2024年12月19日、女川町の離島だった出島(いずしま)に長さ364mの出島大橋が架かり本土と結ばれた。それを機に島の海辺や神社を巡るトレッキングルート「出島トレイル」を歩いてみようと、マスさんと話し合っていた。「出島トレイル」は一般社団法人女川未来会議出島プロジェクト代表理事の高野信さんを中心に2020年から整備を行い、今後は宮城オルレやみちのく潮風トレイルのルートになる事を目指しているとか。

【 2/22 出島トレイル(トレイル最高点75m) 宮城・女川町 】
出島港駐車場~田ノ尻港~薬師堂~女川いのちの石碑(出島)~八雲神社~東西の海が見られるポイント~ソデフクウラ~災害公営住宅~オサノハマ~大展望地~四子ノ崎灯台~寺間港~
女川いのちの石碑(寺間)~厳島神社~別当浜~ヨナゴダテの浜~出島ストーンサークル~出島港駐車場

この全長約10kmの出島トレイルは、架橋前は一日3便しかない船便の関係で、島に宿泊しないと時間的に完歩するのが難しく、またトレイル自体も整備途上で、案内人がいないと迷う箇所があると言う事を聞いていた。実際、このルートをフルで歩いた記録はウェイブ上にアップされておらず、女川町で発行している「女川トレイルマップ」の小さなイラストマップだけが頼りとなる。まあ現地に行ってみて、赤テープなどのマーキングを追えば迷わず歩けるだろうと考えて歩きはじめたが・・・

出島大橋を車で渡って、初めて出島に上陸。
島の北側の出島港の観光客用臨時駐車場に車を停めてスタートする。
なお
作業の邪魔になるため漁業関係者以外は観光客用の臨時駐車場しか利用できない。
トイレも仮設トイレのみ。

定期船の桟橋から対岸の尾浦港と御殿山(右奥の平らな山)を見る。
6匹の野良猫が水揚げした魚を欲しいのか、岸壁で船に乗る漁師の方を見ていた。
定期船の運航は2025年3月までで、その後、島の人々の足は女川町民バスに置き換わるようだ。2025022201
港を出航する漁船と出島大橋
島と本土を隔てる出島水道の幅は、出島大橋が架かる一番狭いところで300mしかない。
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港の一角に建つ昭和8年3月3日に発生した昭和三陸地震津波の記念碑。
碑文には「大地震の後には津波が来る 地震があったら津波の用心」と刻まれている。
同様の石碑が南の寺間港にもあった。
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出島港に着き違和感を感じたのは、港周辺に民家がほとんど無い点だ。
東日本大震災の時、島を襲った大津波で、港に近い住宅の8割は全壊し、ライフラインが断絶。震災前に465名いた島民の内25名が犠牲となったという。
住民は高台にある女川町立女川第四小学校、女川町立女川第二中学校(現在は閉校)へ避難し、翌日、生き残った全島民が自衛隊のヘリで島外に避難したと言われる。そして2025年9月現在、島に戻ったのは100名にも満たないという。
復旧工事が終わった港はそこに暮らす人々の生活感がなく、三陸の青い海だけが昔と変わらずそこにあるだけだった。

先ず海沿いの道を歩いて、出島港北側の田ノ尻港へ向かう。
左に見えるのは蛸島。
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蛸島の後に石投山が見えてきた。
端正な三角形の山容から漁師の山アテに使われたとか。
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田ノ尻港で猫5匹と出会う。
この三毛の子猫は近づいても逃げず、写真を撮らせてくれた。
母猫が少し離れた場所から心配そうに子猫を見守っていた。
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田ノ尻港の山側に津波被害を免れた民家が二軒。
出島トレイルは右手の山に続くが、道標の類は最初から最後まで一切なく、イラストマップと印刷してきた地図、そして赤テープが頼りだ。

峠まで登ると墓地があり、少し下った右手にかなり痛んだ薬師堂が建っている。
南北朝時代に創建されたらしい。
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薬師堂のすぐ東側に金箔の仏像「大聖歓喜双身天」が祀られる永清寺がある。
現在は木部の塗装作業用の足場が仮設されていて、お寺の全景は見えなかった。

