30日は山形県の高館山に行く予定だった。
しかし天気予報は雨もしくは雪の確立80%。
これでは行っても花が開かず意味がないため中止。
太平洋側の天気が良さそうなので、マスさんとMさんを連れて、宮城オルレ・奥松島コースをさらに拡大した、見どころ満点の宮戸島大周回コースを歩いてきた。
【 3/30 大高森(105m) 宮城・奥松島 】
あおみな~大高森~潜ヶ浦漁港~石彫りの女神様~鮭ヶ浦岬の馬の背~旧鮭ヶ浦漁港(震洋基地跡)~素掘りの隧道~潜ヶ浦聖観音堂~嵯峨見台(観音山)~室浜漁港~大浜唐船番所跡~源田浜~萱野崎展望地~乙女ヶ浜~ムロの木~大浜~新浜岬~月浜海水浴場~稲ヶ崎公園~陸の奥松島~波津々浦~ご神木のタブノキ~貝塚観察館~奥松島縄文村~あおみな
朝の気温は2度。
晴れの天気予報だったが、大高森遊歩道入口から歩き出した時は高曇りだった。

しかし天気予報は雨もしくは雪の確立80%。
これでは行っても花が開かず意味がないため中止。
太平洋側の天気が良さそうなので、マスさんとMさんを連れて、宮城オルレ・奥松島コースをさらに拡大した、見どころ満点の宮戸島大周回コースを歩いてきた。
【 3/30 大高森(105m) 宮城・奥松島 】
あおみな~大高森~潜ヶ浦漁港~石彫りの女神様~鮭ヶ浦岬の馬の背~旧鮭ヶ浦漁港(震洋基地跡)~素掘りの隧道~潜ヶ浦聖観音堂~嵯峨見台(観音山)~室浜漁港~大浜唐船番所跡~源田浜~萱野崎展望地~乙女ヶ浜~ムロの木~大浜~新浜岬~月浜海水浴場~稲ヶ崎公園~陸の奥松島~波津々浦~ご神木のタブノキ~貝塚観察館~奥松島縄文村~あおみな
朝の気温は2度。
晴れの天気予報だったが、大高森遊歩道入口から歩き出した時は高曇りだった。

今回は行程が長いため、少し駆け足で見どころを中心に紹介する。
歩幅が合わない階段をうんざりしながら登って大高森山頂に到着。

高曇りながら船形連峰や、

蔵王連峰、そして仙台市街地が見えている。

大高森から東尾根を歩き、途中で右の尾根に登っていくオルレコースから外れる。

舗装された町道に出る。
道の脇にはヒメオドリコソウが咲いていた。

梅は今が満開。

町道を左折し、潜ヶ浦漁港に出る。
春は干満の差が激しく、この時は干潮のようだ。

石堀りの女神様への入山口が分かりにくい。
陸揚げされた船の横を通って急斜面に取りつく。
直ぐに水平道になるが、今回は60mピークに向かう分岐を右折せず直進した。

いったん下って、干上がった荒地を通過し、ロープが設置された急斜面に取りつく。

この日は行く先々でヤブツバキが咲き誇っていた。

鮭ヶ浦岬への分岐を確認し、左折して小さなアップダウンを繰り返す。
穏やかな潜ヶ浦は海苔の養殖が盛んなようだ。

石堀りの女神様に着く。
マスさんは線刻された観音様をイメージしていたようだが、少し艶めかしいと驚いていた。
石堀りの女神様については2023年2月5日に訪れた拙山行記事に次の様に書いている。
*この女神像、「ナニコレ珍百景」2022年10月に放送されたらしい。
とある長老の話では、野蒜石の産業が盛んだった頃、石工が母を思って彫ったとか。
その後、足場になっていた箇所が切り出され、現在の様な高い崖になったらしい。
その石工が何処の誰かは不明。
野蒜一帯から切り出される凝灰岩の野蒜石は、江戸時代から建築用材として全国に販売されていた。私が子供の頃は外構として岩塀が多く使われ、宮城県では野蒜や秋保において石切産業が盛んだったと今でも記憶に残っている。現在は衰退した産業であるが、この頃の名残を見たようで嬉しくなった。

