山形県の山の隅々まで精力的に歩かれているトシヒコさんのブログ記事から、山形県河北町西部に仏生山という低山があることを知った。
以前、このエリアの国土地理院地図を見て、東北自然歩道と記載された破線ルートがある事が分かり、果たしてどんな道か、整備がなされているか気になっていた。「紅花・葉山ロマンの道」と題されたそのルートの状態が不明で、かつピークハントにもならないため行くのを躊躇していた。
まして東北自然歩道は1990年から1998年まで整備された後、手入れが一切されず放置されたところも多々あり、予算の無駄遣いそのものの事業であるからだ。
しかしルート上に仏生山というピークが存在し、現在も地元の方々のご尽力で歩ける道と分かった以上は歩いてみないと気が済まなくなった。
【 5/11 仏生山(520m?) 山形・村山町西部 】
八十八ヶ所沢畑霊場入口~仏生山~標高530m見晴台跡~平田溜池分岐~林道合流~車道を歩いて・八十八ヶ所沢畑霊場入口
河北町沢畑の高台にある定林寺跡の駐車場からスタート。
ここには車10台程度が駐車可能だ。

以前、このエリアの国土地理院地図を見て、東北自然歩道と記載された破線ルートがある事が分かり、果たしてどんな道か、整備がなされているか気になっていた。「紅花・葉山ロマンの道」と題されたそのルートの状態が不明で、かつピークハントにもならないため行くのを躊躇していた。
まして東北自然歩道は1990年から1998年まで整備された後、手入れが一切されず放置されたところも多々あり、予算の無駄遣いそのものの事業であるからだ。
しかしルート上に仏生山というピークが存在し、現在も地元の方々のご尽力で歩ける道と分かった以上は歩いてみないと気が済まなくなった。
【 5/11 仏生山(520m?) 山形・村山町西部 】
八十八ヶ所沢畑霊場入口~仏生山~標高530m見晴台跡~平田溜池分岐~林道合流~車道を歩いて・八十八ヶ所沢畑霊場入口
河北町沢畑の高台にある定林寺跡の駐車場からスタート。
ここには車10台程度が駐車可能だ。

駐車場の西側にある墓地の奥に四国八十八ヶ所沢畑霊場の入口がある。

入口に立つペンキが剥げてきた看板にはふるさと散歩道と記載されている。
メインタイトルが仏生山と四国八十八ヶ所だが、その由来は分かるが、どの位置に仏生山があるのか書かれていない。

ここが四国八十八ヶ所入口。

道の右側の塀には四国八十八ヶ所各霊場の古瓦一揃いが貼り付けられている。
河北町と友好都市の締結記念に徳島県藍住町から寄贈されたものとか。

直進するのは秋葉権現への道。
正規ルートは右折して階段を登る。

入山して直ぐ右手に拝殿があり、第一番霊場の釈迦如来石像が祀られている。


建屋の壁に四国八十八ヶ所沢畑霊場の再興記録が書かれている。
明治の末期に荒廃した霊場の再興を昭和8年に行う際、17番、25番、42番、44番、54番、76番の6体の石像が行方不明となっていて、新たに寄進を集めて創り直したらしい。
その後、昭和元年のふるさと創生事業で仏生山に遊歩道の計画が持ち上がり、八十八体の石像の台座作りと石像の現在地への移動を行ったとか。その際、四国巡礼の折に持ち帰った各霊場の土と、御影絵を石像の下に埋めて建立したとされている。
この山は地元の方々の厚い信仰心に支えられた山であることが分かった。
参拝道(あえて登山道でなく記載する)の両脇に建立された石像を確認しながら登る。

四国八十八ヶ所巡礼と同様に徳島県、高知県、愛媛県、香川県の順に石像が並んでいる。

一つ一つの石像のお顔やお姿を眺めながら歩くのは面白い。

穏やかな傾斜の参拝道。

第38番の三面千手観音。

途中、急坂を登る箇所もある。

参道はヤマツツジとチゴユリ以外の花だけ目立って、他の花は少ない。
唯一咲いていたツクバネウツギ。

途中、東側が見渡せる場所に出た。
最近登ったばかりの甑岳が最上川の奥に見える。

レンゲツツジのオレンジ色が緑一色の景色の中に映える。

甑岳と沢渡黒伏。
手前の街並みは村山市街地。

東根市街地の奥に堂木沢山(左)と面白山が見える。
曇りの予報だったが、ここまで景色が見えれば充分。

標高差がさほど無い山なので、写真を撮りながらでも短い時間で第70番の石像に着いてしまった。

標高320mの平坦な小ピークに祀られた第88番の石像。

広場の西側に縁起が掘られた石碑が立っている。

そしてずらりと並ぶ熊野十二社。
ここが宗教上の山頂で、仏生山とはこのピークを指すのだろう。
上の写真の石碑には沢畑山の文字が書かれているので、さらに北側に位置する340mピークが沢畑山と考えられる。

