朝起きるとボタン雪が激しく降っていたため、山に行く出鼻を挫かれてしまった。
家でネットを見ながらウダウダしていたところ、ライブカメラを見ると県南の方は雪が降っていない。
この時、午前10時。
行動時間が長い山は無理なので、この日限りの「早春の梅まつり」を行っている舘山(船岡城跡)に出かけた。
【 3/10 舘山(136m)宮城・県南の低山 】
船岡城址公園下部の駐車場~恵林寺~大光寺~山崎山公園~舘山(船岡城跡)~船岡城址公園下部の駐車場
遅い出発だったので東北道を利用し、船岡城址公園下部の駐車場に着いたのは午前10時45分。
駐車場から山頂往復では単なる観光になってしまうため、柴田町が設定した里山ハイキングコース「舘山・山崎山コース」を周回することにした。
このコース、柴田町の歴史探訪を兼ねた秀逸なコースで歩くのは3回目になる。
駐車場から舘山を見上げると、山頂左手にある梅林が開花しているのが分かった。

家でネットを見ながらウダウダしていたところ、ライブカメラを見ると県南の方は雪が降っていない。
この時、午前10時。
行動時間が長い山は無理なので、この日限りの「早春の梅まつり」を行っている舘山(船岡城跡)に出かけた。
【 3/10 舘山(136m)宮城・県南の低山 】
船岡城址公園下部の駐車場~恵林寺~大光寺~山崎山公園~舘山(船岡城跡)~船岡城址公園下部の駐車場
遅い出発だったので東北道を利用し、船岡城址公園下部の駐車場に着いたのは午前10時45分。
駐車場から山頂往復では単なる観光になってしまうため、柴田町が設定した里山ハイキングコース「舘山・山崎山コース」を周回することにした。
このコース、柴田町の歴史探訪を兼ねた秀逸なコースで歩くのは3回目になる。
駐車場から舘山を見上げると、山頂左手にある梅林が開花しているのが分かった。

山崎山公園へ向かうには住宅地の中を通る。
途中にある恵林寺には伊達騒動に中心人物で、お家お取り潰しとなった原田甲斐の事を不憫に思った船岡の人々が建てた原田甲斐供養碑がある。碑文に甲斐の名は刻まず「南無阿弥陀仏」と彫り、甲斐の御霊を供養したと言われる。

恵林寺の東側に大光寺がある。
本堂脇の大イチョウの木が見事なお寺だ。
本堂裏にある五百羅漢が見どころで、明和年間(1764~1772年)にこの地方に流行った疫病からの救済を願い、寺の十四代住職・環中道一和尚が経文を唱えながら刻んだところ、疫病が治まったと伝えられている。
またこのお寺は柴田家の菩提寺で、伊達騒動の折に命を落とした柴田外記も祀られている。

エネオスのガソリンスタンド手前を右折して山崎山公園へ階段を登る。
里山ハイキングコースの道標が随所にセットされた。

山崎山公園のウラジロガシの巨木。

舘山コースのマップ看板も見どころがある場所に設置されている。
これは非常に分かりやすい。

左手がネットフェンスで仕切られた尾根筋を歩く。
フェンスの中は工業団地の敷地のようだ。

海軍と刻まれた境界を示す標柱を見つけた。
尾根の左手にはかつて日本海軍の弾薬廠があった。
現在の柴田町を中心とした530万m2という広大な敷地に、昭和14年(1939)、海軍火薬支廠として開庁し、後に第一海軍火薬廠となった。当時、総合火薬廠としては東洋一を誇り、終戦時まで、総量約3万トンの火薬、爆薬が製造されたという。
本部のあった場所は現在、仙台大学や陸上自衛隊船岡駐屯地、角田ロケット開発センター、そして船岡工業団地になっている。

広い遊歩道を歩いて舘山へ向かう。
山崎山公園から1.5km程度の山歩きだが心安らぐ道だ。
急な階段を登ると船岡城址公園の中に出る。
HPからこんな情報を拾ってきた。
今の時期に咲いている花、咲いている場所が分かる。

梅まつりが行われている梅林は見ごろを迎えている。
しかし晴れるという天気予報が当たらず、曇りベースの空では花の色が冴えない。

たまに日の光が差し込むので、慌てて梅の花を接写する。

マンサクが植栽されている場所もあった。

今年の梅の花は花数が少ないかもしれない。

こういう綺麗な色彩のところは少なかった。

花越しに船岡の市街地を見下ろす。

白石川を俯瞰できるこの場所が一番美しかった。


紅梅の花は花数が少なく見栄えが悪い。

船岡と槻木の街並み。

亘理地塁山地を見る。
雪雲が流れて霞んでしまった。

舘山山頂に立つ平和観音像。

広い山頂を一周して景色を眺める。
蔵王連峰は雪雲がかかって見えなかった。

北には羽山。

眼下に白石川。

白石川と阿武隈川の合流地点の奥に太平洋が見える。

山頂のベンチに座り、どんどん登ってくる観光客を眺めながらカップ麺を食べた。
後は船岡城址公園内の遊歩道を下るのみ。
フクジュソウが植えられている。
スイセンやカタクリの花はまだ早い。

