今年2月4日、大名倉山に登った後、時間があったので二本松市の霞ヶ城公園を散策した。
まったく予備知識がない中で適当に歩いたため、一番の見どころである箕輪門を見過ごしてしまった。
本丸にて地元の方が「ここは桜と秋の紅葉の時が最高ですよ」と話されていたので、桜が満開になるタイミングを狙って、再びマスさんを誘って訪れてみた。
ただし霞ヶ城公園だけ歩くのでは単なる観光に終わってしまう。
いろいろネットの情報を探ってみると霞ヶ城公園から派生する「観音丘陵遊歩道」なるハイキングコースがある事に気がついた。この遊歩道を通って智恵子の生家も巡れば充実した「まち歩き」になりそうである。

【 4/10 白旗ヶ峰・霞ヶ城公園(334m) 福島・二本松市 】
にほんまつ城報館駐車場~三の丸~見晴台~白旗ヶ峰・霞ヶ城公園本丸~霞ヶ城公園北側のテニスコート~三の丸~にほんまつ城報館~レストランかすみ~洗心滝~見晴台~東野辺薫文学碑~万葉歌碑~蔵場山~二本松市文化センター~(車道を歩いて)智恵子の生家~詩碑の丘~鞍石山(ほんとの空広場)~(車道を歩いて)にほんまつ城報館駐車場

二本松城は標高334mの「白旗ヶ峰」に築かれた平山城で、別名「白旗城もしくは霞ヶ城」と呼ばれる。江戸時代は二本松藩主丹羽氏の居城となり、戊辰戦争において奥州列藩同盟として新政府軍に攻められ落城、焼失。二階櫓・箕輪門・多門櫓は1982年に復元され、また1993年から本丸石垣の修復、復元が行われた。現在は「霞ヶ城公園」として二本松市の観光名所となっている。

朝8時半、
にほんまつ城報館の駐車場をスタート。
戊辰戦争の折、最大の激戦地:大壇口の戦いにおける少年隊の奮闘の姿を表現した「二本松少年隊群像」を見学。
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初代藩主丹羽光重公が御殿とともに最初に建造した箕輪門を通る。
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朝方は七分咲きの桜
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三の丸に立つ山田修像。
明治6年に二本松製糸会社を創建し、地域の発展に貢献した方とか。
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三の丸にある桜まつりの出店は未だ準備中。
霞ヶ城公園のメインルートを登る。
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霞池に映る桜のシルエットを見る。
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2月に来た時には雨戸が閉じていた洗心亭
城内に唯一残る江戸時代に建造された茶亭だ。
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庭園が美しいるり池
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朝方なのでキクザキイチリンソウの花はまだ開いていなかったが、ショウジョウバカマは綺麗に咲いていた。
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樹齢350年を越す霞ヶ城の傘マツ
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城址の西側にある見晴台に立ち寄る。
澄んだ空気の中、安達太良山がくっきりと見えていた。
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階段を登って智恵子抄詩碑へ。
高村光太郎直筆の「樹下の二人」「あどけない話」の一節を大小一対の「牛石」に銅板ではめ込まれている。2月に来た時はこの場所で「あれが阿多多羅山・・・」と詠んだのかな?と思ったが、現地の方に伺うと「鞍石山から見た光景」と教えていただいた。
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顕彰碑が立つ少年兵の丘を通過。
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搦手門。右手の石垣は崩れてしまい礎石だけが残る。
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搦手門から一段登り立派な石垣が平成7年に全面修築された本丸跡へ。
写真の左手の足元に三等三角点「本丸」が設置されている。
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本丸で一番高い天主台から安達太良山を望む。
ここに天主閣はなかった模様。
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北西には吾妻連峰のい東部が見える。
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城址の北東斜面の満開の桜が素晴らしい。
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南には二本松市街地が一望できる。
手前の丘陵が観音丘陵。郭内を守る天然の要害で、郭内に入るためには何か所かある狭い切通しを通過する様になっていた。
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北西側の桜並木を見たくて下ってみる。
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桜の花の背景は花塚山(左)木幡山、口太山。
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車道から離れ、踏み跡を下って帯曲輪の中へ。
上部に本丸の石垣が見える。
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午前10時を過ぎると桜は八分咲き(ほぼ満開)になる。
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山裾のスポーツ施設がある場所まで下ると、テニスコートのフェンスと照明が邪魔でうまく写真に納まらない。別に北東斜面の桜の全景が写せる場所はあるのだろうか?
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弓道場の横に移動して写してみる。
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桜は木によって満開のものと五分咲き程度のものが混在する。
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野球場側の斜面の桜。
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中腹を通る車道に登り返し、用水堀に沿って歩いて霞ヶ城公園の歩道に復帰。
午前10時半を過ぎると花見客がどっと増えてきた。