仏生山に着くと小雨が降りだした。
休憩する場所を求めて北のピークを目指す。
ここからは参拝道でなく遊歩道。完璧に刈り払いされている。

すぐに木々が焼けこげ、枯れ木が林立する場所に出た。
2017年5月5日に21Haの山林が燃え、7時間後に鎮火した山火事の跡らしい。
分岐を右折して展望の良い場所に出る。
昔、見晴台があったところで、コンクリートの基礎だけが残っている。
にわか雨が止り、陽の光も差し込んできたので、ここで休憩する。
麓から見ると一番高い場所なので、沢畑山はここだと思う。

木々の間から河北町の街並みが見渡せる。

奥のマツが生えるピークが仏生山だ。

実はこの日が小生の誕生日。
そのお祝いにマスさんがケーキ「アントルメシトロン」を作ってくれた。
曇りの天気ながら、山の上でお祝いしようと、この山を選んだ。

お約束のクラッカー。
お祝いしてくれてありがとう!

上空の雲は激しく流れているが、休憩した場所は風も穏やかで快適だった。
アカマツが茂る340mの沢畑山の頂稜を北西に進む。

道の左手に通信反射板が見えた。
そこに行く道はなく、赤テープを追って薮を漕がねばたどり着けない。

平坦な場所に建つ野鳥観察所。
鳥の声は全然聴こえない。

野鳥観察所から少し下ると平田溜池へ下る道が左に分岐するが、その道は薮化が激しい。
イラストマップにピンク色で記されている東北自然歩道のルートを下る。
しかし林道まで下り6分、登り5分とは理解に苦しむコースタイムだ。

分岐から僅かに下ると北西側の景色が広がった。

奥に葉山の聖仏平付近が見える。右に伸びる山稜は樽石山のようだ。
小僧森は雲がかかって見えない。

階段を下り林道へ降り立つと、文字が掠れた東北自然歩道の標柱が立っている。

杉林の中、細い林道を下る。
田ノ頭溜池の手前に二基の石碑が立っていて、東北自然歩道はそこから北へ延びる林道に入ると標高352mの後沢山を経て、引竜湖へ向かうようだが、トシヒコさんの記録を見ると、現在は薮化が進んでいるようだ。

何故か錦鯉が泳いでいる田ノ頭溜池を見る。

後は林道から農道を歩いて車に戻る。
走行車両が1台もない快適な道だった。

農道は河北町西部の高台にあるため、ときどき東側の展望が開ける。
面白山と大東岳、雨呼山、糸岳など、二口山塊の山々が見渡せた。
しかし蔵王連峰や翁山には雲がかかっていた。

車の戻る途中、再び弱い雨が降ってきたので、今回は眺望の丘に車で向かうのは止めにした。
見晴台跡から下る緑色に記した別ルートに奪衣婆の石像があるようだが、駐車場の西側にある奪衣婆の石像も歩いた時には失念していて見られず残念だった。
今回歩いたルートは子供連れでも安心してハイキングができる場所なので、お弁当を使いに歩くのも良いだろう。
GPS軌跡。

入口に立つペンキが剥げてきた看板にはふるさと散歩道と記載されている。
メインタイトルが仏生山と四国八十八ヶ所だが、その由来は分かるが、どの位置に仏生山があるのか書かれていない。

ここが四国八十八ヶ所入口。

道の右側の塀には四国八十八ヶ所各霊場の古瓦一揃いが貼り付けられている。
河北町と友好都市の締結記念に徳島県藍住町から寄贈されたものとか。

直進するのは秋葉権現への道。
正規ルートは右折して階段を登る。

入山して直ぐ右手に拝殿があり、第一番霊場の釈迦如来石像が祀られている。


建屋の壁に四国八十八ヶ所沢畑霊場の再興記録が書かれている。
明治の末期に荒廃した霊場の再興を昭和8年に行う際、17番、25番、42番、44番、54番、76番の6体の石像が行方不明となっていて、新たに寄進を集めて創り直したらしい。
その後、昭和元年のふるさと創生事業で仏生山に遊歩道の計画が持ち上がり、八十八体の石像の台座作りと石像の現在地への移動を行ったとか。その際、四国巡礼の折に持ち帰った各霊場の土と、御影絵を石像の下に埋めて建立したとされている。
この山は地元の方々の厚い信仰心に支えられた山であることが分かった。
参拝道(あえて登山道でなく記載する)の両脇に建立された石像を確認しながら登る。

