取材目的で山形県村山地方で最大の山城である舞鶴山を歩いてきた。
この山は別名:天童古城と呼ばれ、やまがた百名山の一座に選定されている。

【 2/18 舞鶴山(242m) 山形・村山地方の低山 】
天童公園駐車場~展望台~天童神社~
舞鶴山(愛宕神社)~大ケヤキ(展望台)~人間将棋会場~吉田大八像~建勲神社~小路喜太郎稲荷神社~天童公園駐車場

舞鶴山は過去に山頂駐車場から山頂を往復し、北側の大ケヤキまで見に行ったことがあるが、城址内を散歩しただけで、山に登ったという感触は一切なかった。
ところが近年、天童市では上山市と同様にドイツのクアオルト(療養地)で設置されている健康増進のための道を参考に、森の中や傾斜のある道を活用して、生活習慣病の予防を目的としたクアの道(健康の道)を数コース設定している。
今回歩いたのは舞鶴山コースをベースに麓の愛宕沼から見どころを巡る周回コースだ。

最初に道の駅天童温泉のもり~な天童に立ち寄って、健康ウォーキング「クアの道・舞鶴山コース」のマップを調達する。コースの概略を記したイラストマップであるが、これを持たないで歩くと、見どころのポイントがまったく分からない。
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その後、車で天童公園駐車場に移動。
晴れて暖かな日なので、公園内をランニングやウォーキング、犬の散歩などたくさんの方が訪れている。

愛宕沼親水公園の奥に舞鶴山が見える。
そういえば以前訪れた時は、ここには「あたご沼ゴルフ練習場」があって、ボールを沼に打ち込んでいた記憶がある。それが現在、沼の水を一度全て抜いて美しい親水公園に変わった。
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親水公園の南側からつつじ園内を登る遊歩道は3月末まで冬季通行止めになっていたため、仕方なく車道を歩いて山頂駐車場へ向かった。
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まず愛宕神社が建つ舞鶴山の山頂を目指す。
この写真のところが入口。
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愛宕山入口に展望台が設置されており、愛宕沼と天童温泉が一望できる。
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舞鶴山の北斜面を巻く遊歩道を歩く。
この道はまったく人が歩いておらず、急に静かな山中に入った感じがする。
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南東側に回り込んだ場所に大きなケヤキの木と、看板が二つ立っていた。
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手前の看板には「天童古城 石組古井戸跡」のタイトルとともに、看板裏手にある古井戸の説明文が記載されていた。
この古井戸は「天童古城生命の井戸」というらしい。
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井戸から東郭方面に向かう道があったので寄り道してみる。
古いお墓と石仏が置かれた広場に出てその道は終わっていた。
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東郭にもたくさんの帯曲輪があるようで、奥に曲輪の切岸が見えていた。
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遊歩道に戻りもう一つあった説明版の内容を読む。
「天童古城曲輪(郭)群」のタイトルで、特に愛宕沼東の尾根に見られる曲輪群は見事である、と書かれていた。

分岐を左折し、南側に張り出した尾根の先端にある天童神社を見学する。
山形の神社仏閣は冬季(3月末ごろまで)雪害対策で社殿に覆いがかかっている。
この神社は舞鶴山に城を構えた北畠天童丸が合祀されている。2024021811