箕輪門の入り口付近にあるレストランかすみの営業が午前11時半からスタートするため、一度車に戻ってにほんまつ城報館を見学させてもらう。
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二本松市の代表的祭りである提灯まつりの山車が展示されていたり、ほぼ360度に近いスクリーンを持つ二本松ガイダンス室の映像や常設展示室を見たりして楽しめた。
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街角ハイキングの楽しみは途中の飲食店でランチを楽しめること。
老舗のレストランかすみで「チーズハンバーグセット(1050円)」を食べた。
この他にライス、スープ、サラダつき。
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お昼過ぎにこの日、第二弾の観音丘陵遊歩道歩きに出発
朝とは異なるルートを歩いて見晴台へ向かう。
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別方向から見た霞池
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ようやくキクザキイチリンソウの花びらが開いた。
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朝は流れが影になっていた洗心滝に陽の光が差し込む。
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朝とは違ったアングルでナノハナが美しい西谷棚田と安達太良山を撮る。
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見晴台から二本松市民センターへ向かう歩行者・自転車専用の観音丘陵遊歩道が派生する。
歩行距離2.8kmのこの道は同時に新奥の細道のルートになっている。
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観音丘陵遊歩道はサイクリングロードとつかず離れず東へ続く。
サイクリングロードの常に上部を多少のアップダウンを繰り返して続いている。
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郭内の出入りを難しくした切通しの上部にかかる橋を何回も渡る
結構高い橋もあり、下を見ると怖くなる。
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橋の上から霞ヶ城公園を見る。
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二つ目の松坂御門橋の上から大名倉山を見る。
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成田園地にある東野辺薫文学碑
彼は旧制安積(あさか)中学校、早稲田(わせだ)大学国漢文科を卒業後、長野県の大月中学校の先生となる。その後、安達中学校にうつり、県内の各旧制中学校で教員をしながら本を書いて『東北文学』1号に発表した『和紙』で第18回芥川賞を受賞した。
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次に万葉集歌碑が出てくる。
この歌碑の内容は「陸奥の安達太良真弓 はじきおきてせらしめ置(き)なば 弦著(つらは)かめかも(読人不詳)」で、その解釈は、「陸奥の安達太良真弓を弾いておいて、後弦を外して、そり反らせたままにしたら、また弦をつけることが、どうしてできよう。」とのこと。
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遊歩道はいったん車道に出るが、すぐに切通しの橋を渡って登り返す。
その先に展望台があり霞ヶ城公園が一望できる。
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箕輪門のアップ。

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1985年に完成した観音丘陵遊歩道。
福島県自然遊歩道50選に選ばれているこの道は、道中ずっと桜並木が続く桜ロードだ。
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携帯電話の基地局のアンテナが二基建った場所を通過。
ハナモモが咲いていたのはここだけ。
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一般的にはあまり知られていない遊歩道であるが、静かなハイキングが楽しめる良い道だと思う。
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江戸時代に藩の蔵があったとされる蔵場山
現在は西南戦争、日清戦争、日露戦争の従軍者の慰霊碑が建立されている。
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蔵場山から吾妻連峰を望む。
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蔵場山緑地の桜の巨木
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次の橋を渡ると二本松市民センターまで緩やかな下り坂が続く。
ここが観音丘陵遊歩道の終点。
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市民センターから智恵子の生家まで車道を約1.6km、約20分歩く。
古い町並みには意外に和菓子屋さんが多い。

そしてここが智恵子の生家。明治の初期に建てられ、造り酒屋として新酒の醸造を伝える杉玉が下がっている。訪れた日は水曜日で智恵子記念館の休館日だった。精神病で病床にあるころ智恵子が出会ったのが「紙絵」。幸太郎に見せたいために毎日作ったという。その作品が展示されているとの事で是非とも見たかったが、見られず残念だった。
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智恵子記念館の裏手にある、智恵子と光太郎が歩いたという「愛の小径」はここから入る。
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階段を登った先に立つ熊野神社
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境内には智恵子直筆の「熊野大神」の文字が刻まれた石碑が立っている。
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途中、河津桜であろうか?
鮮やかなピンクに染まる桜の木があった。
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良く整備された遊歩道を登る。
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いくつかの彫刻が置かれた彫刻の丘を過ぎる。
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墓地の中にある急な階段を登ると、「樹下の二人(智恵子抄)」の詩碑がある。
樹下は松を現しているらしいが、今は新たに植栽された細いアカマツがあるのみ。
ここは鞍石山と呼ばれている場所で、伊達政宗が二本松城主畠山氏を攻めた折、重臣の片倉小十郎がこの地に陣を置いて、そこにあった石に馬の鞍をかけたと言われている。
しかし現在は周りが墓地のため、ちょっと趣に欠けた場所の印象を持った。
墓石自体が新しいため、智恵子が生きた明治時代にはここは墓地でなかったとは思うが・・・
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そしてこの地に立って初めて阿武隈川が望めた。
川にかかる橋は東北新幹線の鉄橋で、シャッターを押す前に下りの新幹線が通過していった。
背後の山は麓山と、奥に日山。
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「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。」の詩とは逆に、午後の日差しで安達太良山の雪が光輝いていた。
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車道を横切り、階段を登ってみはらしの広場に建つ展望台に上がる。
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先ほどの詩碑の丘より、展望台の方が阿武隈川や阿武隈山地の山々が良く見える。
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西には安達太良山と吾妻連峰が逆光に霞む。
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展望台の奥にあるほんとうの空広場のベンチに座って、マスさんお手製の「アップルパイ」を食べる。
木々に囲まれ展望はないが、ここが実質的な鞍石山の最高点だ。
後は登りがなく街中へ下って車道を歩いてにほんまつ城報館へ戻るだけ。
温かいコーヒーを飲んでのんびり過ごした。
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車道から霞ヶ城公園を望む。
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途中、墓地の中にある少し荒れた歩道を見つけ、それを下ると住宅地の中に出た。
後は車の通行量の少ない裏道を選んで歩いた。
二本松市の面白い所を巡れた充実した一日であった。
でも歩行距離13km、累積標高差750mと軽いハイキングとは言えないルート採りでもあった。

GPS軌跡。
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