四国八十八ヶ所巡礼と同様に徳島県、高知県、愛媛県、香川県の順に石像が並んでいる。

一つ一つの石像のお顔やお姿を眺めながら歩くのは面白い。

穏やかな傾斜の参拝道。

第38番の三面千手観音。

途中、急坂を登る箇所もある。

参道はヤマツツジとチゴユリ以外の花だけ目立って、他の花は少ない。
唯一咲いていたツクバネウツギ。

途中、東側が見渡せる場所に出た。
最近登ったばかりの甑岳が最上川の奥に見える。

レンゲツツジのオレンジ色が緑一色の景色の中に映える。

甑岳と沢渡黒伏。
手前の街並みは村山市街地。

東根市街地の奥に堂木沢山(左)と面白山が見える。
曇りの予報だったが、ここまで景色が見えれば充分。

標高差がさほど無い山なので、写真を撮りながらでも短い時間で第70番の石像に着いてしまった。

標高320mの平坦な小ピークに祀られた第88番の石像。

広場の西側に縁起が掘られた石碑が立っている。

そしてずらりと並ぶ熊野十二社。
ここが宗教上の山頂で、仏生山とはこのピークを指すのだろう。
上の写真の石碑には沢畑山の文字が書かれているので、さらに北側に位置する340mピークが沢畑山と考えられる。

仏生山に着くと小雨が降りだした。
休憩する場所を求めて北のピークを目指す。
ここからは参拝道でなく遊歩道。完璧に刈り払いされている。

すぐに木々が焼けこげ、枯れ木が林立する場所に出た。
2017年5月5日に21Haの山林が燃え、7時間後に鎮火した山火事の跡らしい。

分岐を右折して展望の良い場所に出る。
昔、見晴台があったところで、コンクリートの基礎だけが残っている。
にわか雨が止り、陽の光も差し込んできたので、ここで休憩する。
麓から見ると一番高い場所なので、沢畑山はここだと思う。

木々の間から河北町の街並みが見渡せる。

奥のマツが生えるピークが仏生山だ。

実はこの日が小生の誕生日。
そのお祝いにマスさんがケーキ「アントルメシトロン」を作ってくれた。
曇りの天気ながら、山の上でお祝いしようと、この山を選んだ。

お約束のクラッカー。
お祝いしてくれてありがとう!

上空の雲は激しく流れているが、休憩した場所は風も穏やかで快適だった。
アカマツが茂る340mの沢畑山の頂稜を北西に進む。

道の左手に通信反射板が見えた。
そこに行く道はなく、赤テープを追って薮を漕がねばたどり着けない。

平坦な場所に建つ野鳥観察所。
鳥の声は全然聴こえない。

野鳥観察所から少し下ると平田溜池へ下る道が左に分岐するが、その道は薮化が激しい。
イラストマップにピンク色で記されている東北自然歩道のルートを下る。
しかし林道まで下り6分、登り5分とは理解に苦しむコースタイムだ。

分岐から僅かに下ると北西側の景色が広がった。

奥に葉山の聖仏平付近が見える。右に伸びる山稜は樽石山のようだ。
小僧森は雲がかかって見えない。

階段を下り林道へ降り立つと、文字が掠れた東北自然歩道の標柱が立っている。

杉林の中、細い林道を下る。
田ノ頭溜池の手前に二基の石碑が立っていて、東北自然歩道はそこから北へ延びる林道に入ると標高352mの後沢山を経て、引竜湖へ向かうようだが、トシヒコさんの記録を見ると、現在は薮化が進んでいるようだ。

何故か錦鯉が泳いでいる田ノ頭溜池を見る。

後は林道から農道を歩いて車に戻る。
走行車両が1台もない快適な道だった。

農道は河北町西部の高台にあるため、ときどき東側の展望が開ける。
面白山と大東岳、雨呼山、糸岳など、二口山塊の山々が見渡せた。
しかし蔵王連峰や翁山には雲がかかっていた。

車の戻る途中、再び弱い雨が降ってきたので、今回は眺望の丘に車で向かうのは止めにした。
見晴台跡から下る緑色に記した別ルートに奪衣婆の石像があるようだが、駐車場の西側にある奪衣婆の石像も歩いた時には失念していて見られず残念だった。
今回歩いたルートは子供連れでも安心してハイキングができる場所なので、お弁当を使いに歩くのも良いだろう。
GPS軌跡。
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