鮭ヶ浦岬の分岐(標識無)まで戻り、東進して馬の背を目指す。
この頃から晴れわたり、海の青さが際立ってきた。

鮭ヶ浦を見下ろす。
左のピークは嵯峨見台。
このルートは随所にあったマツの倒木が処理され歩きやすくなっている。

馬の背に着く。
人がいるとその大きさが分かるが、岩場の幅が広く、かつ滑りにくい泥岩なので歩いても怖くない。

馬の背を渡ったところで休憩。
キラキラ光る海面が美しい。

北側から馬の背を眺めたところ。
再び鮭ヶ浦岬分岐へ戻る。

60mピークの手前から不確かな分岐を左折し、急な踏み跡を下って旧鮭ヶ浦漁港に出る。
ここは太平洋戦争末期、それも終戦直前に特攻艇「震洋」の基地が作られた場所だ。
当時、全国に特攻基地が作られ、ここは第146震洋隊の名がついている。
船自体はべニア製で、トラックのエンジンと250㎏の爆弾を船首に積んだ2人乗り特攻兵器という。
この基地からの出撃はなく終戦を迎えたようだが、船を隠す目的で付近の岩壁に10ヶ所以上の横穴が掘られている点で、基地の規模が想像できる。
余談だが写真に写っているレール?は当時の建造物ではない。

その横穴の一つ。
現在は漁具の保管場所になっている穴も多数ある。

石堀りの女神様と嵯峨見台を結ぶ尾根を貫いた素掘りの隧道を通って潜ヶ浦聖観音堂へ向かう。
隧道の長さは80m程度と聞く。照明がなく、内部は真っ暗。
Mさんがスマホのライトを点けて歩いていた。
今は車両の通行禁止だが、以前友人の運転する車でここを通り抜けたら、落盤しそうな感じがして怖かった記憶が残っている。

入口に鳥居のある階段を登って潜ヶ浦聖観音堂に着く。
この道は東北自然歩道として整備されている。

聖観音堂には小夜子姫の化身といわれる観音様が祀られている。

潜ヶ浦聖観音堂から少し登ると東屋の建つ嵯峨見台(観音山)に着く。
小夜子姫は仏様に仕えるために、潜ヶ浦聖観音堂が建つ以前の洞穴に一人で住み、見晴らしの良いこの丘の上で海を眺めては、別れた家族を思い、毎日念仏を唱えていたとか。

嵯峨渓は木々に遮られて見えないが、花魁島(左)や高島の奥に石巻市渡波地区が望める。

そして黒島の奥に金華山と田代島、網地島、牡鹿半島が見渡せる。

嵯峨見台で休憩した後、室浜へ下る。
途中、咲き始めのシュンランを見かけた。

室浜北側に突き出た岬の奥に花魁島、高島、黒島が並ぶ。
この頃から南風が強くなってきた。

室浜漁港を歩く。
今回も漁港の西側の丘に建つ儀兵衛・多十郎記念碑に立ち寄るのを忘れてしまった。

東日本大震災以前は海水浴場として賑わいを見せていた室浜。
砂浜の奥に連なるのが嵯峨渓だ。この位置からだとスケール感に乏しい。
あおみな前の奥松島ふ頭から出航する遊覧船に乗って海から眺めることをお勧めする。
穏やかな松島内湾クルーズと異なり、荒々しい海岸美が堪能できる。

トイレと駐車場が作られた場所から嵯峨渓の遊歩道が南に分岐する。
空き地にタンポポが咲いていた。

ササのトンネルを潜って嵯峨渓の遊歩道に入る。
この入口に道標はなく分かりにくい。

ヤブツバキが頭上を覆う暗い階段の坂を登ると、明るい尾根道に出る。
時々海の景色が広がる。
足元から嵯峨渓の白い岩壁が切れ落ちているが、上からは岩壁の様子はうかがい知れない。

やがて大浜唐船番所跡に着く。以前より木が伸びて視界は狭くなった。
江戸幕府から鎖国令が出され、仙台藩では5箇所の唐船番所が設けられたが、その一つがココ。
外国船の来航を監視するために設置されたが、1739年(元文4年)にたった一度だけ3隻の外国船が牡鹿半島網地島沖に現れたことがあったらしい。