スロープカー方面の斜面には紅梅が多い。

本丸の東側の曲輪にある絹引きの井戸。

紅梅の花は痛んできたものが多かった。

しだれ紅梅。


この日はスロープカーが運行していた。

売店のさくらハウス前の駐車場は満車。
三の丸から遊歩道をジグザグに下る。

午後2時。
洗濯ものを外に干してきたので、この日の行動はこれで打ち切り。
梅の花を見られ満足して家路についた。
写真展の準備がほとんど終わったので、写真展が始まる前に、晴れれば雪山に行こうと考えている。
GPS軌跡。

途中にある恵林寺には伊達騒動に中心人物で、お家お取り潰しとなった原田甲斐の事を不憫に思った船岡の人々が建てた原田甲斐供養碑がある。碑文に甲斐の名は刻まず「南無阿弥陀仏」と彫り、甲斐の御霊を供養したと言われる。

恵林寺の東側に大光寺がある。
本堂脇の大イチョウの木が見事なお寺だ。
本堂裏にある五百羅漢が見どころで、明和年間(1764~1772年)にこの地方に流行った疫病からの救済を願い、寺の十四代住職・環中道一和尚が経文を唱えながら刻んだところ、疫病が治まったと伝えられている。
またこのお寺は柴田家の菩提寺で、伊達騒動の折に命を落とした柴田外記も祀られている。

エネオスのガソリンスタンド手前を右折して山崎山公園へ階段を登る。
里山ハイキングコースの道標が随所にセットされた。

山崎山公園のウラジロガシの巨木。

舘山コースのマップ看板も見どころがある場所に設置されている。
これは非常に分かりやすい。

左手がネットフェンスで仕切られた尾根筋を歩く。
フェンスの中は工業団地の敷地のようだ。

海軍と刻まれた境界を示す標柱を見つけた。
尾根の左手にはかつて日本海軍の弾薬廠があった。
現在の柴田町を中心とした530万m2という広大な敷地に、昭和14年(1939)、海軍火薬支廠として開庁し、後に第一海軍火薬廠となった。当時、総合火薬廠としては東洋一を誇り、終戦時まで、総量約3万トンの火薬、爆薬が製造されたという。
本部のあった場所は現在、仙台大学や陸上自衛隊船岡駐屯地、角田ロケット開発センター、そして船岡工業団地になっている。

広い遊歩道を歩いて舘山へ向かう。
山崎山公園から1.5km程度の山歩きだが心安らぐ道だ。

急な階段を登ると船岡城址公園の中に出る。
HPからこんな情報を拾ってきた。
今の時期に咲いている花、咲いている場所が分かる。

梅まつりが行われている梅林は見ごろを迎えている。
しかし晴れるという天気予報が当たらず、曇りベースの空では花の色が冴えない。

たまに日の光が差し込むので、慌てて梅の花を接写する。

マンサクが植栽されている場所もあった。

今年の梅の花は花数が少ないかもしれない。

こういう綺麗な色彩のところは少なかった。

花越しに船岡の市街地を見下ろす。

白石川を俯瞰できるこの場所が一番美しかった。


紅梅の花は花数が少なく見栄えが悪い。

船岡と槻木の街並み。

亘理地塁山地を見る。
雪雲が流れて霞んでしまった。

舘山山頂に立つ平和観音像。

広い山頂を一周して景色を眺める。
蔵王連峰は雪雲がかかって見えなかった。

北には羽山。

眼下に白石川。

白石川と阿武隈川の合流地点の奥に太平洋が見える。

山頂のベンチに座り、どんどん登ってくる観光客を眺めながらカップ麺を食べた。
後は船岡城址公園内の遊歩道を下るのみ。
フクジュソウが植えられている。
スイセンやカタクリの花はまだ早い。

スロープカー方面の斜面には紅梅が多い。

本丸の東側の曲輪にある絹引きの井戸。

紅梅の花は痛んできたものが多かった。

しだれ紅梅。


この日はスロープカーが運行していた。

売店のさくらハウス前の駐車場は満車。
三の丸から遊歩道をジグザグに下る。

午後2時。
洗濯ものを外に干してきたので、この日の行動はこれで打ち切り。
梅の花を見られ満足して家路についた。
写真展の準備がほとんど終わったので、写真展が始まる前に、晴れれば雪山に行こうと考えている。
GPS軌跡。

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