お寺の参道の途中に女川いのちの石碑(出島)が建っている。
津波到達地点より高い場所に設置されたこの石碑は、震災当時小学6年生だった女川町の子供たちを中心にプロジェクトを立ち上げ、大きな悲劇を1000年先の人々にも伝承して、後世の人々の命を守ろうという祈りを込めて、女川町内に計21基が建立されている。
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出島港に戻り、次は八雲神社へ向かう。
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石段を登り、鳥居の前から振り返ると出島港と出島大橋が一望できた。
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八雲神社。
由緒は不明で、毎年5月第三日曜日に例祭が行われるとか。その例祭が現在も行われているかは不明だが、社殿や社地は良く整備されている。
主祭神は天照大神の弟の素盞鳴尊(スサノオノミコト)。→これは読めない。
暴風雨の神、厄払いの神、海の守護神などとして知られている。
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出島トレイルコースは八雲神社の社殿の右手奥に続く。
細い道なので、これが正規のトレイルルートなのかと少し心配になるが、赤テープが付いているので間違いないと確信する。斜面に狭い平坦な土地が階段状に連なり、使われていない水道の蛇口や建物の基礎も見受けられる。
昭和30年代、この島には1,800人もの島民が住んでいて、島のいたるところに畑が広がり、里道を歩けば島のどこにでも行けて、どこからでも海が望める島だったらしい。
おそらく狭い階段上の土地の一つ一つに民家が建っていたのであろう。

トレイルのあちこちにヤブツバキが生えている。
今は咲き始めの状態。後2週間後ぐらいで満開になりそうだ。
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途中、道が二手に分かれる。
北へ分岐する道を観察すると庚申塚があった。
地形図から判断すると、この北へ分岐する道を進めば75.0mの三角点(点名:北出島)まで行けるかもしれない。さらに島の北西端には陸路では行けない砂浜の白浜海水浴場があると言う。何れ白浜まで歩けるトレイルルートを整備して欲しいものだ。
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正規の出島トレイルルートは分岐を右へ進む。
ところどころ太いタブノキが生えているが、この島には網地島や田代島に比べてタブノキの原生林が少なく、スギの植林地が多いと感じた。実はこの島はかつて製塩業が盛んに行われていた。燃料に使う木を伐採し過ぎたことから衰退し、人々の暮らしの糧は漁業に移行したとされる。スギの植林地が多いのはそのためか?
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やがて隙間なく繁茂したシノタケ?を切り開いた区間を通る。
おそらくこの笹竹地帯はかつて畑地だったと推察する。このシノタケは畑地の周りに多いんだよね。
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左手に潮騒の音が聴こえてくるが、木々の間から青い海が僅かに見えるのみ。
車道に出ると、ようやく東に太平洋の真っ青な海原が見えてくる。
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西には本土と出島の海峡、そして石投山が望める。
西側の空は曇ってきたようだ。
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新しい県道217号ができる前の出島と寺間の二つの集落を結ぶ旧道を歩く
今は出島大橋の開通とともに、片側一車線の立派な県道217号が開通したため、この旧道を走る車はほとんどない。
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途中、左に派生する山道を見つけた。間違いなくソデフクウラへ降りていく道と確信する。
しかし赤テープのみで、ここも道標がない。

アカマツの生える広い尾根を緩く下っていくと、小さな南の突端に出る。
この先は道が消失。写真を撮った場所の手前にソデフクウラへ下る道を見つけた。
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砂利浜のソデフクウラに降り立つ。
浜には波に打ち上げられた漁網や漁業用のプラスチックの浮き輪などが散乱していて殺伐とした雰囲気だ。現在、海の中に漂うマイクロプラスチックが生態系を破壊するものとして問題になっているが、海辺に出て何時も思うのは、プラスチックごみの大半は漁業用資材と感じる。
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急坂を登ると細いタブノキとモミの林に入る。
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途中、T字路に出た。
赤テープは左に分岐する道に付けられている。
GPSを確認すると直進する道の方が正規ルートのはずだが、確認の意味で左手の道に入ってみた。
その道は途中から竹林の中を通る。しかし竹林を通り過ぎると道は完全に無くなった。
この道は漁業の目印に使う竹を採取するための道のようだ。
仕方なく先ほどの分岐に戻る。
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分岐から西へほとんどアップダウンのない山道を進むと、未舗装の車道に出る。
西側に通信鉄塔と旧小中学校の建物が確認できる。
トレイルルートは広大な造成地(空き地)の中を南に向かって歩く。
この頃、西から雪雲が流れてきて、小雪がちらついていた。
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造成地の西側には災害公営住宅が建ち並んでいる。
災害公営住宅の南側の道路沿いに標高86.5mの三角点(点名:出島)があるが、山名がない三角点なので今回は立ち寄らなかった。
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今回の出島トレイルルートで一番迷いやすいのが、この広大な造成地から山道への接続箇所だ。
造成地には実が服に付くセンダングサが生えているため、車の轍に沿って南下したが、何処からトレイルルートに入るのか全然分からない。
イラストマップを見ると災害公営住宅のかなり東側に道があるようなので、造成地の南東端まで行って見たら、奥の法面の上に生える立木に赤テープがあった。