尾根道をショートカットして乙女ヶ浜へ向かう整備された遊歩道を南へ進む。
途中、左に源田浜0.2kmの標識があり、プライベートビーチの様な源田浜に寄り道する。
以前、友人と左奥の白い小さな島にカヌーで渡り、大きなアイナメを釣ったことがある。

遊歩道へ急坂を登り返し、乙女ヶ浜へ向かうが、途中、左に派生する細い山道に入り、宮戸島南東端の萱野崎へ行ってみる。
数箇所、足元から切れ落ちたところもあり、眼下に荒磯が俯瞰できる。

萱野崎を望める場所に着いた。
岬の先へは尾根筋が崩壊していて行けない。
東日本大震災以前には行けたらしいが・・・

同じ道を引き返して東北自然歩道に復帰。
乙女ヶ浜へ着く頃、急激に風が強くなり、小雨が降りだしてきた。
風光明媚な砂浜なのに、暗い雰囲気に変わってしまい残念。

冷たい風と雨を避けて、乙女ヶ浜左手のオーバーハングした岩陰で食事をとった。
食後にマスさんお手製の「バナナのキャラメルケーキ」を食べる。
しっとりとして美味しいケーキだった。

乙女ヶ浜から帰り道、小雨から雹混じりの本降りになってきた。
東松島市の天然記念物・ムロの木の写真を見上げて撮ったら、雨滴が直ぐについてしまう。

何故か私が山で雨具を着ると雨が止む、というジンクスがある。
マスさんが「早く雨具を着て」と催促するので、その通りにしたら、僅かな時間で雨が止んでしまった。
冷たい風が吹く大浜海岸に出る。
砂浜に円形に立てられた杭は海浜植物の保護地なのかな。

途中、歩道を歩いていると宮城オルレ・奥松島コースに復帰する。
午前中と天気は一転して、気温は急激に下がり、曇ってしまったので、海の色は冴えない。
オルレの見どころの一つ新浜岬は馬の背に立入禁止になってしまい、名所としての価値が半減した。
オルレのパンフレットにも馬の背の写真が掲載されているので、せめて馬の背の姿が確認できる位置まで通行可能とすべきだったと思う。誰か転落事故を起こしたのかは不明。

新浜岬から月浜まではササのトンネルの中を歩く。

民宿・新浜荘の脇を抜けて月浜海水浴場に着く。
ゴミ一つ落ちていない美しい砂浜だ。

月浜から急な階段を登ってヤブツバキが見ごろの稲ヶ崎公園へ。

稲ヶ崎公園は大高森に次ぐオルレの好展望地で、東に歩いてきた月浜、新浜岬、大浜が一望できる。

南西には遠く霊山も見えていたが、奥羽山脈は雲がかかって見えない。
公園のソメイヨシノが数輪咲いていたのが一番印象深かった。

ヤブツバキの林を歩くと、一か所だけ南西側が望める展望地があった。

荒れた竹林を右に見て、U字型に下っていくと田んぼに出る。
海を埋め立てて田んぼにしたこの場所は陸の奥松島と呼ばれ、随所に波で侵食された低い岩壁が残っている。
しかしこの日一番辛かったのが、この陸の奥松島の通過だった。
正面から冷たい強風を受けて進むため、寒いこと寒いこと・・・
見どころもほとんど無く、単調な景色が続くので、寒さに耐えながら足早に通り過ぎた。

満潮になった波津々浦の防潮堤の上を歩く。
この先は風の通り道から外れるので、気分は少し明るくなる。

畑地の中を通過する、ウッドチップは敷かれた歩道沿いには梅やスイセンの花が咲いている。

二匹の柴犬を飼っている民家の横を通り、里浜貝塚の丘に登る。
タブノキのご神木は立派だ。

ベンチのある東屋に腰掛けて少し休憩。
さとはま縄文の里史跡公園と大高森、あおみなが見渡せる。

さとはま縄文の里史跡公園に咲く白梅。

毎回見るのが楽しみな里浜貝塚貝層観察館に立ち寄る。
樹脂で固めて垂直に剥ぎ取られた、2.5mほどの厚さの貝層の中には、縄文人の食べかすや、壊れた土器など、2800年前の里浜縄文人の約20年分の生活が凝縮されている、

