の悪い急坂をロープに掴まって登る。

あちこちの岩場の表面に岩茸がついている。
茸といっても地衣類だ。

ロープ場が終わると道の傾斜が緩くなり、僅かな時間で竜子山山頂に着いた。
山頂は樹林に囲まれ、ほとんど展望はない。

木々の間から日山が見える。

山頂で休憩して一息ついた。
山頂に着いた時、一組の登山者が東登山口から登り、西登山口へ下ると言って、山頂から西へ続く踏み跡を下っていった。どうやって車を回収するのだろう?と訝しく思っていたら、件の登山者が「赤テープや道がない」と言って山頂まで引き返してきた。
我々が登ってきた南側からのルートの注意点を教えてあげて、その登山者は南側へ下っていった。
何故、その方々が間違った方向に下ろうとしたのか帰宅して「新うつくしま百名山」の書籍を見て判明した。風呂前の登山口の事を書籍では「西登山口」と記載されていたので、単純に山頂から西へ下ればいいと思い込んだのであろう。実際には「南登山口」の方が良いと思うがいかがだろうか。
山頂から東側の日向前へ下り始める。
尾根筋に土塁が伸びている。

東尾根上部はブナの森が広がっている。

この岩場の先に急なロープ場の下りが待っている。

苔蒸した花崗岩の奇岩。

尾根の下部はアカマツ混じりの雑木林が続く。

どの様に伸びていったらこんな形状になるのだろうか?

やがてアカマツの植林地に入ると右に竜子姫神社(東)への道が分岐する。
斜面をトラバースして僅かな距離で竜子姫神社(東)が祀られた巨岩に着く。
大きく庇が張り出した奇岩に驚く。

岩洞に祀られた竜子姫神社(東)。

東に連なる675m独標ピーク鞍部の切通しの横を一気に下るとスギ林に入る。
そのスギ林を抜けた先が畑地で、入口の標識が立っていた。
畑地南側の伐採地の奥に鎌倉岳が見える。

そして日向前の登山口に出た。
ここも路肩に3台程度駐車できるスペースがある。
振り返って見た竜子山は穏やかな山容で、ロックガーデンを彷彿させる急峻な南斜面を有するとはとても思えなかった。

竜子山はほとんど展望が得られず、そんなに人気のある山ではないが、自分としては変化に富んだ大岩の風景が満喫できてとても楽しい阿武隈の名山だった。
GPS軌跡。

コメント
コメント一覧 (2)
子連れハイキングに良さげでしたね。
花がない時期赤のサンキライ(山帰来)の実が鮮やかでした〜
次が待望の竜子山、最高!道程が楽しめる山で
面白かったです。いろんな顔に見える巨岩にあれこれ名前が浮かび遊べ退屈も疲れもなかった😆
ありがとうございました♪
麓山は磐梯山まで見える展望の山ですが、この時は奥羽山脈に雲がかかって残念でしたね。
竜子山は展望がなく、ただ単に干支の山を登る程度の感覚で臨みましたが、いやぁ~あんな巨岩奇岩の山とは想像もできなかったです。
帰宅後に竜子姫の伝説も調べて、より山の理解が深くなりました。