今回の出島トレイルルートの最高点(GPS上では標高75m)を過ぎると、道は広い尾根上を緩く下っていく。やがて急に右に曲がりロープが張られた急坂を下って涸れ沢を越える。
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沢からロープが張られた急坂を一直線に登る。
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するとオミネハマが眼下に見える崖の上に出る。
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オミネハマ南側の小さな岬を回り込むと荒々しい磯浜の景色が広がった。
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濃紺の冬の海に白波が打ち寄せる。
この下に降りるためのロープがフックスされていたが、足場が悪そうに見えたので降りなかった。
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右手の急なロープ場を下りオサノハマに降りる。
このロープの上がり下がりは足場が悪く結構ハードで、一般ハイカーや登山の初心者には厳しい。
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黒い石浜のオサノハマで休憩を取る。
出島トレイルのマップではオサノハマと記載されているが、出島ストーンサークルの看板にはコミネハマと書かれている。どうも写真右の外洋に突き出た岩場の南側の浜がコミネハマの様だ。

休憩時に周辺の岩場を良く観察したら、柱状節理が斜めに傾き、一部褶曲している事に気がついた。
そして浜に転がっている石はどれも黒く角ばっている。
帰宅後に調べたら、この岩石は古生代ペルム紀(二畳紀)の登米層と呼ばれる地層に属する黒色粘板岩で、元々は今から約2億5000万年前にたまった海底の泥が、年月をかけて石に変わり、圧力を受けて一定方向に割れる性質に変化したとか。
雄勝の硯の原料となっているこの黒色粘板岩は、女川町北西の半分を構成している他、出島東半分の基岩となっているらしい。
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マスさん手作りのハートのムースブラウニーを食べる。
濃厚のチョコの味に苦いホットコーヒーが合う。
波の音と潮の香りに包まれて気分は最高だ。
2025022231ハートのムースブラウニー