ルートは里浜集落の中を通り、庚申塔が建ち並ぶ医王寺の門前の前に出る。

そして奥松島縄文村の敷地内を通過した後、本来のオルレ・奥松島コースは大高森の中腹にある大高森薬師堂へ登り返すが、身体が冷え切っていて、早く車に戻りたいため今回は割愛し、海沿いの歩道を歩いてあおみなへ戻った。

あおみなでオルレ完登のバッチをもらい、買い物を車に戻ると、意外に多くの車両が停まっている。
この日出会ったのは嵯峨渓で2組5名、大浜からあおみなまで4組5名だった。
そしてGPSのログを確認したら、沿面歩行距離21.5km、累積高度±1236mもあった。
宮城県有数の価値あるロングトレイルコースだと思う。
GPS軌跡(クリックで拡大)
歩幅が合わない階段をうんざりしながら登って大高森山頂に到着。

高曇りながら船形連峰や、

蔵王連峰、そして仙台市街地が見えている。

大高森から東尾根を歩き、途中で右の尾根に登っていくオルレコースから外れる。

舗装された町道に出る。
道の脇にはヒメオドリコソウが咲いていた。

梅は今が満開。

町道を左折し、潜ヶ浦漁港に出る。
春は干満の差が激しく、この時は干潮のようだ。

石堀りの女神様への入山口が分かりにくい。
陸揚げされた船の横を通って急斜面に取りつく。
直ぐに水平道になるが、今回は60mピークに向かう分岐を右折せず直進した。

いったん下って、干上がった荒地を通過し、ロープが設置された急斜面に取りつく。

この日は行く先々でヤブツバキが咲き誇っていた。

鮭ヶ浦岬への分岐を確認し、左折して小さなアップダウンを繰り返す。
穏やかな潜ヶ浦は海苔の養殖が盛んなようだ。

石堀りの女神様に着く。
マスさんは線刻された観音様をイメージしていたようだが、少し艶めかしいと驚いていた。
石堀りの女神様については2023年2月5日に訪れた拙山行記事に次の様に書いている。
*この女神像、「ナニコレ珍百景」2022年10月に放送されたらしい。
とある長老の話では、野蒜石の産業が盛んだった頃、石工が母を思って彫ったとか。
その後、足場になっていた箇所が切り出され、現在の様な高い崖になったらしい。
その石工が何処の誰かは不明。
野蒜一帯から切り出される凝灰岩の野蒜石は、江戸時代から建築用材として全国に販売されていた。私が子供の頃は外構として岩塀が多く使われ、宮城県では野蒜や秋保において石切産業が盛んだったと今でも記憶に残っている。現在は衰退した産業であるが、この頃の名残を見たようで嬉しくなった。

鮭ヶ浦岬の分岐(標識無)まで戻り、東進して馬の背を目指す。
この頃から晴れわたり、海の青さが際立ってきた。

鮭ヶ浦を見下ろす。
左のピークは嵯峨見台。
このルートは随所にあったマツの倒木が処理され歩きやすくなっている。

馬の背に着く。
人がいるとその大きさが分かるが、岩場の幅が広く、かつ滑りにくい泥岩なので歩いても怖くない。

馬の背を渡ったところで休憩。
キラキラ光る海面が美しい。

北側から馬の背を眺めたところ。
再び鮭ヶ浦岬分岐へ戻る。

60mピークの手前から不確かな分岐を左折し、急な踏み跡を下って旧鮭ヶ浦漁港に出る。
ここは太平洋戦争末期、それも終戦直前に特攻艇「震洋」の基地が作られた場所だ。
当時、全国に特攻基地が作られ、ここは第146震洋隊の名がついている。
船自体はべニア製で、トラックのエンジンと250㎏の爆弾を船首に積んだ2人乗り特攻兵器という。
この基地からの出撃はなく終戦を迎えたようだが、船を隠す目的で付近の岩壁に10ヶ所以上の横穴が掘られている点で、基地の規模が想像できる。
余談だが写真に写っているレール?は当時の建造物ではない。

その横穴の一つ。
現在は漁具の保管場所になっている穴も多数ある。

石堀りの女神様と嵯峨見台を結ぶ尾根を貫いた素掘りの隧道を通って潜ヶ浦聖観音堂へ向かう。
隧道の長さは80m程度と聞く。照明がなく、内部は真っ暗。
Mさんがスマホのライトを点けて歩いていた。
今は車両の通行禁止だが、以前友人の運転する車でここを通り抜けたら、落盤しそうな感じがして怖かった記憶が残っている。