天童神社から時計回りに進むと、神社の鳥居が建っていた。
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そして舞鶴山山頂に建つ愛宕神社を目指して急な石段を登る。
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愛宕神社の社殿も雪囲いされていた。
この神社は天正12年(1548)に山形城主・最上義光が天童城主・天童頼澄を滅ぼしたのち、義光の守り本尊である勝軍地蔵を本尊として祀り、建立したといわれる。
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神社の西側が天童古城の主郭である。
最初に舞鶴山を本拠としたのは十四世紀の南北朝時代に南朝方であった北畠天童丸であると言われる。
その後、天寿元年(1375)に里見頼直がこの山城に移り、天童氏を名乗り、十代に渡って村山地方東部に勢力を伸ばしたが、天正十二年(1584)、山形の最上義光に攻められ、壮絶な合戦の末に落城し、廃城になったとされる。
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主郭の西端からは月山
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そして葉山が一望できた。
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主郭から愛宕神社入口までの区間は、唯一登山をしている感じがする道だった。
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西側に回り込んでいくと、南西にイオンモール天童と、背後に白鷹山が見えた。
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朝日連峰の主稜は雲に覆われている。
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障子ヶ岳から赤見堂岳の朝日連峰北方稜線は見えていた。
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山頂駐車場まで降りてきて、そこに掲示されていた天童古城の構造を示す看板を見る。
なるほど帯曲輪群が各郭を取り囲むように設置している様子が良く分かった。
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山頂駐車場の北側にある人間将棋会場を見る。
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中央郭北端の展望台へ向かう途中、芝地にフクジュソウの花を見つけた。
村山地方の例年のフクジュソウ開花は3月中旬らしく、2月中に咲くのは珍しいという。
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枝を四方に伸ばした大ケヤキ
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中央郭北端に建つ展望台に登ってみる。
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東側の鵜沢山方面を見る。
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眼下に天童温泉。
奥に黒伏山など御所山西側の山並みが望める。
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北の天童市街地。その奥に神室連峰南部の山々が霞む。
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天童市は将棋駒生産全国一を誇り、毎年春、ここで将棋駒の供養祭が行われる。
天童さくら祭りの時に行われる人間将棋は天童市の一大イベントをなっている。
人間将棋では甲冑や着物姿の武士や腰元たちを将棋の駒に見立て、日本将棋連盟のプロ棋士や女流棋士たちが対局を行う。
ちなみにブルーシートで覆われている将棋盤の大きさは東西16.87m、南北14.17mとか。
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おっ、吉田大八像の事を忘れてはいけない。
同性同名の映画監督がいるが、この像の御仁は幕末期に天童藩の藩主と領民のために命をささげた志士である。 
当時、天童藩の財政は困難を極め、下級の藩士ほど生活は苦しく、貧窮にあえいでいて、大八はその救済策の一つとして、藩士が将棋駒を製作することを取り入れ、天童が将棋駒の産地になった由来といわれている。
また1868年(慶応4年)2月の戊辰戦争において、官軍であった天童藩は、庄内藩と攻防の末焼き討ちに遭い苦戦。その後、奥羽各藩で結成された奥羽列藩同盟から、中老であった大八の身柄引渡しを要求され、大八は米沢藩に自ら捕らえられ、6月18日天童小路の観月庵で切腹して果てた。 享年37歳。
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吉田大八像から西斜面を下る。
下部を見ると何段もの曲輪と切岸が確認できる。
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樹木が途切れた場所から月山と葉山が一度に望めた。
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帯曲輪群
緑の葉っぱはヒガンバナ。
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途中でクアの道のコースから外れてしまった。
宮城オルレのようにリボンのマーキングが無いし、コース看板が逆順で回る私のような人には見難い掲示方法になっている。
ガイドマップは概略図のため、基本的にはウォーキングガイドとともに歩くコースなのであろう。
まあ見逃したのはこの時期まだ咲いていないエドヒガンの巨木と、矢場跡なので戻る気はしなかった。

西側中腹の車道を北へ歩いていくと建勲(たけいさお)神社に着く。
織田信長命と書かれた幟を見て、この神社が織田信長ゆかりの神社と初めて知った。
その経緯を調べてみたら次の通り。
織田信長が本能寺の変で世を去り、その嫡男信忠もこの時、京都妙覚寺で自害。信忠の嫡男三法師も若くして逝去し織田家嫡流の血は途絶えた。
信長の死後、豊臣と徳川の世となるにつれ、二男・信勝の織田家は尾張、下野、大和、上野と国替えさせられ、家督が信浮に移ると出羽の高畠に国替えされられた。そして次の信美の時代に居城を高畠から天童へ移し天童織田藩となる。この時の館は天童古城ではなく、舞鶴山西麓の天童市田鶴町に居を置いた。
明治維新の際、天童織田藩は官軍に味方した功績で子爵になり、藩祖織田信長には建勲神の神号を賜って明治3年この建勲神社に祀られた。
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建勲神社の北側に一立齋広重百年祭り記念碑が建立されている。
浮世絵の広重とこの地に関係があったとは知らなかった。
説明看板を読むと「文政年間(1818~1830)天童織田藩は藩財政救済の一助として、安藤広重に依頼して絵を描かせ、領内の献金者の与えた。広重の絵は肉筆で、立齋の落款があり、一般に天童広重といわれた」と記載されている。
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最後の見学地は小路喜太郎稲荷神社
この神社は天童氏の守り神、そして天童に住む人々の安穏を守る神様として建立された。
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小路喜太郎稲荷神社から北へ緩く下ると住宅地に出る。
本来の舞鶴山の山際を通る道から外れ、一本北側の車道を歩いて天童公園駐車場に向かった。
途中、佐藤千夜子生家がある、この人誰? となる。
隣に天童民芸館が併設されていて、民族資料や骨とう品など約5万点を展示しているとか。入館料は500円。入館に際しては予約が必要らしい。
で、佐藤千夜子だが調べてみると日本最初の流行歌手で、昭和4年(1928)8に発表した「東京行進曲」はレコード25万枚以上売り上げ大ヒットになったとか。1977年上期のNHK朝のテレビ小説「いちばん星」では佐藤千夜子の半生が描かれている。(見たことないので内容は不明。)
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そして天童公園駐車場に戻る。
大きな駐車場に停めている車の数がさらに増えていた。
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二度目の舞鶴山歩き。
前回歩いた記憶はほとんど残っていないが、あらためて見どころを巡ってみると、知的好奇心を満足させてくれる山だと感じた。本当は桜満開の頃がベストでしょうが、流石にその頃は激混みしそうで引いてしまう。

GPS軌跡。
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