休憩後、一人で南側の浜に立ち寄る。
ここがコミネハマか?
ちょうど満潮の時間帯の様で、目の前に砕け散る白波はなかなか迫力満点だった。
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急な北斜面を登りきると、この日一番の雄大な風景が待っていた。
荒々しい出島東岸の景色が広がる。
手前の左手の岩礁が四子島、少し大きな島が大島、その奥に小さな笠貝島と、右奥に有人島の江島(えのしま)と無人島の平島が重なる。
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四子島と大島、そして笠貝島のアップ。
東日本大震災の時、津波は奥に見える標高30.3mの笠貝島の頂を越えたと言われる。
そしてこの壮観な海洋風景の中にはもう一つの悲劇がある。
それは2006年10月6日に四子島の険礁に乗り揚げ、転覆・漂流したサンマ漁船第七千代丸の事件だ。
乗員16名の内、9名が遺体で発見され、7名が行方不明となった痛々しい海難事故で、自分はその事故の報道から出島の存在を強く意識するようになった。
詳細はネットで海難審判の模様がアップされているので、興味のある方は国土交通省のこのURLより閲覧して欲しい。→ https://www.mlit.go.jp/jmat/monoshiri/judai/h10s/h10s_dai7chiyomaru.htm
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分かり易いように遭難直近の航跡記録の地図をアップした(クリックで拡大)。
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同じ展望地から見た金華山と二股島。
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北には出島から沖に伸びた黒島の岩礁と、奥に雄勝半島の小富士山、そして石峰山(左)が見える。
この展望地は宮城県の海浜風景の中でもトップクラスの景観を有していると感じた。
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大展望地南側の46m独標付近から磯浜を見下ろす。
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地図に破線ルートが記載されている付近は畑地跡のようだ。
花梨の実が落ちていた。その先の梅の木には「梅とるな!」!の看板がぶら下がっていた。
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やがて樹間から寺間港が見えてくる。
緩く登った先に鉄骨の塔が見えてきた。
一見無線アンテナと思ったが、密漁監視塔らしい。
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密漁監視塔のすぐ南側に四子ノ崎(しこのさき)灯台がある。
実際の漢字は四子ノ埼灯台が正解。
反射板がなく、灯台のイメージからかけ離れた作りだ。
2010年まで霧笛が運用されていたと言う。北海道外唯一の霧笛だったようで、一度聴いてみたかった。
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灯台から西へ階段が設置された急坂を下ると寺間港に出る。
かかっていた雪雲が東に流れて牡鹿半島の付け根にある大六天山が見えてきた。
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寺間港は出島港と同様に、海沿いに建つ民家は津波で全壊し無くなってしまったが、斜面の上の方に建つ民家は健在だった。
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県道の道端に咲くスイセン
出島がいかに温暖な場所にある島か分かる。
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防波堤の奥に女川原発が見える。
出島大橋の架橋は島に住む人々の悲願だったが、同時に原発が重大事故を起こした時の避難路になる。
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厳島神社の参道の途中に建立された女川いのちの石碑
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鳥居を潜り、階段を登った先にある寺間地区の氏神様・厳島神社
祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三女神で、海の神、交通運輸の神、財福の神、技芸の神などとして信仰されてきた。祭礼は5月の第二日曜。
子供を足の間に置いた阿吽の姿が微笑ましい。
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神社から港へ下り、県道217号を歩く。
本来の出島トレイルルートは寺間地区北側の坂を登り、民宿いずしま(2024年8月にいったん閉館、2025年中にサウナ付きの民家として再開予定)、手前から西へ急坂を県道217号へ下るようだが、この時はその区間を完全に忘れていた。
写真右手の急な法面の奥にその下ってくる道があった様だが、左手の別当浜へ下る道を探すことに気を取られ確認しなかった。(その区間を歩いた記録がネット上皆無なんですよ。)
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別当沢へ下る道を見つけて急坂を下る。
波打ち際まで出ることなく別当浜は見るだけで通過
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浜の北斜面の竹林を登る。
ステップが薄く、足場が滑るために短い距離ながら苦労した。
登り切った先の高台からは女川湾と大六天山の景色が広がる。
内湾なので白波は立っていないが、北西風をもろに受けて寒い。
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そこから先も急なアップダウンやロープ場がある難路が続く。
左足下がりのトラバースはステップが薄く、常に滑落の危険がある。
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この日最大の難所がココ。
一応ロープは張っているが、掴んで体重をかけると、弛んだロープが伸びて手がかりの役目を果たしていない。しかもしっかりとした足場が無いため、出っ張った岩や木の根を掴んでようやく通過できた。
これは登山の中級者でも難儀するところだ。
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やがてヨナゴダテの浜が見えてくる。
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急なロープ場を降り、スギの植林地に入るとテントサウナが設置されていた。
何故ここにサウナが???????
帰宅後に調べてみたら、女川町地域おこし協力隊員の30代の男性隊員2名が、この植林地のスギの間伐材を使って、民宿いずしまに「ユーリ サウナ」と名づけた木製のサウナ棟を建築中らしい。
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ヨナゴダテの浜の波打ち際に出る。
逆光でキラキラ輝く海が綺麗だ。
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サウナテントのあるスギの植林地から、土が露わな足場の悪い急坂をロープを手掛かりに登る。
登り切ったところに出島ストーンサークルがある。
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出島ストーンサークルのある広い芝地の奥に出島大橋と、女川銀鮭の養魚施設を見る。
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出島ストーンサークルは通称で、本来は出島配石遺構群といわれる。
縄文前期から平安時代にかけての土器群が出土するこの配石遺構群は、地元では「天狗の仕業」と伝えられてきた。しかし、この遺跡が何故作られたかは未だに解明されていない。昔はもっと丸く配石されていたらしい。
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出島ストーンサークルの真ん中に立つと御殿山(左)の右奥に石投山が見える。
実はこのストーンサークルは縄文人の暦を司っていたのでは、というロマンに溢れた仮説を女川町を訪れた社会学者で京都精華大学准教授の山田創平さんが提唱している。
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この仮説は次のようなもので、出島ストーンサークルに立ち、夏至の日没を望む時、太陽は石投山の山頂に没し、冬至の日没は大六天山の山頂に沈むという。逆に冬至の日の出を石投山の山頂で見て。実際にストーンサークルの方向から太陽が昇ってきたシーンを見た方々もいる。
イギリスの世界遺産ストーンヘンジは夏至の太陽の動きと一致する配石らしく、あながち間違った仮説ではないような気がする。ただし出島ストーンサークルの南西側はスギの木が伸びて大六天山に関しては見えないが・・・

出島ストーンサークルのから東へ少し歩くと県道217号に出る。
遺跡の入口付近に駐車場がない点が残念だ。
後は風が強く寒い車道を歩いて出島港に停めた車に戻る。
帰路、女川と東松島の二つの道の駅で買い物をした。
山行前、そして山行後の予習や復習で知的好奇心をより満足されてくれたトレイルルートだった。

今後、出島トレイルルートは女川町は事業主体となって予算化し、トレイルルートの整備や道標の設置を行っていただければと思う。
少ない人数でのボランティア活動で、多くの観光客やハイカーを呼び込むのは難しいし、今の整備度では道迷いや滑落の危険性が高く、山岳雑誌にガイド記事を寄稿する事はできない。また地元のガイドさんの有料トレッキングの実施に頼っていては、歩く人の絶対数がほとんど増えないと思う。さらに公設トイレの整備も必要だ。

GPS軌跡。
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