入口に鳥居のある階段を登って潜ヶ浦聖観音堂に着く。
この道は東北自然歩道として整備されている。

聖観音堂には小夜子姫の化身といわれる観音様が祀られている。

潜ヶ浦聖観音堂から少し登ると東屋の建つ嵯峨見台(観音山)に着く。
小夜子姫は仏様に仕えるために、潜ヶ浦聖観音堂が建つ以前の洞穴に一人で住み、見晴らしの良いこの丘の上で海を眺めては、別れた家族を思い、毎日念仏を唱えていたとか。

嵯峨渓は木々に遮られて見えないが、花魁島(左)や高島の奥に石巻市渡波地区が望める。

そして黒島の奥に金華山と田代島、網地島、牡鹿半島が見渡せる。

途中、咲き始めのシュンランを見かけた。

室浜北側に突き出た岬の奥に花魁島、高島、黒島が並ぶ。
この頃から南風が強くなってきた。

室浜漁港を歩く。
今回も漁港の西側の丘に建つ儀兵衛・多十郎記念碑に立ち寄るのを忘れてしまった。

東日本大震災以前は海水浴場として賑わいを見せていた室浜。
砂浜の奥に連なるのが嵯峨渓だ。この位置からだとスケール感に乏しい。
あおみな前の奥松島ふ頭から出航する遊覧船に乗って海から眺めることをお勧めする。
穏やかな松島内湾クルーズと異なり、荒々しい海岸美が堪能できる。

トイレと駐車場が作られた場所から嵯峨渓の遊歩道が南に分岐する。
空き地にタンポポが咲いていた。

ササのトンネルを潜って嵯峨渓の遊歩道に入る。
この入口に道標はなく分かりにくい。

ヤブツバキが頭上を覆う暗い階段の坂を登ると、明るい尾根道に出る。
時々海の景色が広がる。
足元から嵯峨渓の白い岩壁が切れ落ちているが、上からは岩壁の様子はうかがい知れない。

やがて大浜唐船番所跡に着く。以前より木が伸びて視界は狭くなった。
江戸幕府から鎖国令が出され、仙台藩では5箇所の唐船番所が設けられたが、その一つがココ。
外国船の来航を監視するために設置されたが、1739年(元文4年)にたった一度だけ3隻の外国船が牡鹿半島網地島沖に現れたことがあったらしい。

尾根道をショートカットして乙女ヶ浜へ向かう整備された遊歩道を南へ進む。
途中、左に源田浜0.2kmの標識があり、プライベートビーチの様な源田浜に寄り道する。
以前、友人と左奥の白い小さな島にカヌーで渡り、大きなアイナメを釣ったことがある。

遊歩道へ急坂を登り返し、乙女ヶ浜へ向かうが、途中、左に派生する細い山道に入り、宮戸島南東端の萱野崎へ行ってみる。
数箇所、足元から切れ落ちたところもあり、眼下に荒磯が俯瞰できる。

萱野崎を望める場所に着いた。
岬の先へは尾根筋が崩壊していて行けない。
東日本大震災以前には行けたらしいが・・・

同じ道を引き返して東北自然歩道に復帰。
乙女ヶ浜へ着く頃、急激に風が強くなり、小雨が降りだしてきた。
風光明媚な砂浜なのに、暗い雰囲気に変わってしまい残念。

冷たい風と雨を避けて、乙女ヶ浜左手のオーバーハングした岩陰で食事をとった。
食後にマスさんお手製の「バナナのキャラメルケーキ」を食べる。
しっとりとして美味しいケーキだった。

乙女ヶ浜から帰り道、小雨から雹混じりの本降りになってきた。
東松島市の天然記念物・ムロの木の写真を見上げて撮ったら、雨滴が直ぐについてしまう。

何故か私が山で雨具を着ると雨が止む、というジンクスがある。
マスさんが「早く雨具を着て」と催促するので、その通りにしたら、僅かな時間で雨が止んでしまった。
冷たい風が吹く大浜海岸に出る。
砂浜に円形に立てられた杭は海浜植物の保護地なのかな。

途中、歩道を歩いていると宮城オルレ・奥松島コースに復帰する。
午前中と天気は一転して、気温は急激に下がり、曇ってしまったので、海の色は冴えない。
オルレの見どころの一つ新浜岬は馬の背に立入禁止になってしまい、名所としての価値が半減した。
オルレのパンフレットにも馬の背の写真が掲載されているので、せめて馬の背の姿が確認できる位置まで通行可能とすべきだったと思う。誰か転落事故を起こしたのかは不明。

新浜岬から月浜まではササのトンネルの中を歩く。

民宿・新浜荘の脇を抜けて月浜海水浴場に着く。
ゴミ一つ落ちていない美しい砂浜だ。

月浜から急な階段を登ってヤブツバキが見ごろの稲ヶ崎公園へ。

稲ヶ崎公園は大高森に次ぐオルレの好展望地で、東に歩いてきた月浜、新浜岬、大浜が一望できる。

南西には遠く霊山も見えていたが、奥羽山脈は雲がかかって見えない。
公園のソメイヨシノが数輪咲いていたのが一番印象深かった。

ヤブツバキの林を歩くと、一か所だけ南西側が望める展望地があった。

荒れた竹林を右に見て、U字型に下っていくと田んぼに出る。
海を埋め立てて田んぼにしたこの場所は陸の奥松島と呼ばれ、随所に波で侵食された低い岩壁が残っている。
しかしこの日一番辛かったのが、この陸の奥松島の通過だった。
正面から冷たい強風を受けて進むため、寒いこと寒いこと・・・
見どころもほとんど無く、単調な景色が続くので、寒さに耐えながら足早に通り過ぎた。

満潮になった波津々浦の防潮堤の上を歩く。
この先は風の通り道から外れるので、気分は少し明るくなる。

畑地の中を通過する、ウッドチップは敷かれた歩道沿いには梅やスイセンの花が咲いている。

二匹の柴犬を飼っている民家の横を通り、里浜貝塚の丘に登る。
タブノキのご神木は立派だ。

ベンチのある東屋に腰掛けて少し休憩。
さとはま縄文の里史跡公園と大高森、あおみなが見渡せる。

さとはま縄文の里史跡公園に咲く白梅。

毎回見るのが楽しみな里浜貝塚貝層観察館に立ち寄る。
樹脂で固めて垂直に剥ぎ取られた、2.5mほどの厚さの貝層の中には、縄文人の食べかすや、壊れた土器など、2800年前の里浜縄文人の約20年分の生活が凝縮されている、

ルートは里浜集落の中を通り、庚申塔が建ち並ぶ医王寺の門前の前に出る。

そして奥松島縄文村の敷地内を通過した後、本来のオルレ・奥松島コースは大高森の中腹にある大高森薬師堂へ登り返すが、身体が冷え切っていて、早く車に戻りたいため今回は割愛し、海沿いの歩道を歩いてあおみなへ戻った。

あおみなでオルレ完登のバッチをもらい、買い物を車に戻ると、意外に多くの車両が停まっている。
この日出会ったのは嵯峨渓で2組5名、大浜からあおみなまで4組5名だった。
そしてGPSのログを確認したら、沿面歩行距離21.5km、累積高度±1236mもあった。
宮城県有数の価値あるロングトレイルコースだと思う。
GPS軌跡(クリックで拡大)
コメント
コメント一覧 (6)
オルレ+αのハードトレイル 。真似をする人が沢山出そうです(^^)
2024年に似たようなコースをご一緒しましたが、今回はさらに延長させたコースでした。
北東部は道標がなく、分岐が多いため、山慣れたリーダーの元で歩いて欲しいコースです。
ロングトレイルお疲れ様でした。
北東部は確かに道標が無いので、脇道に吸い込まれると迷ってしまいますね。浜の岩場に降りる道は、おそらく釣り師達の道かと。
女神と馬ノ背までのルートを整備すれば、観光の目玉になると思います。
ありがとうございます。
各所で分かれる道があるのはご指摘通り釣り師のものですね。
全ての脇道を探ったら、他に面白い場所があるかもしれません。
馬の背は下手に観光地化すると、新浜岬のように通行禁止になる恐れがあります。
宮戸島の見どころをほぼ網羅すると、こんな長いトレイルになってしまいます。
今回は地図を大きくアップしましたので、それをプリントして歩いてみてくださいね。